20190831

ブログの更新をしばらくお休みします

しばらくの間、ブログの更新をお休みします。

ここ数年、やりたいことがありすぎて、どれもちょうどよく心地よく楽しめるようにバランスを吟味したいと感じていました。もう少し、やることを精査する時間を持ちたいと考えています。

考えたことをここに書かせてもらってきて、頭の中や気持ちが整理されたり、だれかのお役に立てたことがわかったり、ブログを書くことで望ましい変化もあり、大事な活動の1つとして向き合ってきましたが、考えていることとや感じていることを伝えるのが、文章という形がいいのか、それとも、他の表現の形がよいのか、公開の範囲をどのくらいにしたら一番よいのか、ということも、自分の中で少し整理したくなってきました。

もしかしたら、ブログという形はもう取らないことにするかもしれないし、しばらく書かずにいたら、やっぱり書きたくなるかもしれないし、しばらく休んでみて、どうなるかはわからないのですが、ちょっと休んで、またその後、どうするか決めたら、こちらでお伝えさせていただくつもりです。

20190827

それは本当に心から自分がやりたいと思うことなのだろうか

似ているけれど対照的な人々と会う機会があり、考えさせられた。

好きなことを仕事にしている、という点では似ている2組。じっくり話を聞いていたら、対照的なところがあることに気づいた。

20190820

暮らしのなかで望む世界をじわじわ創る

望む世界を創るのに、アプローチはさまざまある。政治的なアプローチ、NPO的なアプローチ、投資的なアプローチ、アート面からのアプローチなどなど。一番取り組みやすくて、続けやすいのは、暮らしのなかで実践していくことではないだろうか。

20190813

何歳になったって

誕生日を迎えるとき、20代前半くらいまでは素直に喜ぶのに、30代が近づいてきたころから複雑な感情表現をする人が増えてくる。40代になると「ガーン!」と言う人もいた。50~60代になると、老いを感じるときについてコメントしはじめてしまい、余計に身体の衰えに不安を大きくしてしまう。世間になんとなく存在する年齢のイメージに縛られてしまっているからそうなるのだろう。何歳になったって、肉体の状態も、精神の状態も、すべては自分の考え方と暮らし方しだいだ。

20190806

誕生日に思うこと

誕生日に思うこと、というか、思うようにしていることがある。数年前から始めた。

年齢を重ねるにつれて、誕生日のうれしさが減っていく。「誕生日おめでとう」の後に出てくる言葉がだんだん、「あんた、いくつになったと思ってんの!」とか、「同級生のだれそれちゃんはもう子どもが何歳になって」とか、「ダレソレちゃんは学校の先生になって立派にやっているんだって」とかになってくる。親しいだけに心配してくれているのはわかるのだけど、誕生日なのにちょっと気分が下がる。

それで、誕生日に少しでも気分よくいられるように考えついた習慣だ。どこでもいつでもできて、時間もほとんどかからない。それでも気分が上向いてくる。

20190730

ブログを書き続けることについてふと考えたこと

このところ、無料で公開してきたコンテンツを全て有料に切り替えて、有料のものだけに力を集中させる、というスタイルを取るようになったものを立て続けに見聞きした。暮らし向きもいろいろあるだろうし、考え方は人それぞれだから別によいのだけれど、自分はどうするのがいいのだろうか、とふと我が身を振り返ってみると、このブログはこのままでいいのだろうか、と少し気にかかった。

20190719

選挙のこと、忌野清志郎さんの言葉、山本太郎さんへの応援演説・・・など

7月21日が参議院選挙の投票日。選挙のことを書こうかどうか迷っていたけれど、ぎりぎりだけど、やっぱり書こうと思う。

3.11が起こる前までは、政治には全く無関心だった。投票で政治が変えられるとも思っていなかった。大学生のときに、投票に行かないことで政治学の先生に悲しみと怒りに満ちた目で見つめられながら叱られても、投票に行かないことの意味はよくわからなかった。

でも、原発事故が起こって、「どうしてこういうことが起こっているんだろう?」と調べていくうちに、政治を動かしている議員にどういう人間がいるかが重要で、それを決めているのは投票する有権者(自分も含めて)だということがわかった。投票に行かないこと、政治や社会のことについてきちんと考えてこなかったことによって、原発の事故を起こすのに自分も少なからず加担していたのだと思うと悲しくなった。その後、沖縄の米軍基地問題、遺伝子組み換え作物、ダムなど、他の問題も原発の問題と同じ構造で起こっていることを知った。

今すぐ変わらなくても、じわじわとは変わる。爆笑問題の太田光さんが選挙なんか行かなくていいみたいなことを公言したのを忌野清志郎さんが読んで、太田さんに「政治に無関心でいいなんて言っていると、きみの息子なんかが戦争に行っちゃうわけよ」と言ったというエピソードがある。逆に言えば、関心を持って行動すれば、望まないことが実現してしまうのを少しでも遅らせることができ、行動する人が多ければ、望む世界をつくるのを早めることができる。

その行動の1つが投票で、ほとんど誰でもできること。投票先を決めるのは、そんなに時間のかかることではない。ネットで少し調べれば、5分もかからない。現状に満足しているなら、与党に投票すればいいし、今の与党は組織票がたくさんあるから投票に行かなくたっていい。現状に満足していないなら、野党を比較して検討する(市民連合のガイドブックがわかりやすい)。ちなみに、選出される議員が1人の32の選挙区の野党の統一候補一覧は、市民連合がまとめてくれている

普段から情報を仕入れて、自分なりに考えるようにしていると、こういう候補者に投票したい、というのがはっきりしてきて、こうしたリサーチは特に必要がなくなる。普段からの情報収集は、たいへんなことではなく、むしろおもしろい。最近は、問題をあぶり出すだけではなく、解決の方向を向いて論考してくれているものが増えてきて、ますますおもしろくなってきた。無関心でいて自分が望まない世の中をつくるのに加勢するよりも、関心をもって自分が望む世の中をつくるのに加勢したほうがずっとおもしろい。

さっき、ほとんど誰でもと書いたが、お金持ちかそうでないか、男性かそうでないかにかかわらず、一定の年齢以上なら資格を停止されている人を除いて誰でも投票できるようになったのは、先人の長い闘いのおかげだ。

期日前投票をすでに済ませたが、山本太郎さんの立ち上げた「れいわ新選組」の街頭演説がとてもおもしろく、折を見て書き起こしを読んでいる。脳科学者の茂木健一郎さん作家の島田雅彦さんギタリストのSUGIZOさんなど、さまざまな著名人もかけつけて応援演説をしていて、その書き起こしも読むことができ、それらを読むだけでもとても勉強になる。書き起こしはこちらの「活動レポート」のページから読める。

最後に島田雅彦さんの応援メッセージの中からこの言葉を引用して終わりたい。
国民は政治的無関心に誘導され、日本がどうなろうと知ったことかと思わされています。首相や閣僚、その不愉快な仲間たちがどんな不正を働いても国民は知らんぷりしてくれる、まさにそれこそ政府が望むところで、白紙委任状を受け取ったつもりでやりたい放題やってるのです。
・・・〈中略〉・・・
私たちは大人なのだから、この不愉快極まる現状を変えなければなりません。私たちには良心の自由もあれば、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利もあるのだから、今、それを使わずにいつ使うんですか? 早くしないとその自由と権利を奪われてしまいます。投票に行きましょう。現政権の横暴を止めるために、山本太郎に、れいわ新選組に、あるいは野党共闘の候補者に一票を投じましょう。
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20190716

モノが「お嫁に」と聞くとモヤモヤする話。

手作り作家さんやお店の人が、商品が売れたときに「早速お嫁に行きました」「もうお嫁入りしました」と言ったり、SNSに書いたりするのをよく見聞きします。

買った人が女性であった場合でも「お嫁に行きました」「嫁入りしました」です。物になぞらえられるのは常に女性。比喩として「早速お婿に行きました」「もうお婿入りしました」と見聞きすることはありません(もちろん、女性と女性の結婚もありますが、その場合、どちらかが「嫁」として婚家に入るという感覚はないのでは)。

20190709

「らしく」なんて言葉は人を縛るのかもしれない

小さいころよく、「子どもらしくない」と怒られたり、驚かれたりした。先日書いたように、保育園の職員室から自分ちに電話をかけるような子だった。「子どもらしい」って何なんだろう? 社会的に想定されている「子ども」というものの振る舞いとか、期待されている何かがあるんだろう。そんなものは空想でしかない。一人一人の人間をしっかりを見つめれば、「子どもらしい」なんていうものは実態がないことがわかる。

20190702

「子どもらしくない」と怒られた話

保育園に通っていたとき、職員室から自宅に電話をかけて「殺されるー!」と親に助けを求めたことがある。親は大急ぎで保育園に駆けつけたそうだが、そのときは会わせてもらえなかった。夕方迎えに来てくれた親によると、先生(保育士)はものすごい剣幕で怒っていたらしい。

20190625

大切なことを大切な人たちと共有するかどうかについて

かつてある人(Aさんとする)が夫婦円満の秘訣を「夫婦だからって、何だって話しているわけじゃない。なんでも共有する必要なんかない」と語っていた。何人かでカフェで話していて、生き方や社会について考えていることを家族と話すかどうかという話題になったときのこと。

私が甜菜糖(てんさい糖)を選ばない理由

身体によさそうなレシピの本で、甘味づけにてんさい糖が使われているのをたびたび見かける。そのためか、私もかつてはそうだったが、てんさい糖が砂糖のなかでは最も身体によいと思っている人も多い。

今は砂糖そのものをやめているが、砂糖を食べる人の参考になるかもしれないと思うので、私がてんさい糖は積極的には選ばない理由をいくつか挙げてみたい。

20190618

自分と相手の違いを受け入れられれば楽になる

一緒に暮らしているパートナーや家族でも、感覚も違えば、考え方も違う、全く別個の人間だという事実を、忘れがちになることは多い。

ずいぶん前のことだが、ちょっと小洒落た温泉に行ったとき、「夫がフェイスタオルで全身を拭くのが気持ち悪い」と女性がぐちをこぼしているのが聞こえてきた。一緒に来ていた女性は「わかるー!」と共感を示していた。そういうものなのか。

20190611

すきなことばー「暮らしがしごと、しごとが暮らし」

「暮らしがしごと、しごとが暮らし」―山で自然に沿った暮らしをされながらちくちくしごとをされている作家の早川ユミさんが、パートナーのてっぺいさんの父でアーティストの小野セツローさんから贈られた、河井寛次郎さんの言葉だそうだ。雑誌『天然生活』に連載されている早川ユミさんのコラムのタイトルになっていて知り、たいへん素敵な言葉だと思った。

この言葉を聞いてから、お金になっていることが仕事だと思ってしまいがちだなあとたびたび反省する。お金をもらう仕事が重なるときは重なるものだが、ないときはぱったりないもので、「今日はなんにも仕事をしなかったな」という日には少し気持ちが焦ってしまう。お金をもらってする仕事がないときは、暮らしのしごとをていねいに楽しむようにしたい。

20190604

小さい子どもに家事をお手伝いさせるのはかわいそう?

『はなちゃん12歳の台所』という本を読んで、とても感銘を受けた。

2016年の映画『はなちゃんのみそ汁』の「はなちゃん」が書いたエッセイとレシピの本。映画では5歳だったはなさんが成長して12歳のときに書いている。レシピや食についてのコラムがおもしろかっただけではなく、ユーモアもあり、自分のことも将来の目標もしっかり考えていることが伝わってきて、本当に立派な人だなあと思った。

20190528

望まされている望みと、自分の本当の望みを区別する

ツバメノートは書きやすくて、もう何冊も使っている。クリスマスが近いある日のこと、使用中のノートがあと数ページになっていることに気づき、近所のショッピングモールへ買いに出かけた。

文房具コーナーへ着くと、いつもツバメノートがあった場所がゲームだらけになっていた。ツバメノートは隅っこに見つかった。クリスマスシーズンだけに、サンタクロースにどのゲームをねだろうか、子どもたちに目移りさせようという作戦だろうと想像した。

色とりどりに装飾され、楽しそうに演出され、華々しく宣伝されて、動画ディスプレイでは夢中になってしまいそうなゲームの一幕が繰り返し映し出されている。テレビCMなどでも盛んに宣伝されているのだろう。子どものころに通ったら、もしかしたら欲しくてたまらなくなってしまったかもしれない。

この光景を見ていて、多くの人が「欲しい」と思っているものは、本当に本人が「欲しい」と思っているものなのだろうか?と疑問に思った。

20190521

できていないことよりも、できたことを振り返る

今日することリスト、今月したいことリストを書くようになった。が、しかし、できていないことが気になりだす。書いてあることをやらなかった日には、「ま、いっか」と思いながらも、なんだかいやなもやもやが残る。

できていないことややり残したことがある場合、いつか、やろうと思っていると、ずるずると時間が過ぎてしまう。かといって、できていないことを書き出して、いつやるかを決めると、精神的に参ってくる。

一日の始め、一月の始めにはすることやしたいことをリストにするのは続けつつ、一日を振り返る時間には、その日できたことを書き出してみることにした。することリストやしたいことリストに入っていないことでも、楽しい話をしたとか、家族にメールを返信して喜ばれてうれしかったとか、思いつくままに、その日したことを書き出してみると、意外といろいろやっていたことがわかることもある。

20190507

砂糖をやめたい方へ―私が砂糖断ちに成功するまでのプロセス

「お砂糖をやめたい!」という声をよく見聞きするようになりました。ダイエットではなく、心の健康や体質改善のためです。

私もかつては砂糖を止めたくてもなかなか止められず、小さな不調はたびたびありましたが、大きな不調があるわけでもないので、砂糖がたくさん入った甘いお菓子の誘惑に勝てませんでした。

でも、昨年2018年の9月下旬から何度目かの砂糖断ちを試み、半年以上継続できました。自己最長記録です。半年が経過した今、甘いお菓子を見ても、なんとも思わなくなり、食べたいと思うことが全くなくなって、とても楽になりました。あまりにも快適で、今までは砂糖の奴隷になっていたのかもと思うほどです。

お砂糖をすっかりやめてから約2カ月で、頭痛や冷え、月経痛、歯の出血といった不調に悩まされることもなくなり、イライラすることも激減し、くまやくすみも治って、肌の調子も良くなりました。医学的に完全には証明されていないかもしれませんし、個人差もあると思いますが、私個人の体感としては、砂糖を食べなくなって体調に望ましい変化が出てきていることは確かです。


「いいね」40号(クレヨンハウス刊)
この特集も役立つ情報が満載でした。
表紙は眞鍋かおりさん。
眞鍋さんも砂糖断ちに成功されたそうです。

お砂糖をやめたいけどなかなかやめられない、というかつての私のような方がいたら、役に立てるかもしれないと思ったので、私がお砂糖をすっかり卒業するまでの道のりを書いてみたいと思います。

20190430

つらい経験は成長するのに必須ではない

苦労は必ずしも、成長に必須のものではない。苦労をしなくても、成長は可能だと思う。苦労がないに越したことはない。

中学生のころ、先輩を送り出す会で在校生が歌う定番ソングが海援隊の「贈る言葉」だった。「人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」という歌詞に、当時はぐっときたものだが、今は「そんなこともないんでない?」と思う。

今は、悲しみや挫折を経験してこなくても優しい人を何人も知っている。甘やかされて育ったり、溺愛されて育ったりして、他人に負担をかけているといった認識に乏しい無責任な人もいるが、それは自立心を養う機会がなかっただけ。楽しいことをしながらでも、自立心や思いやりを身につけることはできる。

20190423

「世界の問題を見るな、話すな」というスピ系の人たちからの批判について

ここ数年、スピ系の人が増えてきたと感じる。

スピ系というのは、私のなかでは、スピリチュアル系の本やネット情報をいろいろ読んで、ただ鵜呑みにして、生半可なスピリチュアルの知識を信じ切っている人たちのこと、という感じで認識している。

そうした人たちの間では、世界で起こっている出来事に目を向けてはいけないという主張が多い。ネガティブな気分を引き起こすようなものを見たり、話したりしていると、それが現実化してしまうから見ても話してもいけない。ネガティブな気分を引き起こすようなものは、波動を下げるから近づいてはいけない。言霊には力があるから、ネガティブな気分をもたらすような言葉は使ってはいけない。そういったことが根拠になっているようだ。

20190416

「言葉をまだ話さない子に大人の話はわからない」?

小さい子は大人の言っていることはわからないと思っている人も多いように思うが、そうでもないように思う。まだ話すことができない子も、語彙がないないだけで、大人が話していることをなんとなく理解しているような気がする。

20190409

自分を大切にすることは社会貢献の第一歩

だれかの役に立ちたい。困っている人を助けたい。だれかを笑顔にする仕事がしたい。社会貢献がしたい。こうした望みは、きっと誰しも、多かれ少なかれ、持っているものではないかと思う。

私のなかにもそれはある。でも、「それはなぜか?」と考えてみると、「まわりに認められたい」「偉いヤツだと思われたい」といった、承認欲求から来ているものでは全くないとは言えない感じがする。この段階では、本当に純粋に、他者の幸せを望んでいるものではないので、「順序を間違えたらいけないな」と、闇雲に行動に走ることは控えている。

20190402

自己犠牲について

自分のことは後まわしにして、まわりのために尽くす。世間では、自分を犠牲することは、立派な行為、尊い心がけのように見なされているように思える。

「世のため、人のため」という教えを、小さいころから叩き込まれてきたような気がする。「自分はいいから」と身を引いたり、我慢したりすることが、立派な人間のすることだという考え方に、あまり疑問を感じてこなかった。

でも、自分を犠牲にすることは、本当の意味では「世のため、人のため」にはならないと最近思う。

20190326

大切なことは身近にある

世間一般で「すごい!」と言われることに、つい骨髄反射的に「すごい!」と思ってしまう。

たとえば、金メダルを取ったとか、栄誉ある賞を受賞したとか、長者番付に載ったとか、本がベストセラーになったとか、SNSでフォロワーが何万人超だとか。

こういう話題を聞くと、思わず「すごいねー!」と反応してしまう。でも、その数秒後には「果たしてそれは本当にすごいのか?」と問いかける自分が心のどこかにいる。

20190319

だれかに言われたことに嫌な気分が生じたら

人の意見はさまざまだ。人生設計や生き方となると、なおさらで、相反する玉石混交の意見が飛び交っている。

20190312

あれから8年

東日本大震災と東京電力の原発事故から昨日で8年が経った。

今でも困難な生活を強いられている人もいる。不安のなかで暮らしている人もいる。傷が癒えていない人もいる。家族や親戚、友人や地域の人々との関係が大きく変わってしまった人もいる。震災だけだったらどうにかなったけど、原発事故があったから、放射能は目に見えないし、今も原発から出続けているから、もとの暮らしには戻れないという声も多く見聞きしてきた。

せめてこの日くらいは、被災された方々の気持ちを想像し、あの事故が私たちの世界に問いかけた大きな課題について、どうしたら解決できるのか、考える時間を持ちたいと思っている。

20190305

家事を好きになるには―まずは要因を観察する

最近、あまり好きではなかった家事が、急に嫌ではなくなってきた感じがする。

家事がすごく嫌いというわけでもないものの、「むちゃくちゃ好きでずっとやっていたい!」というわけでもなく、「好きか、嫌いか」と二択で聞かれたら、どちらかといえば嫌いなほうだった。どうせ毎日やらないといけないものなのだから、いやいややるよりもだったら、好きになれたほうが毎日を楽しく過ごせるし、好きになれたらいいのになあと思ってきた。

20190226

羊に痛みを与えないノンミュールシングのウールを選びたい―「ミュールジング」とは?

大好きなフェアトレードブランドのピープルツリー。購読しているメールマガジンで、以前、気になる情報があった。
ピープルツリーのニットは、ニュージーランドのウールを使っています。
ニュージーランドでは、ヒツジにとって残酷な処置である「ミュールシング」が国の法律で禁止されているので、ノンミュールシング・ウールであることがきちんと保証できるからです。
ピープルツリー The Days 2018/10/31「ヒツジにもやさしい。着まわし優秀なシンプルニット」より)

20190219

インスタグラムをやらない理由

インスタグラムという写真を共有するSNSがある。登録しなくても閲覧だけはできるので、すきなお店や作家さんの情報を得るのに、たまにのぞいている。

最近では、臨時休業や営業時間の変更も、インスタグラムだけで伝えているお店も多いので、訪問の前にインスタグラムを確認するようになった。

他人から「どうしてやらないの?」と思われていそうだなあと察知してしまうこともよくある。登録すらせずに閲覧しているだけでも、自分には無理だなとすごく思う。

20190212

子を生むのは「ホーム」と呼べる空間を作ってからという考えにふれて

ここが「ホーム」だと思える空間を作るまでは、子を生むべきではないと思うという考え方を聞いて、なるほど、と思った。

私は落ち着かないところで育った。まず、近所の仲が悪い。常にうわさ話を探していて、回覧板を持ってくる近所の人も、野次馬根性を満たす情報か、食べ物をもらうまで帰らない。道具を盗んでいく人もいた。町内会の飲み会ではいざこざが絶えない。親からは、家の中にいても「外敵に気をつけろ。大きな声で話すな」とよく注意された。大人になって故郷を離れた今、故郷は好きだし、愛着もあるが、帰りたいと思う場所ではなくなってしまった(時間が経つにつれて、近所の人たちも変わっていき、今はだいぶましになったようだが)。

20190205

物事をありのままに捉えることの難しさ

物事をありのままに捉えようとはよく言われるが、たやすいことではない。そう思わされる出来事が続いた。

20190129

『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』を読んで

書店に立ち寄ると、こんなタイトルの本が視界に飛び込んできた。

『多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。』

ちょっと気の抜けたネコのイラストに気持ちが緩む4コマまんがに続けて、そのまんがが生まれた背景や、まんがだけでは説明しきれない部分が簡潔な文章で綴られている。

20190122

ナチュラルでシンプルなケアに至るまで

今ではかなりシンプルなケアに落ち着いたが、ここに至るまで、本当にさまざまな化粧品に手を出し、肌の手入れに一日に何時間もかかっていたころもあった。

20190108

食品のラベル表示の簡略名と一括表示に関する資料を読んで

食品の材料のラベル表示について、簡略名と一括表示に関する資料を読んだ。

私は台所にないものが入っているものは買わないというスタンスなので、簡略名のものだろうと、一括表示だろうと、ラベルに変なものが入っていたら棚に戻すが、1つ以上入っている可能性があるということは初めて知った。

20190104

食品のラベル表示を確認。台所にない原料を食べる必要があるだろうか

食べ物を買うとき、原材料のラベルを確認するだろうか。

何も知らなかったときでも、私はよくラベルを見ていた。親がよく飲んでいた栄養ドリンク剤のラベルで、カラメル色素、パラベン、果糖ブドウ糖液糖などを目にしていた。食べてもいいものかどうか疑う気持ちはまったくなく、単に、国で認可されているものなのだから大丈夫だろう、くらいにしか思っていなかった。

翻訳の仕事で訳した企業の非財務的価値に関する評価報告書で、パラベンなどの化学物質に関する記述を読み、日本で認可されていても、海外では危険視されているものもあって、ほとんどは危険だとは証明されていないが、完全に安全だとも証明されておらず、「疑わしきは使わない」というリスク軽減意識のある先進国では使用を控える傾向にあることを知った。よくわからなくても、ラベルを見ていてなんとなく覚えていたおかげで、その記述と、食の問題とがつながった。