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20210822

大人の役割

東京に住んでいたころ、足しげく通っていたカレー屋さんがある。薬膳カレーがおいしくて、何度も食べに行っているうちにお店の方と顔見知りになり、さまざまな話をするようになった。

お店の方は藝術にも、環境問題にも、社会問題にも、全方向に造詣が深く、話題は多岐にわたった。アイヌ刺繍や素晴らしい詩や映画など、美しいものとの出会いもたくさんいただいた。フェアトレードの東ティモール産のコーヒーの味もここで初めて知った。東ティモールという国で起こったことも初めて知った(その後映画『カンタティモール』を見ることにもつながった)。

20190820

暮らしのなかで望む世界をじわじわ創る

望む世界を創るのに、アプローチはさまざまある。政治的なアプローチ、NPO的なアプローチ、投資的なアプローチ、アート面からのアプローチなどなど。一番取り組みやすくて、続けやすいのは、暮らしのなかで実践していくことではないだろうか。

20190719

選挙のこと、忌野清志郎さんの言葉、山本太郎さんへの応援演説・・・など

7月21日が参議院選挙の投票日。選挙のことを書こうかどうか迷っていたけれど、ぎりぎりだけど、やっぱり書こうと思う。

3.11が起こる前までは、政治には全く無関心だった。投票で政治が変えられるとも思っていなかった。大学生のときに、投票に行かないことで政治学の先生に悲しみと怒りに満ちた目で見つめられながら叱られても、投票に行かないことの意味はよくわからなかった。

でも、原発事故が起こって、「どうしてこういうことが起こっているんだろう?」と調べていくうちに、政治を動かしている議員にどういう人間がいるかが重要で、それを決めているのは投票する有権者(自分も含めて)だということがわかった。投票に行かないこと、政治や社会のことについてきちんと考えてこなかったことによって、原発の事故を起こすのに自分も少なからず加担していたのだと思うと悲しくなった。その後、沖縄の米軍基地問題、遺伝子組み換え作物、ダムなど、他の問題も原発の問題と同じ構造で起こっていることを知った。

今すぐ変わらなくても、じわじわとは変わる。爆笑問題の太田光さんが選挙なんか行かなくていいみたいなことを公言したのを忌野清志郎さんが読んで、太田さんに「政治に無関心でいいなんて言っていると、きみの息子なんかが戦争に行っちゃうわけよ」と言ったというエピソードがある。逆に言えば、関心を持って行動すれば、望まないことが実現してしまうのを少しでも遅らせることができ、行動する人が多ければ、望む世界をつくるのを早めることができる。

その行動の1つが投票で、ほとんど誰でもできること。投票先を決めるのは、そんなに時間のかかることではない。ネットで少し調べれば、5分もかからない。現状に満足しているなら、与党に投票すればいいし、今の与党は組織票がたくさんあるから投票に行かなくたっていい。現状に満足していないなら、野党を比較して検討する(市民連合のガイドブックがわかりやすい)。ちなみに、選出される議員が1人の32の選挙区の野党の統一候補一覧は、市民連合がまとめてくれている。

普段から情報を仕入れて、自分なりに考えるようにしていると、こういう候補者に投票したい、というのがはっきりしてきて、こうしたリサーチは特に必要がなくなる。普段からの情報収集は、たいへんなことではなく、むしろおもしろい。最近は、問題をあぶり出すだけではなく、解決の方向を向いて論考してくれているものが増えてきて、ますますおもしろくなってきた。無関心でいて自分が望まない世の中をつくるのに加勢するよりも、関心をもって自分が望む世の中をつくるのに加勢したほうがずっとおもしろい。

さっき、ほとんど誰でもと書いたが、お金持ちかそうでないか、男性かそうでないかにかかわらず、一定の年齢以上なら資格を停止されている人を除いて誰でも投票できるようになったのは、先人の長い闘いのおかげだ。

期日前投票をすでに済ませたが、山本太郎さんの立ち上げた「れいわ新選組」の街頭演説がとてもおもしろく、折を見て書き起こしを読んでいる。脳科学者の茂木健一郎さんや作家の島田雅彦さん、ギタリストのSUGIZOさんなど、さまざまな著名人もかけつけて応援演説をしていて、その書き起こしも読むことができ、それらを読むだけでもとても勉強になる。書き起こしはこちらの「活動レポート」のページから読める。

最後に島田雅彦さんの応援メッセージの中からこの言葉を引用して終わりたい。
国民は政治的無関心に誘導され、日本がどうなろうと知ったことかと思わされています。首相や閣僚、その不愉快な仲間たちがどんな不正を働いても国民は知らんぷりしてくれる、まさにそれこそ政府が望むところで、白紙委任状を受け取ったつもりでやりたい放題やってるのです。
・・・〈中略〉・・・
私たちは大人なのだから、この不愉快極まる現状を変えなければなりません。私たちには良心の自由もあれば、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利もあるのだから、今、それを使わずにいつ使うんですか? 早くしないとその自由と権利を奪われてしまいます。投票に行きましょう。現政権の横暴を止めるために、山本太郎に、れいわ新選組に、あるいは野党共闘の候補者に一票を投じましょう。
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20190312

あれから8年

東日本大震災と東京電力の原発事故から昨日で8年が経った。

今でも困難な生活を強いられている人もいる。不安のなかで暮らしている人もいる。傷が癒えていない人もいる。家族や親戚、友人や地域の人々との関係が大きく変わってしまった人もいる。震災だけだったらどうにかなったけど、原発事故があったから、放射能は目に見えないし、今も原発から出続けているから、もとの暮らしには戻れないという声も多く見聞きしてきた。

せめてこの日くらいは、被災された方々の気持ちを想像し、あの事故が私たちの世界に問いかけた大きな課題について、どうしたら解決できるのか、考える時間を持ちたいと思っている。

20180911

「デモや署名ではなんにも変わらなかった」―とある有名作家の発言を受けて

3年ほど前、自然と調和したライフスタイルを追求し、手のしごとを大切にする丁寧な暮らし方を自らも実践しながら提唱されている有名な手仕事作家が、近くのお店で展示会と縫い物のワークショップをしていたので見に行った。展示を見に行ったのが、縫い物のワークショップとちょうど重なり、その有名作家のレクチャーが聞こえた。少しどきどきした。

楽しげなトークの途中で、「署名運動もやったし、デモにも行ったけど、なあーんにも変わらなかった! それで気づいたんです。暮らしが大切だって。暮らしが変われば、社会は変わるの」といったようなことを語っているのが聞こえた。数十人の参加者(女性のみ)はキラキラした憧れの眼差しで作家を見つめている。私は憧れが一気に冷めてしまった。

20180703

BBCのドキュメンタリー「Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」についての記事や反応を読んで

6月28日にBBCでドキュメンタリー「Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」が放送された。

著名ジャーナリストの山口敬之氏によるレイプを告発し、性犯罪に関する司法制度と被害者に対する支援体制の現状に問題提起をしたジャーナリストの伊藤詩織さんの事件を中心に、日本の根深い男女差別の問題、社会通念、性犯罪被害者が声を上げにくい日本の社会状況を伝えている。

日本では見ることができないが、番組の概要と番組の一部映像、放送後の視聴者からの反応は以下の記事にまとめられている。
「日本の秘められた恥」  伊藤詩織氏のドキュメンタリーをBBCが放送
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44638987
イギリスでは7月28日までこちらのページで視聴できる。
BBC Two - Japan's Secret Shame

20180501

生活保護を題材にした漫画『健康で文化的な最低限度の生活』のこと

生活保護をテーマにした漫画があることを、岩波書店の月刊誌『世界』の2018年2月号で知った。この漫画『健康で文化的な最低限度の生活』の作者・柏木ハルコさんと、福祉的な支援が必要な案件を専門とする弁護士の安井飛鳥さんとの対談『“理解されない生活保護”が生命をつなぐ』はとても興味深い内容だった。

20171226

サーロー節子さんのノーベル平和賞受賞スピーチを聴いて

核兵器廃絶国際キャンペーン「ICAN」(International Campaign to Abolish Nuclear weaponsの略)がノーベル平和賞を受賞し、活動をともにしてきたサーロー節子さんが受賞スピーチをした。サーロー節子さんは、広島県で13歳のときに原子爆弾に被爆し、どうにか生き延びた後、核兵器の廃絶運動に尽力されてきた。原子爆弾が落ちて生き延びるまでの体験についてもスピーチの中で語られている。

私はサーロー節子さんのスピーチのことを、ICAN国際運営委員の川崎哲さんのツイッターで知った。本当に素晴らしくて、心を動かされた。つらい経験、暴力を正当化する世界という悲しい現実を語りながらも、希望に満ちた力強いスピーチだった。映像でも観客は総立ちでスタンディングオベーションを送り、涙をする人もいた。ぜひご覧いただきたい。

20171219

同性婚合法化をめぐるオーストラリアの国民投票の記事を読んで

先月、同性婚の合法化を支持するかどうかの国民投票の結果についてのニュースを読んだ。オーストラリアでは投票した人のうちの61%が同性婚の合法化に賛成、38%が反対という結果になったそうだ(投票率は79.5%)。

オーストラリア国民投票、同性婚の合法化を支持 CNN 2017.11.15
https://www.cnn.co.jp/world/35110416.html

賛成が多数派を占めたので、合法化に向けて政府が動き出すということで安堵する反面、「4割近くも反対なの?」と残念にも思った。誰を好きになるかなんて人の勝手だし、お互いに幸せだったらそれで問題ないのに、「結婚していいですよ」なんて全くの他人に許可をもらう必要があるんだろうか。

20160917

怒りの矛先を間違えない

うちはほぼ玄米菜食で、私は野菜さえあれば満足なのですが、相方がときどき、スーパーなどで魚を見ると食べたがります。漁港直送の新鮮な珍しい魚が近所のスーパーでも並んでいておいしいので、無理もありません。

しかし、海にも放射性物質は垂れ流されつづげているし、空気中に飛散し続けている放射性物質も雨になって降り注ぎ、川をつたって入り込むものもあります。魚は生き物なので、捕獲されたのが他県でも、泳いできた場所によっては放射性物質を取り込んでいる可能性もある。検査もきちんとは実施されていないので、相方は魚を食べたいけど、放射能汚染を心配しています。私は魚を食べなくても平気なので、放射能汚染の心配をしてまで魚は食べなくてもいいのですが…。

相方は、スーパーに行くと、魚コーナーに必ず寄り、いい魚ないかな~と物色します。私はそんなに食べられないのですが(少しで満足してしまう)、放射能汚染の心配のたぶん少なそうな日本海側や南のほうのお魚を一緒に探して、よさそうなのを見つけると相方に教えます。

tom-tom:これ、おいしそうだよ~
相方:うーん…
tom-tom:こっちは?
相方:うーん……
tom-tom:私別に食べなくてもいいんだけど…
相方:うーん、おいしそうなんやけどね、この魚、泳ぎまくるんかな?

放射能汚染が心配で、どこを泳いできた魚なのかが知りたいということです。

私は魚を食べなくても平気なので、魚を見に行く必要は全くないのですが、相方が食べたいと言うから一緒に探しているのに、毎回このやりとりになるのは、たまにイラっとすることもあります。「あんたが食べたいって言うから見に来てるのに毎回その質問。そんなん言うんやったら魚らてもう食べんかったらええやろ。魚博士になってから食べたらええわ」とブチ切れてしまうこともたまに…。

でも、わるいのは相方じゃないんですよね…。相方が放射能汚染を撒き散らしているわけではないのですから、相方に怒りを向けるのは矛先が間違っています。

相方の心配はおおげさではありません。海外では日本の海産物を輸入禁止にしていたり、輸入する場合は放射能検査を要請または自国で放射能検査を実施している国もあるほどです。秋田で放射能検査を個人で実施して情報公開をしてくださっている「べぐれでねが」さんの調査では、静岡県の沼津で水揚げされ、外食産業などの業者向けに普通に販売されていたアオザメから放射性物質が707ベクレル(ちなみに日本の現在の基準は100ベクレル)検出されたということです。

目に見えない放射能をばらまいているのは東京電力と、一緒になって原発を推進してきた政府。そしてその政府をつくった原因の一つには有権者が無関心を続けてきたことがあります(もちろん、国民が関心を持たないように仕向けてきたというのもありますが)。怒りを向けるべきは、そっちなのです。

放射能汚染のない食べ物を安心して食べられるようになりたい、世界から原発をなくしたい。その願いを持っているのなら、むしろ、相方はその仲間。その相方にブチ切れるのは、怒りの矛先を間違えています。

こういうことが、一般にも広く見受けられます。同じ願いを共有して活動している仲間なのに、努力が足りないとなじったり、足を引っ張ったり、けなしたり、意見や考え方がちょっと違うだけで誹謗中傷を浴びせたり…。自分が望む現実をつくっていくためには、理想を共有する仲間に、短絡的な怒りをぶつけるのではなく、同じ方向を向いて協力できるように努めることが大切だと思います。

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20160916

沖縄・高江のドキュメンタリー映画『標的の村』(三上智恵監督作品)を観て

沖縄の高江に国が強行的に建設を進めようとしているアメリカ軍のオスプレイパッドの問題を克明に描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を観てきました。

◎解説はこちら:http://www.hyoteki.com/introduction/

オスプレイパッドに反対している人たちは、過激な人たちでは決してありません。私たちと全く同じように、ただ平穏に、普通の暮らしがしたいだけ。映画に登場するUAさんの歌にも「オスプレイはいらない 静かに寝たい」という歌詞が出てきます。

また、高江は自然が豊かな森です。映画には珍しい亀が姿を見せていましたが、命の溢れる森です。ここで、子どもたちは自然と遊び、大人たちは農業を営んだり、カフェを開いたり、木工職人をしたり、自然とともにある暮らしを営んでいる心の穏やかな人々が、自然と人間らしい暮らしを守るために、座り込みをせざるを得ない。

オスプレイは事故が多く、アメリカでは国民の反対で飛行訓練ができません。ハワイではコウモリの生態に悪影響を与えるということで、オスプレイ演習が禁止されていますが、沖縄では低空を米軍機が飛び回っています(*)。沖縄だけでなく、日本全国の上空にはアメリカ軍は自由に飛び回ることができるゾーンがあり、愛媛の伊方原発のすぐそばに米軍機が墜落するというぞっとするような事故も過去に起きています(原発を標的にした攻撃訓練をしていた可能性が高いそう)。アメリカ軍が日本の上空を飛び回れることは『日本はなぜ、基地と原発を止められないのか?』にわかりやすく書かれています。
*参照:高江ゲート前に1600人が集結!参院選で当選した伊波洋一議員も駆けつけ怒り!「ハワイではコウモリのためにオスプレイの演習が禁止されている。沖縄県民はコウモリ以下なのか!」 (IWJ 2016.7.21)
説明会を開いてくれと求めても応じず、建設に反対する申し入れをしても無視され、選挙で民意をこれでもかと言うほど示しても全然ダメ。座り込みをして身体を張って止めるしかないのです。痛いし、怖いし、仕事や日常生活にも支障が出るし、本当はこんなこと、だれだってしたくない。映画に登場する市民はみんな、やりたくないけど、やるしかないから、こんなことしなくちゃいけない、と言っていました。本当に悲しいことです。

非暴力で沖縄を守ろうと身体を張っている市民を、沖縄の人たちを守るのが本来の仕事のはずの、沖縄県民の税金で雇われている警察官や、国民を守るのが本来の仕事のはずの機動隊が、暴力的に排除する。それを見て、アメリカ軍の兵士はおもしろそうに笑っている。「なんなの、これ? これが日本なの? どうなってるの?」と本当にやるせなかったです。

座り込みをして建設に反対していた市民が、国から「通行妨害だ」として訴えられます。本当に汚い。このように、政府などの権力者が市民に自主規制をさせるために訴訟を起こすことはSLAPP(スラップ)訴訟(*)と呼ばれ、司法が国民をだまらせるのに悪用されるという理由から、アメリカでは禁止されている州もあるそうです(以下によると50州中25州→SLAPP訴訟被害者連絡会)。

*SLAPP=strategic lawsuit against public participation[直訳:市民参加を排除するための戦略的な訴訟]の頭文字を取ったもの

映画に出てきた国によるSLAPP訴訟では、現場には一度も行ったことのない7歳の少女までもが被告にされていました。その子の両親は反対運動に参加していましたが、彼女は1回も現場に行ったことがありません。「国に歯向かうとこうなるんだぞ」という見せしめのためにこんな小さな子まで訴えるなんて正気でしょうか? こんな恐ろしい脅迫、まともな人間のやることとは到底考えられません。「私も牢屋に入るの?」とその子はとても不安そうでした。

このSLAPP訴訟を、アメリカのように禁止にすることは、どうしたらできるのだろうか、本当に知りたいと思いました。選挙で民意を示してもダメ、非暴力の抵抗も国による暴力で排除され、裁判でひきずりまわされる、本当にどうしたらいいんだろう。何ができるんだろう。根本的な原因はどこにあるのだろう。私はどうしたらいいんだろう。

この映画は2012年に公開されたときに、知人が見て「3年分くらい泣いた」と言っていて、ものすごく見たかったのですが、東京では結構いつでも見れてしまうため、そのうち、そのうち、と思っているうちにチャンスを逃してしまっていました。今月、近くの市民の方が、自主上映会を開いてくださり、ようやく念願が叶って見ることができました。

念願ではあったのですが、受け止めきれるだろうか、という不安もありました。これを見て、私、立ち直れるんだろうか、という不安があったのもあって、東京時代はズルズルと後のばしになってしまったというのもあります。

すでに沖縄の状況はフリージャーナリストの方々や、現場の方々のSNS投稿などで追っていたので、覚悟はできていましたが、やっぱり、しばらく、ずーん・・・と心が痛くて、痛くて。

この映画で起こっていることは2012年の状況でしたが、それから4年経っている2016年の今になっても、状況は変わらないところかますますひどくなっています。私は、映画の間だけで、90分間だけ、このつらい現実が目の前からは見えなくなって、楽しいことにうつつを抜かしたりできるけれど、沖縄の人たちはまだ続いていて、先の見えない戦いを強いられている。こんなにつらい現実のなかで、まだ幼い子どもたちも、希望を捨てずに、「オスプレイがこれ以上こないようにがんばる」「お父さんとお母さんが疲れちゃったら代わってあげられるようになりたい」と、やんばるの森を守る気持ちをしっかり持っているのを見て、本当に文字通り、涙が出ました。私はほとんどなにもできなくて本当にごめんなさい、どうしたらいいんだろう、何ができるんだろう、そんな想いがうずまいていました。

受け止めるにはつらすぎる現実ではありますが、これが日本で起こっている現実なんだ、と、国民の一人として、絶対に知っておかなければいけないし、沖縄で起こっていることは、今の政治の状況では、日本のどこでだって起こりうることなのだから、知っておくことができてよかったと思いました。

沖縄の高江で起こっていることについては、監督のコラムが充実していますので、ぜひ、読んでみてください。映画もぜひ多くの方々に見ていただきたいです。
三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記
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20160912

『愛国と信仰の構造』を読んで 〈1〉

『愛国と信仰の構造』は、政治学者の中島岳志さんと宗教学者の島薗進さんの対談をまとめた新書。

『愛国と信仰の構造』

明治から大正、昭和にかけて、日本を戦争へと向かわせた戦前のナショナリズムと全体主義がどのようにして起こっていったのかを検証している。

20160906

ナショナリズムの台頭と市民派の躍進(いわゆる二極化)について考えたこと

日本で、いわゆる「右傾化」(右翼と左翼という日本語はあいまいなのでなるべく使用を避けています)が危惧されるようになって10年ほどになるでしょうか。

最近では、ますますナショナリズムが過激になってきていて、政治の中枢にいるのも超が付くほどのナショナリスト(なのに対米追従)ばかり。日本の政治の状況は、ドナルド・トランプ氏(共和党の大統領候補で極右とみなされている)が大統領になって3回も選挙で勝たせてしまっているような状況と、映画監督の想田和弘さんが例えられていました(↓)が、確かにそうだと思います。
ヘイトスピーチも社会問題になっていますし、ネット上では「ネトウヨ」と呼ばれる人々が幅を利かせ、ナショナリズムや全体主義を煽るような雑誌や書籍が書店にもたくさん並び、嫌でもナショナリズムの台頭を感じざるを得ません。

一方で、オルタナティブな価値観を追求する人たちも増えてきています。自然栽培に取り組む人や、ダウンシフターを目指す人、自然と共に生きる暮らしを模索する人、シェアする暮らしを広げる人、そういう人たちも増えています。

よく、二極化などと言われているようですが、世界を見渡してみると、似たような状況が見られます。

イギリスでは国民投票でEU離脱が選択されましたが、その一方で、昨年末にバリバリの庶民の味方ジェレミー・コービン氏が労働党の党首に選ばれているし、首都ロンドンでは初めてイスラム教徒の市長サディク・カーン氏(労働党でprogressive)が選ばれています。

アメリカでも前述のドナルド・トランプ氏を熱狂的に応援する人もいるようですが、真に国民一人ひとりのことを考えた政策を進め、「社会民主主義者」を自称するほどprogressiveな市民派のバーニー・サンダース氏も民主党の代表選びでいいところまで行きました。カナダではリベラル派のジャスティン・トルドー氏が首相に選ばれているし、スペインでもポデモス(「俺たちはできる」という意味)という市民派の政党が第三勢力にまで成長しています。

経済学者でも、今までは弱者を保護するような経済学者ってあまり有名でなかったと思うんだけど、経済的不平等に警鐘を鳴らしたトマ・ピケティ氏が一躍有名人になっていたりもしますね。

世界中で、とりわけ、工業先進国において、ナショナリズムが急に成長している一方、オルタナティブな価値観も勢力を伸ばしている。なぜ、こういう流れが見られるのでしょう? その原因は何なのでしょうか?

まだ仮説でしかありませんが、今ある知識を合わせて考えると、こういうことなのかな、と思いました。

1%の超富裕層が「今だけ・カネだけ・自分だけ」よければそれでいいと、富の独り占めをして(*)、労働の搾取を続けてきた(というか悪化させてきた)結果、生きるのがたいへんな人が多くなっています。

*貧困問題に取り組む国際協力団体オックスファムの格差に関する報告書「最も豊かな1%のための経済」によると、世界の最富裕層1%が所有する富は2016年、残りの99%の富を上回ったそうです。
世界の上位1%が残り99%より多くの富を所有することが明らかになりました。オックスファムの発表した最新の報告書では、世界で最も裕福な62人が世界の貧しい半分の36億人の総資産に匹敵する資産を所有するに至ったことを指摘しています。この62人という数字がわずか5年前には388人、2年前には85人だったということが事態の深刻さを示しています。
生きるのが大変な人たちの中には、「自分に能力がないからだ」「自分の努力が足りないせいだ」「この程度のお金しか手にすることのできない自分は価値が低い」などと思い込まされている、もしくは、思うようになってしまった人たちもいる。そういう人たちが、自分の存在意義を何かに見出したくて、生まれという不動の条件にすがりつく。「◯◯人」であるということにプライドを持つことで、どうにか自尊心を保とうとする。

生きるのが大変な人たちは、いらだちやストレスも多いと思います。雇用主に嫌なことを言われても、生活費を得るためにガマンしないといけないかもしれない。夜中に働かされたり、寝ずに働かされたり、まともな勤務時間ではないかもしれない。低賃金で長時間労働をさせられているかもしれない。食事もままならないかもしれない。身体の調子がわるいとイライラは募りやすいものです。生活への不満も大きいでしょう。

そういういらだちやストレスのはけ口を常に求めているのではないでしょうか。その矛先が、自分よりも弱い立場にいる人、マイノリティや障がい者、女性や子ども、お年寄りなどに向かってしまう。人種差別に向けられてしまう。

自分がこんなに大変なのは、得しているヤツらがいるからだ、と誤った推論をして、憲法で保障されている当然の権利を受けているだけの人に対して、怒りの矛先を向ける(在日特権[そんなものはそもそも存在しない]とか、生活保護バッシングなんかもそうです)。

自分がバカにしたい人たちを対象にして、権力者がいじめっこの親玉のような発言をすると、快感を覚えるのでしょうか。「閣下は自分の代わりにヤツらをぶちのめしてくれる」みたいに思って、熱狂的に応援するようになるのかもしれません。

他方、生きるのが大変なら、「大変じゃない方法はなんだろう?」と考えて、システムに依存しない暮らしを始めたり、奪い合う競争社会からシェアしあう共創社会へのシフトを模索したり、自給自足的な暮らしに移ったりという人たちもいます。お金をかけなくても豊かに暮らす知恵を身につけたおもしろい人たちが世界中で増えています。

生きるのが大変ではないけれど、生きるのが大変な人たちの存在を知って、心を痛め、どうしたらこの人たちが楽に暮らせるようになるだろうか?と、行動をしている人たちもいます。その代表がバーニー・サンダースさんや、宇都宮健児さん、山本太郎さん、広河隆一さんなどだと思います。

私は、いろいろあってフリーで生きることにしたのですが、なかなか生きていくのが大変で、大変じゃない方法を模索した結果、自然とともにある暮らしにたどり着きました。自然とともにある暮らしについて、いろいろと知っていくうちに、世界中の環境破壊の問題に行きつき、そこから人権侵害の問題、資源をめぐる戦争などにもぶち当たりました。ほかにも、さまざまな問題にぶち当たり、東電と政府が引き起こした原発事故で東京から逃げてきた結果、「日本はなぜ、原発と基地を止められないのか?」という問題にもぶち当たり、さまざまな問題が、根底では一つにつながっていると実感するようになりました。

自分一人がシステムに依存しないナチュラルライフスタイルで、自由気ままな暮らしを手に入れられたとしても、政治に無関係でいられるわけはなく、それはつかの間に終わってしまうかもしれないとも思うようになりました。税金が上がり続けているし、憲法が改悪されれば、住むところを追われたり、不当に拘束されたり(秘密保護法なんかもあるし)、頭の上に米軍のオスプレイが落ちてきてもなんの補償もしてもらえないかもしれないし(このあたりは「日本はなぜ、原発と基地を止められないのか?」が詳しい)、原発がまた爆発したり、戦争になったり、戦争に友だちが行かされたり、そういう危険があるかもしれません。

だから、政治のことを真剣に考えて取り組んでいかないといけない…というよりも、政治のことを真剣に考えて取り組んでいけば、日本に楽園をつくることができるのだと、そっちのほうが、何にもしないで逃げ惑うよりも断然いいし、おもしろいと、思うようになりました。まずは日本に楽園をつくって、世界に楽園を広げたいです。

ナショナリズムに傾いて同胞を敵視している人たちにも、本当の敵は、富を独り占めしつづけようとしている人たちだと、金で政治を操っている人たちと金に魂を売り渡した政治家だと、気がついてもらうのは難しいんでしょうか。実際、敵扱いしている人たちが、庶民の暮らしを良くしようと、格差を是正しようと努力していて、親玉だと思って応援している政治家たちが、庶民の首を締めるような、ないところから税金を絞りとるような、庶民に文字通り血を流させるような政策を推し進めているのに、そういう人たちを応援しても、自爆行為だと思うのですが。

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20160824

原爆投下の真実―オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史〈1〉を読んで

映画監督のオリバー・ストーンさんとアメリカン大学歴史学部准教授のピーター・カズニックさんの本『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史〈1〉―2つの世界大戦と原爆投下』(全3巻)を読みました。


この本は、アメリカの暗部にしっかりと目を向けたものであり、アメリカの美しい物語は巷にあふれているので、この本では取り上げないとしています。

原爆の投下は、日本の降伏を早めるためにやむを得なかったと、アメリカでは教えられていて、この本によれば、アメリカ人の85%がそう考えているそうです。以前、アメリカに核実験に関する博物館が開館したというニュースを訳したときにも、関係者の女性のコメントは、原子爆弾によって、戦争の終結を早め、戦争が長引いていれば失われる可能性のあった何百万人もの人々の命が救われた、というような信じがたい内容でした。

世界の原爆投下に対する認識はこちらの記事が興味深かったです。
上記の記事によると、アメリカの公式見解は、「原爆は軍事基地を標的に投下された。つまり、市民の犠牲は限りなく避けられた。原爆による死者数は7万人である」というものだそうです。事実とは全く異なっていますが、ほとんどのアメリカ人はそう習っているのだそうです(日本も、政府に都合の悪いことは隠されるので、他の出来事について、同じような誤った認識はあるのかもしれません)。

日本の場合は隠蔽体質ですが、アメリカの場合は公文書を公開するので、誰にでも真実が開かれていて、歴史から学ぶことができる状況があるということもあり、このまやかしに根拠に基づいて異を唱えるアメリカ人は数多くいます。

原爆投下の真実については、この本の4章で詳しく書かれています。

日本を早期に降伏させるのが目的であれば、原爆を投下せずとも、ほかにも方法はあったと、アメリカ政府は認識していたのだそうです。
サイパン島でアメリカが勝利を収めた少なくとも前年の八月から、日本は終戦工作を秘密裏に模索しはじめていた。〈中略〉リチャード・フランクは原爆投下を擁護する最も権威ある著書『没落』を書いた人物だが、その彼ですら「原爆投下がなかったにしても、鉄道網の寸断と封鎖・空爆戦略の累積効果が相俟って(あいまって)、国内秩序は深刻な脅威にさらされたであろうし、その結果として天皇は戦争終結の宣言に追い込まれただろう」と述べている。(p. 310)
すでに日本は負けに負けていて、終戦の道を模索していたことをアメリカは把握していたというのです。アメリカとイギリスが「無条件降伏」という言葉を使ってしまったために、日本は天皇が処刑される可能性があると考え、応じることができなかった。当時のアメリカ人も、日本人にとって天皇が殺されることは、アメリカ人にとってキリストのはりつけと同じようなことだから、天皇制の存続と、天皇の命を守ることをはっきりと示せば、日本が降伏に応じる可能性は高いという意見が中枢からも上がっていました。
マッカーサー指揮する南西太平洋司令部の調査報告には、「天皇の退位や絞首刑は、日本人全員の大きく激しい反応を呼び起こすであろう。日本人にとって天皇の処刑は、われわれにとってのキリストの十字架刑に匹敵する。そうなれば、全員がアリのように死ぬまで戦うであろう」とある。これを知った人の多くは降伏条件を緩和するようトルーマン大統領に求めた。(p. 311)
日本は、天皇制の存続が確保されていれば、早期に降伏する可能性が極めて高かったにもかかわらず、当時の大統領ハリー・トルーマン氏の側近だったジェームズ・バーンズ氏は(トルーマンが議員時代からの相談相手だった)、降伏条件の妥協をアメリカ国民は許さず、妥協すればトルーマン大統領の政治生命が危なくなると主張し、トルーマン大統領はそれを聞き入れてしまいます。

しかし、ワシントン・ポスト紙は社説で、「これは日本人を憎むとか憎まないとかいうレベルの話ではない。むろん私は憎んでいる。しかし、二年先に同じ条件で戦争が終結するのだとしたら、このまま続けてなんの益があるというのか」と書いていて、「無条件降伏」という言葉は日本国民の心に恐怖を植え付けており、戦争終結の障害になりつつあるとして、これが「致命的な文言」であると糾弾した(p. 314)、とあることからも、アメリカ国民がこれを承知しないということはなかったのではないかと思います。

天皇制の存続を約束する以外にも、日本を早期に降伏させる方法はありました。日本はソ連の参戦をなによりも恐れていたそうです。ソ連は、1945年2月にアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相とヤルタで行なったヤルタ会談で、ドイツとの戦いが終わってから3ヶ月後に日本との戦いに参戦するという約束になっていました(p. 260)。

日本の政治の中枢にいた人々は、共産革命によって天皇と天皇の周辺の人々の命と地位が危うくなることを最も恐れていました。アメリカとだけでもぼろぼろに負けているのに、ソ連に参戦されたら、日本は壊滅するだろうと(日本の最高戦争指導会議「帝国は使命を制せらるべき」と結論[終戦史録])考えていて、ソ連の参戦はなんとしてでも避けたかったのです。何も原爆を落とさなくても、ソ連が参戦するだけで、日本が降伏する可能性は十分にありました。

なぜ、今にも降伏しそうな日本に、原爆を2つも落としたのか?という疑問が湧いてきました。

原爆投下を決定したトルーマン大統領という人物は、白人至上主義団体クークラックスクラン(KKK)にお金を払うほどのかなりの人種差別主義者で、日本人のことを忌み嫌っていたようです。当時のアメリカ人もまた、ドイツ人のことは、善良なドイツ人とナチスドイツのような野蛮なことをするドイツ人とを見分けていましたが、もともとあった有色人種に対する差別からも、日本人のことは全部野蛮人だとみなし、ゴキブリや、ネズミや猿(「黄色い猿を殺せ!」という比喩はよく使われたそう)のように忌み嫌っていたのだそうです。

こうした背景から、原爆投下によって日本人を無差別に殺すことなど、当時のアメリカ人にとってはさほど心の痛むことではなかったのかもしれません。

アメリカは、原爆を日本に落とすことによって、第二次世界大戦後の世界における覇権争いで、ソ連を牽制したいという思惑があったようです。

物理学者のレオ・シラード氏は、原爆の使用について注意を促そうとトルーマン大統領との面会を図ったものの、かなわず、代わりに側近のバーンズ氏と会って得た回答に憤慨してつぎのように語っています。
「バーンズ氏の回答は、戦争を終結するためには日本の都市に原爆を使用せざるを得ないというものではなかった。政府の誰もが知っていたように、彼はそのときすでに日本が敗北したも同然であることを承知していた……当時のバーンズ氏の懸念はソ連がヨーロッパで覇権を握ることにあり、彼は原子爆弾の保有・示威行為によってヨーロッパにおけるソ連の影響力を抑えられると主張していた」(p. 335)
原爆投下標的委員会のレズリー・グローヴス少将も、ジョセフ・ロートブラット氏(原爆開発に関わっていたが、唯一離脱した物理学者)に次のように語っていました。
「むろん、この計画(日本への原爆投下)の主たる目的はソ連に対する牽制であるのは承知しているね?」(p. 335)
しかし、原子爆弾の原理は秘密にされているものでもなく、ソ連もすぐにアメリカに追いつくことが予想されていて、アメリカが優位に立てるなどということは考えにくいことでした。当時の学者さんたちも、アメリカが日本に原爆を投下することは、ソ連との核武装競争につながると警告していました。

前述のレオ・シラード氏は、嘆願書にこのように書いています。
われわれが手にしている原子爆弾はまだ世界が破壊に向かう第一歩にすぎず、将来の開発によって人類が手にする破壊力は実質的に限りないものになります。したがって、新たに発見された自然のちからを最初に破壊目的に使用した国家は、想像を絶する規模の破壊という時代の扉を開けた責任を負うことになるでしょう。(p. 336)(全文はこちらでも読めます→レオ・シラードの嘆願書)
日本への原爆投下は、戦争の早期終結が目的ではなく、ソ連との覇権争いにおいて、アメリカが優位に立ちたいという権力欲でしかなかったのです。戦争の犠牲者を減らすという目的ではなかった。すごく悲しくて、腹が立って、もし、トルーマンが大統領でなかったら、もっと良識のある人が大統領だったら、あんな苦しみを広島と長崎の人々はしなくてもよかったのに、とものすごく心がかき乱されました。アメリカが心底憎たらしくなりました。でも、これを告発してくれているのも、アメリカ人なのです。レオ・シラード氏など、アメリカにもまともな人は結構いたのです。

当時の軍の指導者たちの意見を紹介して終わります。(☆マークがついている人は、アメリカの五つ星階級章将官。五つ星階級章将官七名中六名が原爆投下は不可欠ではなかったと述べている)

まずはおなじみのダグラス・マッカーサー元帥(☆)。
原爆の使用を「軍事的にはまったく不必要」と考えており、アメリカがまもなく使用する予定と知ると怒り失望した。(原爆投下発表以前に記者会見を開き)日本は「すでに敗北しており」、自分は「次の戦争が一万倍の恐怖を伴うだろう」と考えていると記者たちに漏らした。(p. 346)
ダグラス・マッカーサー元帥は、アメリカが降伏条件を変更したなら戦争は数カ月早く終結しただろうと一貫して主張している。
〈中略〉
フーバー(元大統領)が1945年5月30日にトルーマンに送った、降伏条件の変更を提案する意見書は、「賢明でまことに政治家らしい」ものであり、もしこの意見書が聞き入れられたのであれば、「広島と長崎の虐殺も……アメリカの空爆に寄る大規模な破壊もなかっただろう。日本が躊躇することなく降伏を受け容れたであろうことを私はいささかも疑っていない」(p. 363)
トルーマン大統領付参謀長で、統合参謀本部の議長だったウィリアム・リーヒ提督(☆)。
「日本はすでに敗北しており降伏する用意ができていた……広島と長崎に野蛮な兵器を使用したことは日本に対するわが国の戦争になんら貢献していない。はじめてこの兵器を使用した国家となったことで、われわれの道徳水準は暗黒時代の野蛮人レベルに堕した。私は戦争とはこのようなものではないと教えられてきたし、戦争は女子どもを殺して勝利するものではない」
「トルーマンは、われわれは原爆の使用を決定したが……目標を軍事施設に絞ったと私には言った。むろん、彼はかまわず婦女子を殺しにかかったのであり、はじめからそのつもりだったのだ」。(p. 362)
ヘンリー・アーノルド元帥(☆)。
「原爆投下の如何にかかわらず、日本が壊滅寸前であることはわれわれには以前から明白に思われた」(p. 363)
東京大空襲を指揮した鬼であるカーティス・ルメイ大将。
「原爆もソ連参戦もなくとも、日本は二週間もあれば降伏していただろう」
「原爆は戦争終結とはまったくかかわりがない」(p. 363)
太平洋戦略航空軍の指揮官カール・スパーツ大将。
「ワシントンではじめて原爆使用を検討したとき、私は投下には賛成しなかった。私はある町の住民を殲滅するような破壊を好んだことは一度たりともない」(p. 363)
連合国軍最高司令官のドワイト・アイゼンハワー元帥(☆)。
(日本への原爆投下について)「二つの理由から反対だと答えた。第一に、日本は降伏する用意ができており、あのような恐ろしい兵器を使用する必要はなかった。第二に、私は自国があのような兵器を用いる最初の国になるのを見たくはなかった」(p. 342)
海軍将官の意見も載せておきます。
合衆国艦隊司令長官のアーネスト・キング提督(☆)。戦争当時に補佐に話した言葉。
「私は今回の投下はすべきでないと思う。それは無益だ」「私はとにもかくにも原爆を好まなかった」(p. 363)
太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ提督(☆)が戦後しばらくして会議で発言した言葉。
「実際、広島と長崎の破壊によって核の時代到来が世界に宣言される前に、そしてソ連が参戦する前に、日本はすでに講和を求めていた」(p. 363)
南太平洋方面軍司令官のウィリアム・ハルゼー提督。(原爆投下の翌年に語って)
「最初の原子爆弾は不必要な実験だった……いや、どちらの原爆であれ投下は誤りである……多くの日本人が死んだが、日本はずっと以前からソ連を通じて和平の道を探っていたのだ」(p. 364)
トルーマン大統領の側近バーンズ氏までもが戦争終結に原爆は必要なかったと認めています。
ニューヨーク・タイムズ紙によると、「バーンズは、広島に最初の原爆が投下される前に日本は敗北を覚悟していたことをソ連はつかんでいたと述べている」(p. 364)

20160820

『「憲法改正」の真実』(樋口陽一さん✕小林節さんの対談)を読んで。自民党改憲草案では新自由主義が国是に、など。

憲法学者の樋口陽一さんと小林節さんの対談をまとめた新書『「憲法改正」の真実』を読みました。

憲法のことだけでなく、議論のお手本にもなるような素晴らしい本でした。手元に置いておいて何度も読み返し、議論の作法を身につけるための教科書にしたいくらいです。

20160818

楽しむことを責める投稿を見て考えたこと。伝統的な祭りが市民運動に及ぼす影響について。

日本は今ようやく市民のための政治を取り戻そうという動きが始まったばかりで、まだまだ、長い道のりになると思う。末広がりに長く続いていく運動にしていくためには、知恵と工夫、そして人間性を高めていくことが肝心だ。ちょっとやそっとでは変わらない。先を考えずに全力疾走して再起不能になるといった状況は、避けるべきだと思う。

夏祭りのシーズンで、全国各地のお祭りを楽しむ様子がSNSでも流れてくるようになった。そんななか、日本はこんなに悲惨な状況なのに、お祭りに浮かれている場合かという怒りがこもったフェイスブック投稿の話を耳にする。日本人はみんなすでにお祭り頭なのに日本中で連日祭り祭りで、そのお祭り頭は一体いつ覚めるのかというようなことが書かれていたという。

20160815

71年目の終戦記念日に思う

太平洋戦争の終戦から今日で71年の節目を迎えました。

来年も、再来年も、10年後にも、100年後にも、ずっとずっとその先まで、日本が国内外問わず、人を殺し、殺されることがない時代が続くことを心から願います。憲法で大切にされている平和を貫く精神を守り続けていきたいです。

数年前まで、具体的には2011年に東電の原発が爆発してしばらくするまで、原爆が広島と長崎に投下された日も、終戦の日も、特別な気持ちを持つことは特にありませんでした。何も知らなかったし、知ろうともしなかったからです。そういうムードだから、なんかそういうふうに思わないといけないのかな、くらいにしか思っていませんでした。日本が戦争をしないことの意味を、憲法9条に象徴される平和主義の意味を想うことはありませんでした。でも、自由と民主主義と平和主義の精神が薄れ、憲法までもが危機にされている2016年の今日、その意味を思わずにはいられません。

20160810

民主主義ってなんだ?を読む

『民主主義ってなんだ?』
「市民集いの丘公園」という名前の公園で、木陰のベンチに腰掛けて、『民主主義ってなんだ?』を読む。

本では、民主主義とは何かということが問い続けられている。原初の民主制は、古代ギリシャに遡る。市民が丘に集い、社会のことを真剣にみんなで語り合う。ここは「市民集いの丘」という名前だが、語り合う市民は見当たらない。ちょっと、皮肉な偶然だった。

聞こえてくるのは、蝉たちの合唱。鳥の歌声。虫の羽音。ウシガエルの大きな鳴き声。かざぐるまの回転する音。

眠くなるほど平和な時間が流れている。

本に目を戻すと、この国のこと、未来のこと、世界のこと、民主主義とはなにか、を真剣に語り合う若者たちと経験を重ねた大人がいた。

この公園に流れる平和な時間と、本の中の世界は、どちらも確かに現実だけど、身の回りの世界しか見ないで生きている限り、本の中で語られているような状況を知ることはできない。

片目は堅く閉ざしたままのナチュラリストも例外ではない。原発や化石燃料に頼らないで生きていこう、自然を汚さないように、化学物質を使わない暮らしをしよう、なるべくゴミを出さないように循環させられるものを使おう、そういう暮らしは気持ちいい。気持ちいいから、平和ぼけになりがちだ。気持ちいい世界と同時に、気持ちいい世界を侵食する動きがある。

化石燃料を大量に使い続ける社会システム。

民主制の崩壊。アメリカと大資本にコントロールされた一党独裁。

それによって生まれる増税と社会保障費の削減。

沖縄の米軍基地問題をはじめとする日本人への人権侵害。

戦争ができる国づくり。

放射能のばらまき(*)。

ワクチンによる健康被害。

安全な食べ物が手に入りにくい状況。

憲法から基本的人権が消える。

声を上げないと、どんどん蝕まれる。主権者として現実を見据え、語り合わなければ、どんどん崩れていく。もう、来るところまで来てしまっている。

個人の暮らしを楽しむことは大切なことだ。しかし、努力して見ようとしなければ見えないところで、重大な危機が起こっている。自分は大丈夫というのは幻想だ。主権者である以上、面倒くさくても、現実を見て、考え、意見を語り、他の人の意見を聞いて、社会の在り方を決めることに、参加しないといけない。そうしたほうが、望む世界をつくっていける。

自然と共にある暮らしは気持ちいいけど、隠遁して、社会に対する責任を放棄してはいけない。長い目で見れば、その気持ちいい暮らしが少しずつ切り崩されていくことになるのだから。切り崩されてからよりも、早めに行動して手を打つほうが絶対に楽だ。壊れたものを直すより、壊れる前に予防するほうが簡単だ。

「市民集いの丘」に本当に市民が集って社会のことを語り合うようになったら素晴らしい。そういう場所が日本中にあふれる日が来るだろうか。

*東電福島第一原発から海や空気に今も出続けているだけでなく、日本政府は8000ベクレル/kg以下の汚染土を全国の公共事業で利用することを決定(→詳しくはコチラ:"「8,000Bq/kg以下の除染土を公共事業で再利用」方針の矛盾と危険性(解説と資料を掲載しました)"FoEジャパン 2016年5月2日)。フランスのヴィオリア社は、廃炉需要を見込み、日本に放射性物質を運びこんで処理する方針を固めていて、「日本が世界の核のゴミ捨て場になる」という危惧する声も多い。

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20160801

ポケモンGO、いい大人が浮かれている場合だろうか

ことでんの駅に、スマートフォンを片手に歩いてぶつかりそうになっている男女のイラストに「ぐるり見てんまい!」(「まわりを見てみなさい」という意味の讃岐弁)というコピーが添えられたいわゆる「歩きスマホ」をしないように促すポスターが大きく拡大されて掲示されるようになった。近所のイオンでも館内放送で「歩きスマホ」に注意を呼びかけるアナウンスが頻繁に流れるようになった。ポケモンGOというゲームは、それほどまでに「歩きスマホ」を促進するようだ。

イオンのなかの喫茶店でPC作業をしていたら、横に座っていた女性2人が旅行の計画を立てていた。夏休みの海外旅行のようだ。片方が突然スマホを取り出した。何かを調べるのかと思ったら、なんと、ポケモンGOだった。「ポケモンGOなんてやっている人、本当にいるの?」と思っていたら、ここにいた。30代後半くらいに見えるいい年をした大人だ。「みんなやってるからさー」と言ってアプリを開いている。電波が悪かったのか、「あれ、ここ入らない!」と憤慨して、「上のマックには結構(ポケモンが)いるらしいよ」と言う。相手の女性は旅行の計画をしにきたのであって、特に興味もなさそうだが、とりあえず付き合って聞いている。しばらく電波の回復を待ちながら関係のない話をし続けた後、ポケモンGOのほうの女性は、3階のマックに行ってしまった。旅行の話をほとんどしないまま、一人残された相手の女性は一人で旅行雑誌を広げている。なんとも気の毒だった。

3階のフードコートを通ると、家族で食事にきているテーブルで、母親とみられる女性が憤慨した表情で座っている。子どもがわるさでもしているのだろうかと見てみると、食事の終わった子どもはノートを広げてシールを貼ったりして遊んでいる。問題はどうやら父親のようだ。もう40代後半くらいに見える。テーブルに置いたスマートフォンの画面にポケモンのカプセルが写っている。ポケモンGOに夢中になりすぎて、食事が進んでおらず、家族みんなが待たされているようだ。家族で会話することなく、食べ物に感謝することもなく、架空のポケモンに浮かれて食事をしている中年のオッサン。女性が呆れるのも頷ける。

新聞で読んだが、ポケモンが現れたからと夜中にたくさんの人が公園に集まって騒いだり、画面に気を取られて階段から落ちたり、事故につながったりということも現実に起こっているという。立ち入りが禁止されている場所や不適切な場所(平和を祈るための厳粛な場所など)に架空のポケモンが現れたからとユーザーがやってきて、危険につながったり、迷惑になったりということも起きているそうだ。

こんな人間を堕落させるようなゲームはなくていいと思う。自分の時間と、相手の時間、まわりの人たちの時間を大切にできない状況をつくってしまうものは害悪でしかない。架空のポケモンをつかまえて何がおもしろいのだろう? 目の前のことを着実に進めていくほうがずっと有意義だ。

目的地に行くために携帯電話を使うのではなく、携帯電話が示す場所に人間が行かされる。完全に物に使われている。物に使われて、事故に合って、ケガをしたり、ケガをさせたり、ひどい場合は死んでしまったり、死なせてしまったりする危険だって十分あると思う。技術は進化しても、人間は退化している。人間の退化もここまで来てしまったのかと嘆かわしい。

子どもならまだしも、いい年をした大人が架空のポケモンをゲットするのに夢中になっているなんて本当に情けない。それは自覚がある大人もいるようで、聞くところによれば、ポケモンGOをやっているのがバレると恥ずかしいからと、犬を飼う人が急増しているそうだ。犬の散歩をカムフラージュに、ウロウロとポケモンをゲットしに繰り出す。犬に失礼ではないか。命を何だと思っているのか。犬は10年以上生きる。うちの犬は17歳まで生きた。ポケモンGOに飽きても、犬を大切に育て続けてくれるように願っている。

オリバー・ストーン監督は、監視全体主義の一環だと警鐘を鳴らしていたが、これに加え、愚民政策の一つではないかとも思っている。アメリカと日本だけでなく、自分の短期的な損得にしか関心がなく、うまい汁を吸わせてくれる富裕層のほうばかりを見ている政府は、国民に知らせたくないことがたくさんある。知らないでいてくれれば、主権を行使することもなく、コントロールしやすいから、なるべく何も知らずに、何も考えずにいてほしいのだ。

社会のことや自分の暮らしのことを真剣に考えてもらわないほうが、彼らにとっては好都合だ。そうすれば、選挙に行かないでくれる。選挙に行っても、自分の生活を良くするため、社会をよくするためといった目的を持たずに、無批判に戦略なしに投票をしてくれる。彼らは組織票だけで勝っているので、今の投票率なら楽勝だ。「今だけ、カネだけ、自分だけ」の政治を続けることができる。主権者である国民の目を背けたい。そう思っている可能性がかなり高いと私は思っている。

例を挙げれば、参議院選挙のときだって、憲法が変わるかどうかの瀬戸際だというのに、メディアはほとんど報じなかった。選挙が終わった途端に、改憲を言い出す有様だ。NHKに至っては、週末の行事を紹介するコーナーで、7月10日について、参議院選挙の投票日を紹介せずに、「納豆の日」で終わった。国民の生活の根幹に関わるような重要なことは、すべて隠されている。TPPだって全部黒塗りだ。主権者である国民の目を背けようとしていると言っても、おかしくはない状況だとわかってもらえるのではないかと思う。

国民にはバカでいてほしいのだ。そうすれば、操りやすく、自分たちの権益のためだけに、保身のためだけに、政治を動かすことができる。ポケモンGOのようなゲームも、愚民政策の一環ではないかと思わずにはいられない。先日、たまたま目にしたポケモンGOユーザーたちは、いい大人なのに、実在である家族と友人の時間を大切にすることよりも、架空のポケモンをゲットすることに夢中になっていた。これがなければ愚かではない人間だと信じたいが、完全に愚かな人間に成り下がってしまっていた。ポケモンGOではそもそも、賢くなりようがないのでは。

賢く、心意気のあるシリアの活動家たちは、ポケモンGOの人気を逆手にとって、シリアの支援を訴えることに活用している。シリア国外のアーティストたちもこれに加わっている。
「僕を助けに来て」 ポケモンGO人気をシリアの子供支援に(BBC 2016.7.22)
スウェーデンの作家のものというこの言葉がまさに適確に異常さを指摘していると思った。
「おじいちゃん、世界がひどいことになってた2016年の夏には何をしていたの? ああ、愛する孫たち、おじいちゃんたちは電話でポケモンを探していたんだよ」
シリアだけではなく、日本もとりわけ沖縄や福島は現実としてひどいことになっているし、潜在的には日本中がひどいことになっている。憎しみの連鎖や環境問題など、世界中がひどいことになっている。この状況を変えることができるのは、この世界に生きる一人ひとりの人間であり、私たちが何をするかにかかっている。架空のモンスターに浮かれている場合だろうか?