20190430

つらい経験は成長するのに必須ではない

苦労は必ずしも、成長に必須のものではない。苦労をしなくても、成長は可能だと思う。苦労がないに越したことはない。

中学生のころ、先輩を送り出す会で在校生が歌う定番ソングが海援隊の「贈る言葉」だった。「人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから」という歌詞に、当時はぐっときたものだが、今は「そんなこともないんでない?」と思う。

今は、悲しみや挫折を経験してこなくても優しい人を何人も知っている。甘やかされて育ったり、溺愛されて育ったりして、他人に負担をかけているといった認識に乏しい無責任な人もいるが、それは自立心を養う機会がなかっただけ。楽しいことをしながらでも、自立心や思いやりを身につけることはできる。

20190423

「世界の問題を見るな、話すな」というスピ系の人たちからの批判について

ここ数年、スピ系の人が増えてきたと感じる。

スピ系というのは、私のなかでは、スピリチュアル系の本やネット情報をいろいろ読んで、ただ鵜呑みにして、生半可なスピリチュアルの知識を信じ切っている人たちのこと、という感じで認識している。

そうした人たちの間では、世界で起こっている出来事に目を向けてはいけないという主張が多い。ネガティブな気分を引き起こすようなものを見たり、話したりしていると、それが現実化してしまうから見ても話してもいけない。ネガティブな気分を引き起こすようなものは、波動を下げるから近づいてはいけない。言霊には力があるから、ネガティブな気分をもたらすような言葉は使ってはいけない。そういったことが根拠になっているようだ。

20190416

「言葉をまだ話さない子に大人の話はわからない」?

小さい子は大人の言っていることはわからないと思っている人も多いように思うが、そうでもないように思う。まだ話すことができない子も、語彙がないないだけで、大人が話していることをなんとなく理解しているような気がする。

20190409

自分を大切にすることは社会貢献の第一歩

だれかの役に立ちたい。困っている人を助けたい。だれかを笑顔にする仕事がしたい。社会貢献がしたい。こうした望みは、きっと誰しも、多かれ少なかれ、持っているものではないかと思う。

私のなかにもそれはある。でも、「それはなぜか?」と考えてみると、「まわりに認められたい」「偉いヤツだと思われたい」といった、承認欲求から来ているものでは全くないとは言えない感じがする。この段階では、本当に純粋に、他者の幸せを望んでいるものではないので、「順序を間違えたらいけないな」と、闇雲に行動に走ることは控えている。

20190402

自己犠牲について

自分のことは後まわしにして、まわりのために尽くす。世間では、自分を犠牲することは、立派な行為、尊い心がけのように見なされているように思える。

「世のため、人のため」という教えを、小さいころから叩き込まれてきたような気がする。「自分はいいから」と身を引いたり、我慢したりすることが、立派な人間のすることだという考え方に、あまり疑問を感じてこなかった。

でも、自分を犠牲にすることは、本当の意味では「世のため、人のため」にはならないと最近思う。