20140529

郷に入れば

畑と田んぼは、機械を入れずに、鎌や鍬、スコップを使い、全部手作業でやってみています。手でやっていると、近所の人たちが心配して気の毒そうに声をかけてくれます。

私たちとしては、手作業のほうが重い機械を持って出かけるよりも気楽で、会話も自然の音も楽しめて好きなのです。鍬でさえ、土を肥やしてくれているミミズをざくっとやってしまったことがあり、私がトラクターを使ったら大量殺戮になってしまうとも思いました。機械は使えば使うほど、土が締まって団粒構造が崩れるとも聞きました。

畑の近所の方たちはとても親切で、運がよかったなぁと思っています。いつも快く手伝おうかと声をかけてくださる方もいます。ただ、私の感覚が一般的な認識とだいぶずれていることもあり、思うままにはしにくいことも出てきました。無農薬・無肥料・不耕起の自然栽培の方針以外では、初めはやっぱり、郷に入れば郷に従え、かなぁと思います。

男女についての考え方がだいぶ東京とは違うと感じます。これは推測ですが、女に力仕事をさせる男はとんでもない、野良仕事をさせられる女は不憫だと思う男性が多いようで、私が畑に出ていると、相方がいろいろと言われることがあります。「こんなことをしたって無駄な抵抗。無意味!」と激しくキレられたこともありました(キレた方とはその後、相方が一人のときにうまく話し合いが進み、いろいろ助けてもらったそう。この時は機嫌が悪かっただけで、本当は協力的な優しい方のよう)。はっきりと男女観について語られたことはまだありませんが、私が畑にいるときと相方だけのときとでは態度が全然違うように感じていて、そうなのかなぁと思いました。近所で見る限り、女性や子どもが畑に来るのは本当に手が要るときで、女性一人で畑仕事をしている姿は小さな家庭菜園でしかあまり見かけません。まぁ、私がもっとがっちりしていて逞しければそんなこともないのだと思うのですが…。

手でやるのが好きなので、と言っても、機械でやることに慣れている方たちには感覚的になかなかこの楽しさが伝わらず、説明に作業の時間を削ったり、私のエネルギーが削がれて回復に時間がかかったりするので、相方と相談して、きちんと田畑が整備されるまでは私は隠れていることにしました(まだ開墾という感じなので…)。ムカデ事件以来、虫が怖くて、独りで家にいられないので、相方が畑に行っているときはカフェに避難しています。

実績があればまだ話もわかってもらえると思うのですが、初の試みなので、今のところこれがベストかな、と思っています。今までこの土地を見守ってきてくださり、用水路のことなど重要なことを教えてくださる親切な大先輩たちなので、多少の違いで対立するよりも、譲れる部分は譲らないと、と思いました。徐々に信頼関係を築いていきたいです。

相方に申し訳ないなぁと思うし、畑はどんな感じかなぁとやきもきしてしまいますが、今は勉強の時間ができたと考えて、英語の本を読んだりしています。相方の頼もしい面もわかったし、思いがけず勉強の時間もできたし、とポジティブに捉えています。

ついでながら、こっちに来てびっくりしたのは、相方と二人でいると、初対面でも子どもの有無をきかれること。名前は聞かれないのに、「お子さんは?」といきなり聞かれることも多々有ります。秋田も田舎ですが、不妊や経済的または家庭の事情などで悩んでいるかもしれないなどと配慮して、仲がよい相手にも子どもがいるかどうかはまずきくことはありませんでした。母に電話で話したときもそう言ってしました。今のところ、男性だと30代後半、女性だと40代より若い方にはきかれたことがないので、若い世代はもう少し感覚が違うかもしれません。

子どもがいないと答えると、「早く子どもを作らないと」と言われることもあり、これまた衝撃的でした。子どもを持つのも持たないのも個人の自由で、どちらの場合も幸せの1つの形、という感覚がない方が多いのかなぁと思いました。少子化で故郷の将来を案じているのかもとも思いましたが、それならなおさら、そういうプレッシャーをかけないほうが、若い人は入ってきやすいと思いました。

東京では顕在化していなかっただけかもしれませんが、一定の年齢で結婚して子どもを産んで、男が外で働いて女は奥で家庭を守り、みたいな固定観念が根強いんだなぁと感じます。相方と一緒にいると私は決まって「奥さん」と呼ばれます。悪意はないし、丁寧な言葉だとは理解していますが、あんまり、奥、奥と言われると、外の世界で活躍してはいけない存在になったような感じがして、気が滅入ります。東京でも秋田でも、初対面の男女を相手に、男を「ご主人」「旦那さん」、女を「奥さん」と呼ぶ人に会ったことがなかったので、慣れるまでしんどかったです。友だちに話したら、欧米ではこういうことは「assuming」(憶測で決めつけること)と言って失礼に当たるというのが常識だけど、日本では都会でもまだ見られると教えてくれました。

日本の昔からの家族の在り方とはよく言いますが、封建的な社会になってからの話で、所有という観念がなかった縄文時代とかは今のプロトタイプとは違ったと思うし、そういう昔からしたらどっちが昔からと言えるだろうかと疑問です。私と相方は、どちらも自立した個人であり、お互いとお互いの家族と歴史を尊重しあい、共鳴と協力に基づいたパートナーだと認識しています。私の感覚が日本の一般的通念と違うのですが、そのほうが男の人も女の人も自分の心の声に従ってもっと自由に幸せに生きられると思います。望むなら男だって家庭に活躍の場を見つけていいんだし、女だって外の世界で活躍していいし、男だからって義務感で嫌な仕事を続けなくても休息や充電、勉強やスキル獲得のために休んでその間は女が働いて家庭を支えるっていうスタイルだって在りだと思うのです。先進的と言われるヨーロッパでは常識になっているし、ヨーロッパ→都会→日本全体の常識に広がっていくといいなぁと思います。

大変なこともありますが、それも自分が望ましいと感じていることをはっきりさせるいい機会、 多様な人と信頼関係を築く訓練だと受け止めています。

20140527

ヤナの森の生活


大きな虫が出て不安に心がしぼんでいたときに、近所の書店で出会った本です。

ムカデに噛まれて意気消沈な今、読み返して元気をもらっています。マングースよりはムカデのがマシか~。。虫が嫌で、最近よくイオンに避難している私に、暮らしを創っていくやる気を取り戻させてくれたのと同時に、大切なことを思い出させてくれる本でした。自然と調和したサステナブルな暮らしを創る。感謝して生きる。初心に返りました。またがんばります。

そして、こんな素敵な本の翻訳がいつかできたらいいなぁという夢もできました。