20190521

できていないことよりも、できたことを振り返る

今日することリスト、今月したいことリストを書くようになった。が、しかし、できていないことが気になりだす。書いてあることをやらなかった日には、「ま、いっか」と思いながらも、なんだかいやなもやもやが残る。

できていないことややり残したことがある場合、いつか、やろうと思っていると、ずるずると時間が過ぎてしまう。かといって、できていないことを書き出して、いつやるかを決めると、精神的に参ってくる。

一日の始め、一月の始めにはすることやしたいことをリストにするのは続けつつ、一日を振り返る時間には、その日できたことを書き出してみることにした。することリストやしたいことリストに入っていないことでも、楽しい話をしたとか、家族にメールを返信して喜ばれてうれしかったとか、思いつくままに、その日したことを書き出してみると、意外といろいろやっていたことがわかることもある。

20190507

砂糖をやめたい方へ―私が砂糖断ちに成功するまでのプロセス

「お砂糖をやめたい!」という声をよく見聞きするようになりました。ダイエットではなく、心の健康や体質改善のためです。

私もかつては砂糖を止めたくてもなかなか止められず、小さな不調はたびたびありましたが、大きな不調があるわけでもないので、砂糖がたくさん入った甘いお菓子の誘惑に勝てませんでした。

でも、昨年2018年の9月下旬から何度目かの砂糖断ちを試み、半年以上継続できました。自己最長記録です。半年が経過した今、甘いお菓子を見ても、なんとも思わなくなり、食べたいと思うことが全くなくなって、とても楽になりました。あまりにも快適で、今までは砂糖の奴隷になっていたのかもと思うほどです。

お砂糖をすっかりやめてから約2カ月で、頭痛や冷え、月経痛、歯の出血といった不調に悩まされることもなくなり、イライラすることも激減し、くまやくすみも治って、肌の調子も良くなりました。医学的に完全には証明されていないかもしれませんし、個人差もあると思いますが、私個人の体感としては、砂糖を食べなくなって体調に望ましい変化が出てきていることは確かです。


「いいね」40号(クレヨンハウス刊)
この特集も役立つ情報が満載でした。
表紙は眞鍋かおりさん。
眞鍋さんも砂糖断ちに成功されたそうです。

お砂糖をやめたいけどなかなかやめられない、というかつての私のような方がいたら、役に立てるかもしれないと思ったので、私がお砂糖をすっかり卒業するまでの道のりを書いてみたいと思います。

20190430

つらい経験は成長するのに必須ではない

苦労は必ずしも、成長に必須のものではない。苦労をしなくても、成長は可能だと思う。苦労がないに越したことはない。

中学生のころ、先輩を送り出す会で在校生が歌う定番ソングが海援隊の「贈る言葉」だった。「人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」という歌詞に、当時はぐっときたものだが、今は「そんなこともないんでない?」と思う。

今は、悲しみや挫折を経験してこなくても優しい人を何人も知っている。甘やかされて育ったり、溺愛されて育ったりして、他人に負担をかけているといった認識に乏しい無責任な人もいるが、それは自立心を養う機会がなかっただけ。楽しいことをしながらでも、自立心や思いやりを身につけることはできる。

20190423

「世界の問題を見るな、話すな」というスピ系の人たちからの批判について

ここ数年、スピ系の人が増えてきたと感じる。

スピ系というのは、私のなかでは、スピリチュアル系の本やネット情報をいろいろ読んで、ただ鵜呑みにして、生半可なスピリチュアルの知識を信じ切っている人たちのこと、という感じで認識している。

そうした人たちの間では、世界で起こっている出来事に目を向けてはいけないという主張が多い。ネガティブな気分を引き起こすようなものを見たり、話したりしていると、それが現実化してしまうから見ても話してもいけない。ネガティブな気分を引き起こすようなものは、波動を下げるから近づいてはいけない。言霊には力があるから、ネガティブな気分をもたらすような言葉は使ってはいけない。そういったことが根拠になっているようだ。

20190416

「言葉をまだ話さない子に大人の話はわからない」?

小さい子は大人の言っていることはわからないと思っている人も多いように思うが、そうでもないように思う。まだ話すことができない子も、語彙がないないだけで、大人が話していることをなんとなく理解しているような気がする。

20190409

自分を大切にすることは社会貢献の第一歩

だれかの役に立ちたい。困っている人を助けたい。だれかを笑顔にする仕事がしたい。社会貢献がしたい。こうした望みは、きっと誰しも、多かれ少なかれ、持っているものではないかと思う。

私のなかにもそれはある。でも、「それはなぜか?」と考えてみると、「まわりに認められたい」「偉いヤツだと思われたい」といった、承認欲求から来ているものでは全くないとは言えない感じがする。この段階では、本当に純粋に、他者の幸せを望んでいるものではないので、「順序を間違えたらいけないな」と、闇雲に行動に走ることは控えている。

20190402

自己犠牲について

自分のことは後まわしにして、まわりのために尽くす。世間では、自分を犠牲することは、立派な行為、尊い心がけのように見なされているように思える。

「世のため、人のため」という教えを、小さいころから叩き込まれてきたような気がする。「自分はいいから」と身を引いたり、我慢したりすることが、立派な人間のすることだという考え方に、あまり疑問を感じてこなかった。

でも、自分を犠牲にすることは、本当の意味では「世のため、人のため」にはならないと最近思う。

20190326

大切なことは身近にある

世間一般で「すごい!」と言われることに、つい骨髄反射的に「すごい!」と思ってしまう。

たとえば、金メダルを取ったとか、栄誉ある賞を受賞したとか、長者番付に載ったとか、本がベストセラーになったとか、SNSでフォロワーが何万人超だとか。

こういう話題を聞くと、思わず「すごいねー!」と反応してしまう。でも、その数秒後には「果たしてそれは本当にすごいのか?」と問いかける自分が心のどこかにいる。

20190319

だれかに言われたことに嫌な気分が生じたら

人の意見はさまざまだ。人生設計や生き方となると、なおさらで、相反する玉石混交の意見が飛び交っている。

20190312

あれから8年

東日本大震災と東京電力の原発事故から昨日で8年が経った。

今でも困難な生活を強いられている人もいる。不安のなかで暮らしている人もいる。傷が癒えていない人もいる。家族や親戚、友人や地域の人々との関係が大きく変わってしまった人もいる。震災だけだったらどうにかなったけど、原発事故があったから、放射能は目に見えないし、今も原発から出続けているから、もとの暮らしには戻れないという声も多く見聞きしてきた。

せめてこの日くらいは、被災された方々の気持ちを想像し、あの事故が私たちの世界に問いかけた大きな課題について、どうしたら解決できるのか、考える時間を持ちたいと思っている。

20190305

家事を好きになるには―まずは要因を観察する

最近、あまり好きではなかった家事が、急に嫌ではなくなってきた感じがする。

家事がすごく嫌いというわけでもないものの、「むちゃくちゃ好きでずっとやっていたい!」というわけでもなく、「好きか、嫌いか」と二択で聞かれたら、どちらかといえば嫌いなほうだった。どうせ毎日やらないといけないものなのだから、いやいややるよりもだったら、好きになれたほうが毎日を楽しく過ごせるし、好きになれたらいいのになあと思ってきた。

20190226

羊に痛みを与えないノンミュールシングのウールを選びたい―「ミュールジング」とは?

大好きなフェアトレードブランドのピープルツリー。購読しているメールマガジンで、以前、気になる情報があった。
ピープルツリーのニットは、ニュージーランドのウールを使っています。
ニュージーランドでは、ヒツジにとって残酷な処置である「ミュールシング」が国の法律で禁止されているので、ノンミュールシング・ウールであることがきちんと保証できるからです。
ピープルツリー The Days 2018/10/31「ヒツジにもやさしい。着まわし優秀なシンプルニット」より)

20190219

インスタグラムをやらない理由

インスタグラムという写真を共有するSNSがある。登録しなくても閲覧だけはできるので、すきなお店や作家さんの情報を得るのに、たまにのぞいている。

最近では、臨時休業や営業時間の変更も、インスタグラムだけで伝えているお店も多いので、訪問の前にインスタグラムを確認するようになった。

他人から「どうしてやらないの?」と思われていそうだなあと察知してしまうこともよくある。登録すらせずに閲覧しているだけでも、自分には無理だなとすごく思う。

20190212

子を生むのは「ホーム」と呼べる空間を作ってからという考えにふれて

ここが「ホーム」だと思える空間を作るまでは、子を生むべきではないと思うという考え方を聞いて、なるほど、と思った。

私は落ち着かないところで育った。まず、近所の仲が悪い。常にうわさ話を探していて、回覧板を持ってくる近所の人も、野次馬根性を満たす情報か、食べ物をもらうまで帰らない。道具を盗んでいく人もいた。町内会の飲み会ではいざこざが絶えない。親からは、家の中にいても「外敵に気をつけろ。大きな声で話すな」とよく注意された。大人になって故郷を離れた今、故郷は好きだし、愛着もあるが、帰りたいと思う場所ではなくなってしまった(時間が経つにつれて、近所の人たちも変わっていき、今はだいぶましになったようだが)。

20190205

物事をありのままに捉えることの難しさ

物事をありのままに捉えようとはよく言われるが、たやすいことではない。そう思わされる出来事が続いた。

20190129

『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』を読んで

書店に立ち寄ると、こんなタイトルの本が視界に飛び込んできた。

『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』

ちょっと気の抜けたネコのイラストに気持ちが緩む4コマまんがに続けて、そのまんがが生まれた背景や、まんがだけでは説明しきれない部分が簡潔な文章で綴られている。

20190122

ナチュラルでシンプルなケアに至るまで

今ではかなりシンプルなケアに落ち着いたが、ここに至るまで、本当にさまざまな化粧品に手を出し、肌の手入れに一日に何時間もかかっていたころもあった。

20190115

いい一日の積み重なりがいい人生になる

締切のあった仕事を午前中で無事に納品して、午後は庭の手入れをせっせとやって、刈った草や切った枝を燃やし、熾火に安納芋を入れて、焼き芋にした。

焼けるのを待ちながら、気になっていた竹小舞の手直しをした。きれいに完成して、焚き火に戻り、灰の中から芋を取り出して開いてみると、いい感じに焼けていた。

東の空から大きな栗色の月が上ってきた。半月を少し過ぎて、十二夜くらいの月だった。月を見ながら、熾火で暖を取り、焼き芋を相方と分けた。

暮れゆく空の下、「今日もいい一日だったなあ」と相方が言う。「やりきったー」という満足感のある声だった。

その言葉を聞いて、一日の終わりに、しみじみと「今日もいい一日だった」と思える日をどれだけ過ごせるだろうと思った。そういう一日の積み重なりが、いい人生をつくる。

20190108

食品のラベル表示の簡略名と一括表示に関する資料を読んで

食品の材料のラベル表示について、簡略名と一括表示に関する資料を読んだ。

私は台所にないものが入っているものは買わないというスタンスなので、簡略名のものだろうと、一括表示だろうと、ラベルに変なものが入っていたら棚に戻すが、1つ以上入っている可能性があるということは初めて知った。

20190104

食品のラベル表示を確認。台所にない原料を食べる必要があるだろうか

食べ物を買うとき、原材料のラベルを確認するだろうか。

何も知らなかったときでも、私はよくラベルを見ていた。親がよく飲んでいた栄養ドリンク剤のラベルで、カラメル色素、パラベン、果糖ブドウ糖液糖などを目にしていた。食べてもいいものかどうか疑う気持ちはまったくなく、単に、国で認可されているものなのだから大丈夫だろう、くらいにしか思っていなかった。

翻訳の仕事で訳した企業の非財務的価値に関する評価報告書で、パラベンなどの化学物質に関する記述を読み、日本で認可されていても、海外では危険視されているものもあって、ほとんどは危険だとは証明されていないが、完全に安全だとも証明されておらず、「疑わしきは使わない」というリスク軽減意識のある先進国では使用を控える傾向にあることを知った。よくわからなくても、ラベルを見ていてなんとなく覚えていたおかげで、その記述と、食の問題とがつながった。