20131229

ブログ

【旧暦11月26日 月齢 26.1 冬至 麋角解(さわしかのつるおつる)】

恩人が毎日ブログを更新していて、「継続は力なり、とでも言いますかね」と少し照れくさそうに言っていたのが印象的だった。相方も彼のブログを読んで、「毎日何か書くのはいいね。ぼくもそういう場がほしいな」と言う。そういう雑記帖としてのブログを作るのを手伝って、相方も毎日のように書き始めた。気軽に書ける場ができて楽しそうにしている。

メールやSNSの発展で便利にはなったが、直接会って話したり、電話をしたりする機会がめっきり減ったように思う。面白い発見をしたら伝えたくなるし、考えていることも話したくなる。会って話すならそのときはお互いにお互いの話を聞ける体勢に入っているように思うけど、メールやSNSだと相手がどんな状況でそれを読むかわからないし、反応を期待しているように映るかもしれないな、と気後れしてしまう自分がいる。ブログなら、相手が見たい気分のときに見てもらえるし、見たかどうかわからないから会ったときに話しやすい。反応を気にしなくてもいいのもいい。

Facebook、TwitterとSNSもいろいろやってみて、改めてブログの良さを感じる。継続は力なり、か。

20131209

大デモの集会でうかがったお話の備忘録

大デモの集会でうかがったお話のメモです。TPPも原発も戦争も、全部秘密保護法と関連がある、また、私たちの暮らしを大きく揺さぶる、重大なイシューです。

まず、「戦後史の正体」を著された孫崎先生のお話。*( )内は私の思ったことです。

安倍政権は戦後史上最悪の政権。TPPで国家主権を売り渡す、原発は再稼働しようとする、秘密保護法で国民の知る権利を奪う、集団的自衛権でアメリカのために自衛隊が海外で戦えるようにしようとしている、中国などの近隣諸国と意識的に緊張関係を作ろうとしている。

なぜ、こんなひどい政権が糾弾されずに、高い支持率を保っているのか。すべては嘘と詭弁である。それにはそこにあるNHK(集会の場所が代々木公園のケヤキ並木で真横にNHKの建物)も加担している。こんなひどいことをメディアは報じない―なぜか、それは安倍政権の脅しに屈しているからである。TBSもそうだった。

TPPで最も問題なのは農業ではない。狙われているのは日本の国民健康保険である。TPPは国民皆保険制度を実質的に崩壊させる。日米経済人会議でTPPに賛成したのは日本の経団連会長(クスリを作っている会社のエライさんだよね)、アフラック日本の社長(保険会社!)だった(人の命で金儲けってどうよ!!)。皆保険制度がなくなったらどうなるか―皆保険制度のないアメリカでは、年収350万円以下の人の3割が保険に入っておらず、低所得者の平均年齢は高所得者に比べて5歳低い(若者は健康保険に入れない、つまり病気になっても医者にかかれない)。

原発もTPPも秘密保護法も、推進する側は嘘と詭弁で推進している。アメリカは日本のジャーナリズムに比べればまだまともなジャーナリズムがあるが、そのアメリカでさえ、新聞やテレビを信頼しているのは23%程度(日本のメディアはもっと嘘っぱちってこと。テレビに流されちゃダメだよ!)。日本人は情報を鵜呑みにするのではなく、自分で情報を取りに行く努力をする必要がある(これは、ホントにそう思う。私みたいなただの人でもちょっとインターネットで探せば情報にアクセスできる)。

録音していないので言葉遣いが若干違うところもあるかもしれません。孫崎先生のつぶやきチャンネルにもスピーチの大筋が載っていました。
TPP反対大デモでの発言

それから、元農林水産大臣の山田正彦先生のお話によると、アメリカの議員がTPPの文書開示を要求して、民主党議員のほとんどが反対署名、年内合意はできないとのこと(知ったら反対、だから秘密。中身がわからないのに条約を結ぶって無茶苦茶すぎやんか!?)。マレーシアでも議員がTPPの文書にアクセスできるようになるそう。ただし、年内に大枠合意という可能性はまだあり、「特区」など日本が譲歩させられることも考えられるということでした(TPPもやめてほしいけど、アメリカとの不平等条約はもっとやめてほしい。韓国が米韓FTAでひどい目に合わされている*ことからも学んで欲しい)。詳しくは著書「TPP秘密交渉の正体」にも、リークされた文書の翻訳つきで書かれているとのことなので読んでみたいです。

IWJにもTPPについて山田先生のインタビューが載っています。
 「TPPで沿岸の漁業権が外資に奪われる」 ~山田正彦元農水相が岩上安身のインタビューで明かす衝撃のリーク文書
※TPPについては、プロジェクト99にとてもわかりやすくまとまっています。
サルでも分かるTPP

*参考:米韓FTA発効1年の韓国<中>57の法変更、米は国内法優位 「不平等条約」指摘も(西日本新聞2013年05月01日)※検索すると他にもいろいろ出てきます。

渋谷を歩いてみて、「あ~社会全体が病気なんだなぁ、無関心、無気力っていう。安倍政権の無茶苦茶は、表面的に見えている枝葉であって、その根本にはこの社会全体の病気がある、これを徹底的に治す必要があるんだなぁ」と思いました。世の中、無茶苦茶で、一見悪くなっているようにしか見えないんだけど、どんどん悪いところが見えるようになってきて、自然療法で言うところの好転反応にも思えます。膿出しのようなもの。それに、広い視野で見ればいい兆しも出てきています。一人一人の純粋な気持ちの積み重ねで、社会は絶対良くなっていくと信じています。

長い道のりの果てに

【旧暦11月7日 月齢 6.1 大雪 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)】

現実を甘く見ようとせず、厳しい現実を直視しながらも、希望に満ちた幸せな未来をはっきりと思い描き、その実現のためにできることを、たとえ小さくても、地道に続けていきたい。

すでに、憲法9条改悪に向け、政府は動き出している。
●国民投票法改正案を提出へ 来年通常国会に、自公(共同通信)

真の民主主義を構築するための長い道のりは続く。

希望を持ち続け、ともに歩む仲間と輪を広げ、そして深め、長い道を行く。そして、その果てには、根をしっかりと張った大木のような、確固とした自由と平和が培われる。

私はそう信じている。

秘密保護法案についてリンクを以下につけます。
戦後68年 民主主義の危機に、宇都宮弁護士「今の政権を倒そう!」より宇都宮健児氏のスピーチ↓
“ 民主主義に必要なのは、〈情報公開〉です。これまでも国家権力は自分たちに都合の悪い情報を隠して来たのです。沖縄返還時の“密約”だけではありません。最近の福島原発事故もそうです、メルトダウンの事実、スピーディ(SPEEDI)の情報などが隠れさて来ました。
 ――今まさに、官僚をはじめ国家権力にとって都合のわるい情報をきちんと出させるという「情報公開法」の改正こそが必要なことです。
 しかし、参議院特別委員会で強行採決こそされましたが、「秘密保護法」に反対する世論は高まっています。安倍首相は、もっと謙虚に国民の声に耳輪傾けるべきです。そして、さきの石破自民党幹事長の“テロ”発言にはあきれました。石破幹事長は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」という憲法21条の条文を知らないのでしょうか。
 これは、私たちにとって最も大切な基本的人権のひとつです。ビラをまく、集会をひらく……これら、私たちにとって大切な権利を奪おうとするのが「秘密保護法」なのです。
 この「秘密保護法」は、憲法違反の法律であり、それゆえに無効の法律です。こういう法律を力で成立させようとするというのはおごりであり、そういうおごった政権というのは、必ずしっぺ返しを食うのです。私たちは、この政権を打倒しなければいけません。安倍政権打倒のために、みなさん、がんばりましょう!”(Japan Alternative News for Justices and New Cultures Blogより引用) 
秘密保護法に反対(日弁連 秘密保全法制対策本部)
・日弁連作成秘密保護法案についてのパンフレット(PDF)
特定秘密保護法案に反対し、ツワネ原則に則して秘密保全法制の在り方を全面的に再検討することを求める会長声明(日弁連)

秘密保護法「絶対反対の意志表明」 映画人らメッセージ(朝日新聞2013年12月3日)
秘密保護法案全文(朝日新聞より)

秘密保護法案 「非常に逮捕しやすい」(東京新聞2013年11月28日)
・特定秘密保護法案 徹底批判(佐藤優×福島みずほ)その1その2(週刊金曜日)
秘密保全法の危険性訴え全国行脚 山本太郎議員(田中龍作ジャーナルより)

―多くの国民が反対しているのに、秘密保護法案は一体だれのための法律?
【なぜ? とまらない日本】(三宅洋平を勝手に応援するネットワークさんのFB投稿より)
【なぜ? とまらない日本・2】(三宅洋平を勝手に応援するネットワークさんのFB投稿より)
(ざっくり言うと、国家としてのアメリカがめちゃくちゃな要求してきてんのに、日本国政府はほいほいって言いなりになっている。)

他にもインターネットで検索したり、図書館などで少し調べていただければ、たくさん情報が出てきます。私も勉強途中です。だれかに言われてあーそうなの?で終わらずに、自分で調べて咀嚼して考えることがまず第一歩だと思っています。

できることってなんだろう、そう思ったとき、私はプロジェクト99の提言にヒントをたくさんもらいました。
私たちにできること(プロジェクト99)

20131106

太陰太陽暦のこと

【旧暦10月4日 月齢 2.6 霜降 楓蔦黄(もみじつたきばむ)】

上記にも書いてあるので、お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、太陰太陽暦を使いはじめました。現在一般的に使われているグレゴリオ暦(新暦)と対比して、旧暦ともよく呼ばれます。

きっかけは、よく行くフェアトレードショップアースジュースの友人に、借してもらった一冊の本でした。早川ユミさんの『種まきびとのものつくり』という本で、高知県の自然に囲まれて、自然に沿った生き方をされている様子が写真とイラストと文章で紹介されています。月のリズムでも生活することも書かれていて、とても興味をひかれました。お仕事をご一緒している方が月のリズムでご自身のウェブマガジンを更新されていて、旧暦のことは前から気になっていました。

新月から次の新月までが1カ月。よく考えたら、monthの月って、お月さまのことなんですね。太陽が上って沈むまでが1日なので、dayの日ってお日さまのことなんですね。日と月と、毎日見る暦は実はこんなに身近に宇宙を感じられるものだったんだなぁと感動しました。

月の満ち欠けと地球の水の関係は、こちらの説明がとてもわかりやすくておもしろかったです。
はからめ『地球の水と月と太陽』
最後のほうに「…この引力の問題は、海だけじゃなく全ての水に影響があることなのです。それは体内を流れる血液など、約70パーセントは水でできている私たち人間への影響は大有りだと思いませんか?月の満ち欠けは水にとっての時計のようなものであると私たちは考えています。月の満ち欠けと、体を照らし合わせてみてはいかがでしょうか?」とありますが、ほんと、大有りだと私は直感的に思います。

はからめさんの月のカレンダーのページに書かれている暦のいろいろ、とてもおもしろいので、よかったら見てみてください。2014年版はもうできているそうです。
はからめ『月のカレンダー』

2週間くらい過ごしてみたのですが、結構月の影響を受けていたんだなぁと実感しました。満月に種をまくと芽が出やすいとユミさんの本に書いてあったので満月にまいてみたら、新月すぎに本当にぶわーっといっぱい出ていました(F1種でないので出芽は遅いのです)。仕事についても、下弦から新月にかけては仕事が落ち着いていたので、いろいろと溜まっていた諸用をすっきりさせて、新月を過ぎたら急に相方も私も仕事がぽんぽこ入ってきて、今まで意識しなかったけれど、仕事のサイクルもそんな感じだったのかもなぁ、と思いました。

お気に入りの本『にほんのいきもの暦』を参照しながら、二十四節気と七十二候も手帳に写してみたら、結構そのとおりで、昔の人の感覚ってすごかったんだなぁ、本当に自然とともに生きていたんだなぁ、と思いました。今の二十四節気は「霜降」(北国では霜が降りる頃)、七十二候が「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」です。二十四節気はただテキトーに決められているのではなくて、太陽の運行をもとにしているとのこと(*注1)で、暦、なんとも奥が深いです。
*注1:二十四節気(日本文化いろは事典)

今年の手帳にはからめさんの月の手帳がほしいなぁと思っています。太陽太陰暦を勉強しながら、自分で手づくりするのも身についてよさそう。ちなみに、昔からあるとは言っても、大安とか仏滅とかの六曜はテキトーに振っているだけなので、信じていません(広まったのは新暦が採用された明治以降なんだとか)。ついている手帳がほとんどなのですが、はからめさんのにはついていないのもありがたいです。六曜は、差別との関連も指摘されているよう。テキトーに振っているだけなのに、なんか、仏滅とか言われたらなんか怖くなっちゃうじゃないですか。しかも仏滅ってほんとの漢字は物滅で、暦業者が勝手に字をあてて広めたようですし、そんなテキトーで運命左右しないでくださいよってなことで、できれば見たくないものです。

そうそう、暦といえば、地球暦も大好きです。まだあまり詳しくわからないのですが、機会があったら、じっくり知りたいです。Facebookでも発信されていて、興味深く読んでいます。

健康第一

自然栽培のおいしい玄米と在来種の野菜を食べて、毎朝自家製天然酵母パンを焼いて、自然栽培のコーヒーを挽いてハンドドリップしたコーヒーに、山を駆けまわっている幸せな牛の牛乳を少し入れる、なんて話をすると、健康オタクだね、神経質ね、などと言われることがあります。健康が大事じゃないのかな、と思ってしまいますが、そう言う人ほど、サプリメントを飲んでいたり、お医者さんにしょっちゅうかかっていたり、やっぱり健康を大切にしているんじゃないの、と思ったりします。

おいしくて、健康になって、生産者さんにも公正な価格を渡すことができて、環境にも負荷が少なくて、生物多様性にも負荷が少なくて、と、いいことずくめです。生産者さんから直接送ってもらえば安く買えて、それでも小売店を通すよりも手取りを多く残すことができます。それで健康になれるなら、お金もかからないし、楽しいし、つながりが感じられて幸せだし、いいことじゃないですか? いいものを追求した結果なので、まぁ、オタクと言えば、オタクですけれど。

自分で料理をするとか、ちょっとした手間はそれはありますが、おいしい野菜なら、茹でるだけ、焼くだけ、蒸し煮するだけ、味付けは塩だけでいい、みたいなシンプルな調理で、とびきりおいしいものが食べられます。出汁も滅多にとりません。野菜の出汁でおいしいからです。料理も楽しいことです。

昔、サプリメントはいろいろ試しました。料理が面倒だから、サプリメントなら手軽、考えなくてイイし、なんて思ったものですが、何から作られているのか、どうやって作られているのか、どんな人のところにお金がいくのかもわからないサプリメント。それらがわからないのと同じくらい効き目もさっぱりわかりませんでした。ビタミン剤からミネラルからナンチャラエキスなんて、いいと言われたものをいろいろ買っていたら塵も積もれば山となるで、結構出費がかさみましたが、健康になった実感は全然ありませんでした。そのお金を稼ぐこと、病気になったときのロスを考えたら、料理をするほうがずっと合理的です。

添加物や放射能や農薬などを怖がるのはカッコ悪いと思っているように見える男性もたまにいますが、命を守ることは男性の大切な役割なんじゃないの、って言いたくなります。特にそういう人は仕事がデキることが大事なことだと思っているようなんですが、身体が健康じゃなかったら、いい仕事もできないし、機嫌が悪くなって人間関係もうまくいかないし、毎日が楽しくない。ガンにでもなったら、仕事を長く休まなければなりません。いい仕事をするにも、健康が一番大事だと思います。健康だと髪も健康、肌ツヤも良くて、背筋もしゃんとして、見た目もかっこ良くなりますし。

こう思えるのは、もともと身体が弱かったからだと思います。普段健康な人ほど健康をないがしろにしがちです。病気をして初めて健康のありがたさがわかるともよく言われることです。でも病気になってからでは遅いと思います。私は身体が弱かったから、健康の大切さを知ることができて、身体に感謝しないといけないと今では思います。

子どもの頃は本当に身体が弱くて、学校を2週間休んだりなんてしょっちゅうでしたし、インフルエンザで入院したこともありましたし、生まれつきの虚弱体質だとも言われていました。そういう弱い身体なんだと思って生きてきましたが、化学物質を徐々に減らしていって、完全に自然栽培または有機栽培(未熟な動物性堆肥をなるべく施していないもの)の食べ物だけになってから、丈夫になる一方です。身体って食べ物でできていたんだ、と実感しています。

風邪も滅多にひかなくなりましたし、もしひいてもすぐに治ります。インフルエンザが流行してもちっともかかりません。もちろん、ワクチンは打っていません、あんなのは効きません。胃の痛みもなくなりました。今年は11月に入ってもあまり寒さを感じなくて「温暖化か?」なんて相方と話していたら、玄米食のおかげで冷え性が治ったのでした。医者にもクスリにも1年以上お世話になっていません。虚弱体質だった自分が、普通の人よりも健康になれるとは思ってもいませんでした。

生命力のある食べ物を取り入れることはカッコイイことだと思います。自分以外の生き物のことを思いやった選択でもあります。世の中を良くしていく選択でもあります。健康になって、まわりもハッピーで、お金もかからなくて、楽ちんで。こんなシンプルでいいんだよね、ほんとは。

こちらのスピーチが、食料システムの問題点を短くおもしろくまとめているのでご紹介します。話しているのは11歳の男の子。すごいです。
バーク・ベア「僕たちの食料システムなにかおかしいよ」


おもっていること

マハトマ・ガンジーの
"You should be the change that you want to see in the world."
(あなたがこの世界で見たい変化にあなたがなりなさい)
という言葉、大切にしている教えです。

私がこの世界で見たい変化、いっぱいあるんですが、そのうちの一つは、だれもが思っていることをもっと裸の言葉で、でもソフトに、言い合えて、お互いがお互いの考えを尊重し合えるようになることです。考えが違っても、それで排除したり、変人扱いしたり、嫌ったりしない。多様な考えに触れることで、誤りに気がついたり、真理に近づけたり、ということが、あると思うからです。

だから私はなんでも言ってしまいたいと思っています。言わないと、少数派の意見の人が、本心を言ってはいけないというような空気に飲まれて、ありのままに思っていることを言えなくなる、そういう空気を自分も作ってしまうと思っています。ただ、まだソフトに話す訓練が足りないので、直接はうまく言えないこともあります。そういうまだうまく言えない私の考え方を、ここに書いて読めるようにしておいてもよいかな、と思いました。世の中で現在一般的になっている考え方とはだいぶ違うとは自覚しています。

結婚についての考え方も、そうしたことの一つです。年齢的にも結婚のことを心配してくださる方が多くなってきました。みなさん、私の幸せを思って言ってくださっているというのは理解していて、その気持ちはありがたいことです。みなさんの考え方では、結婚をすることが幸せであるとなっているので、私の幸せを願ってくださっているのだとありがたく思っています。

また一方で、何か独特の考えがあってのことだろうと推察してか、そっとしておいてくださる方々もいて、心遣いをとてもありがたく思っています。また、難しい事情があるのだろう、でも言いにくいことなのかもしれない、と思ってくれているのかも、と表情から感じることもあり、そうではないということを伝えないといけないとも思っていました。よい機会かと思ったので、自分の考えを少しまとめてみたいと思います。

20131105

社会人?

【旧暦10月3日 月齢 1.6 霜降 楓蔦黄(もみじつたきばむ)】

社会人。
過去に英訳がうまくできなくて、変な言葉だな、って気がついた。

新社会人とか言うときの社会人って、ほんとは会社人じゃないか?
社会には、会社に行っていなくても関わっている。参画していける。
よりよく変えていくために、だれにでもできることはある。
そういう意味ではだれもが生まれながらに社会人だと思う。

子育てで会社勤めをしばらくしていなかった女性が、
「そろそろ社会復帰」と言った。ものすごく違和感だった。
地域社会でも、PTAも、立派な社会参加だと思う。人の役に立っている。
買い物で何を選ぶかも、社会に意思表明をすることにつながる。
入院していようが、家庭に専念していようが、子どもだって、
だれだって立派な社会人だと思う。

会社で働いている人でも、社会人は多くないかもしれない。
会社と自分のことしか考えていなくて、
社会を良くすることを考えられないなら、
社会人ではなく会社人でしかないと思う。
朝から晩までお金のために働いて、
余裕がないのも理解できるけれど。
地位と名誉も、なのかな。

そうじゃない生き方だって、やろうと思えばできる。
父からよく言われた
「あの人にできて、お前にできないわけがない。同じ人間じゃないか」
という言葉を思い出した。

20131104

仕事の影響

仕事は人を変える。良くも、悪くも。
だったら、良く変われる仕事がしたい。

一緒に働いている人からも影響を受ける。
やっている仕事の内容自体の影響もある。
会社勤めの場合は特に、一日の大半が仕事になるから、影響は大きいだろう。
職場が変わって人が変わることは、案外、よくあることなのかもしれない。
人が変わるとまでは行かなくても、微妙な変化を感じることがある。

なんだかな、と思うことがあっても、
仕事で歪められているのかもしれない。
それだけで人を決めつけるのは良くないな、と反省した。

うちにもついにソーラーパネルがやってきました

【旧暦10月2日 月齢 0.6 霜降 楓蔦黄(もみじつたきばむ)】

ついに我が家でもソーラーパネルで電気が作れるようになりました。めちゃくちゃうれしいです。今日は曇ですが、しっかり発電しています。朝起きたら、私が起きる前にもう発電を始めていて、なんだかいじらしかったです。


近所の公園で「はらっぱ祭り」というお祭りがあり、トランジションタウン小金井の方が、持ち運べるソーラーシステムのワークショップを、1万円ちょっとでやってくださるということで、相方と一緒に参加させてもらいました。バッテリーが満タンになったら、電球は9時間半、携帯電話は3回充電できるそうです。電気がついたときはもう感動でした。 

自然のことに敏感になるきっかけにもなっていいですね。電気の勉強も、学校ではつまらなかったけど、もっと知りたいと思うようになりました。もっと勉強して、完全自給できるようになりたいです。送電ロスがあるので、やっぱり、使うところで電気を作るのが一番いいと思います。

うちでは電子レンジも炊飯器も掃除機も使わないし、洗濯もちゃちゃっと手洗いが増えてきたので、我が家での電気の完全自給は難しいことではなさそうです。冷蔵庫は非電化冷蔵庫にして、脱水機も自転車にサラダスピナーみたいなの(できれば竹などの天然素材)のでっかいのを付けたような、非電化脱水機ができないかなぁと思案しています。

20131024

初めから完璧じゃなくていい

初めから完璧を目指そうとしたら、結局何も始められなくて、何も変わらない。いい加減で始めても、中途半端でも、いずれ変わっていくならやらないよりはいいんじゃないか、と最近思う。以前よりも少し柔軟に考えられるようになった。

20131023

ブログをメインにします

Facebookにも投稿していましたが、いろいろと考えて、実験的にブログメインで行ってみようと思います。

Facebookのいいところもいっぱいあるんですが、ちょっとしんどくなってきた部分もあります。それに、私の投稿は結構、ヘビーな話が多いのでは、と思います。みんな楽しく過ごしているときに、こんなのが流れてきたら楽しさ半減になっちゃうかな、などと考えて躊躇することもあって、ブログだったら、あいつどうしてるかなーと思って見てもらえるくらいだと思うので、ちょうどよいかと思いました。でも、緊急性の高いニュースはシェアしようと思っています。

ブログのほうがいいかな、と思ったのは、もう一つ理由があって、もともと人の目を気にしやすい性格で、もう少し自由に人の目を気にしないで生きられるようになりたいと思ってきました。FBはいいね機能とか、コメント機能があるので、どう思われるのかが、どうしても気になってしまいます。もちろん、気軽に交流できていい部分もあり、私も恩恵を受けています。ですが、人の目を気にしない修行(?)にはあんまり良くないかなと思いました。言いたいことはFBよりもブログのほうが言いやすいかも、と感じています。

FBの閲覧の仕方も実験的にちょっと変えようと思います。FBのトップページが、どうも苦手みたいです。みんな別々の場所にいて、みんな別々の時間を楽しんでいるのだから、気分もテンションも雰囲気も違って当然なのだけど、その人たちが目の前にお互いが見えない状況で一挙に並ぶという、現実ではあんまりない状況がFBのトップページではいつもなのだけど、どうしても慣れなくて、頭がごった煮状態になってしまいます。ときどき、あの人は最近元気かな?どうしてるかなーと思ったときなどにタイムラインにおじゃましようと思います。そのほうが現実世界に近いかな、なんて思ったりもしています。

実験的にやってみて、自分に合う付き合い方を模索しようとしているところなので、コロコロ変わるかもしれませんが、とりあえず、ブログメインで行ってみようと思います。

お肉を食べなくなったのは

お肉を食べなくなって2年くらい経つでしょうか。なんで食べなくなったのか、自分でも記憶が薄れてきたので、書いておこうと思います。

人が何かを決めるとき、理由は一つではないと思います。私が肉を食べなくなったのも、いろいろと知って考えたのと、自分の身体で試してみた結果です。牛乳や乳製品、卵は、動物がひどいめにあわされていないものであれば少量をありがたくいただいています。

20131018

技術の進化と人間の退化

物が進化するにつれて、人間が退化していないだろうか。
体力も知力も感性も。

エスカレーターという便利なものができて、重い物を持っているときはありがたいし、足の弱い人でも移動がしやすくなった。でも、足の弱くない人間も、そのほとんどが階段ではなくてエスカレーターを使う。電車でも街中でもまともに立つことはおろか、まともに座ることもできない人間がたくさんいる。身体が重くなるくらい贅肉がついている人間もいる。

その筋肉の足りない身体をどうにかしようとスポーツジムに通う人間もいる。ジムに高いお金を払い、電気を使って逆向きの歩く歩道を走ったり歩いたり。そしてまた駅や店ではエスカレーターに乗る。この不合理さに気づかないくらい知力も感性も衰えているのか。体力だけでなく。

20130810

まずは現実を理解する

今まで知らなさ過ぎただけなんだけど、今も知らないことはたくさんあるんだけど、国内外で起こっているたいへんなこと、こんなにたくさんあるんだ、こんなにも根深いんだ、こんなにも大変な思いをしいたのに世間で見過ごされていた人がこんなにもいるのか、と知れば知るほど心が重くなる。

山本太郎さんみたいに円形脱毛症ができるほどのつらさではないけれど、参議院選後に急に白髪が増えた。行動につなげるために現実を知ろうとし、知りたいと思ってやっていることなんだけど、自分で思っていたほど心は強くなかったのかもしれない。一時的なショックで、だんだんと強くなっていけるような気がしている。

最近読みはじめた岩波書店の「世界」(7月号)で、ヘイトクライムのルポを読んで子どもらがかわいそうで同じ人間がこんなひどいことをするものかと悲しくて泣き、改憲キーマンらの発言の引用を読んであまりの考えの足りなさに頭がクラクラした(例えば、東大法学部で芦部信喜先生に習ったけど立憲主義なんて聞いたことがないとか[←寝てたんか??一人の先生が言わなかったとしても憲法変えようとしてるんだったら立憲主義くらい勉強しといてくれよとツッコミたくなる]。ちなみに芦部先生は著書『憲法』で立憲主義について書かれている)。

知れば知るほど「じゃあどうしたら?」という疑問が湧いてくるし、解決策が見えない。仮想敵が頭に浮かんできて、お前みたいな地位も名誉も金もない奴が騒いだところで何になるんだ、そんなこと一般人が知ってどうすんの?、勘違いもいい加減にしろよな、みたいなふうに思われているんじゃないかとか、邪推をして苦しくなることもある。勝手に敵作るのも良くないし、そういうときは考えるのをちょっと休みにしよう、と最近は思っている。

それでも前を向こうと思えるのは、顔をあげてみれば仲間はたくさんいるし、周りを見渡せば良い兆しもあるし、日本よりも少し進んだ社会では学べる事例もある。「世界」は辛い現実ばかりが載っているわけではないので、読み続けられる気がしている。「スペイン―行動する市民が築く民主主義」にこうあった。

「現実をきちんと理解できなければ、”怒る”こともできない。怒らなければ”行動”も生まれないでしょ」

マドリードの22才の学生の言葉。一市民がプロにも負けない知識と意識を持って行動している。その姿にも勇気をもらった。

20130729

参院選の記憶―その4

投票率アップは大切なことなんだけど、
「投票に行かない奴は無責任だ!」という批判とか、
「投票に行ってください!」の連発
みたいなのはなんだかなーと思っていました。

だって、行かないからって責められたら
ますます意固地になりたくなる。

投票に行かないと組織票を超えられなくて、
変化を起こせないことはあまり知られていないと思います。
私は昨年知りましたが、どのくらい知られているのでしょうか?

20130727

参院選の記憶―その3

今回の選挙で新しく知ったことは、日本の選挙制度の問題点。

海外の目も厳しくて、「放射能を海にも大気にも出して、世界中に迷惑をかけているのに、唯一の原発推進党を選ぶなんて、日本国民は何を考えているの!」という怒りの声を受けると、海外で演説をしてきた活動家の方から聞いたことがあります。私が外国人だったらおんなじこと思うと思う。

でも、世論調査では国民の6~7割が原発反対、中小企業の社長さんの約9割は原発反対、リスクが大きすぎて胸を張って原発推進などと言える人は大企業にだってもういない(ピースオンアース2013のトークステージで聞いたお話)という状況なのに、なぜ国会では原発推進の人たちが大多数を占めているんでしょうか。

参院選の記憶―その2

2013年7月21日の参議院選挙が終わり、感じたこと、心に残ったこと、新たに知ったことを少しずつ、書き残しておきたいと思います。その1は→「参院選の記憶―その1」に綴っています。

やっと日本にもできた緑の党に投票ができるというのがうれしいことでした。

20130724

参院選の記憶―その1

2013年7月21日の参議院選挙が終わりました。感じたこと、心に残ったこと、新たに知ったことを少しずつ、書き残しておきたいと思います。

一番うれしかったのは、友人からのメール。私のフェイスブックでの投稿を見て、適当に投票したり棄権することの恐ろしさを知ったから、これからはきちんと候補者のことを調べて考えて投票したいという感じの内容のメールをもらって、ものすごくうれしかったです。

20130715

映画『世界が食べられなくなる日』を観てきました

映画『世界が食べられなくなる日』   
現在、全国各地で自主上映が広がっているドキュメンタリー映画、
世界が食べられなくなる日
(仏原題:Tous Cobayes?[直訳すると「みんな、モルモット?」])
を観てきました。

暴走する二つのテクノロジー、
原子力と遺伝子組換え技術(GM)についてメスを入れた映画です。
どちらも十分な科学的研究がなされないまま、
ごく一部の富める人々の利益のために蔓延させられ、
私たちは実験台にされています。
それで、原題は「みんな、モルモット?」です。

20130714

7・21参議院選挙に向けておもうこと

7月21日は参議院選挙。最近、選挙のことで頭がいっぱいです。

環境を破壊する公共事業で一部の大企業を潤わせ、
(自民党が建設団体に多額の献金を要求していたニュースもありました)
いのちを顧みず、一部の大企業の利益のための政策が
昨年12月以降、どんどん進められています。

ダム事業の見直しで凍結されていた83箇所のダム建設は次々と復活し、
その中には、北海道のサンル川流域にある
アイヌ民族の聖地がまた水没させてしまうものもあります(水源連より)。

原発は推進する、TPPには参加する、憲法は変える
(平和憲法だけではありません)、
もう滅茶苦茶だと思うのですが、最近のニュースでも、
首相が先導しての原発輸出住宅地での化学兵器製造など驚くものばかりです。

20130710

畑で思ったこと

畑で虫や草花の観察をするのは
世の中の学びの時間です。

どの生き物も草花も
取り過ぎることなく、与えすぎることなく、
みんなそれぞれ自分が生きるためのことをやり、
それがほかの生き物のためになって
世界がまわっています。

虫の世界には、
稼ぎが大きいからエライとか、
小さいからバカにされるとか、
グループのなかで指揮を取るから上だとか、
与えられた役割を果たしているだけだから下だとか、
そういう価値観が存在していないように思えます。

仕事を出すほうがえらいとか、
雇われてるから従わないといけないとか、
リーダーだから役割が上になったとか、
専門家じゃないから言っちゃいけないとか、
そういう考え方は、人間の世界だけなんだと気がつきます。

私は人間だから、人間の世界の“常識”には
ある程度則って生きて行かなければなりませんが、
必ずしもそれが絶対ではないと知るとほっとします。

人間のこの世界でも、
そういう価値観を持っていない人にときどき出会います。
「誰もがリーダーだったらこの世界はバラバラになってしまうよ」
と言う芸術家。
「縫ってくれる人がいるからこそ、
 パターンを引いてくれる人がいるからこそ、
 私たちの作品を応援してくれる人がいるからこそ、
 創作が続けられる」と言うデザイナー。
「苦手なことをがんばらなくても得意な人がやったらいい。
 それぞれの役割があるんだから」という起業家。

上も下もない。優も劣もない。
それぞれがそれぞれの好きなしごと(*)、
生きることに通じるしごとで輝いて、
お互いに尊敬しあいながら、
持ちつ持たれつの感謝の気持ちを忘れずに
生きていける世の中になったらいいなぁ。
畑の生き物たちを見てそんな願いを持ちました。

*しごととは、お金を稼ぐことに限らず、
人のために、自分が生きていくためにする活動
すべてのことを指しています。

電力を市民の手に

映画「パワー・トゥ・ザ・ピープル」を観てきました。
http://unitedpeople.jp/p2p/

電力を100%市民が自給しているデンマークのサムソ島と、電力の自給に向けて動き出している

オランダのテセル島の例を紹介しながら、巨大な電力会社から電気を買うのではなく、市民電力会社の創設や発電設備への共同出資などにより、発電と送電を市民が手にすることによって電力の民主化が進むと、人々の意識と社会がどう変わっていくのかを捉えたドキュメンタリー映画でした。

デンマークのサムソ島では、島が経済的にピンチを迎え、抜本的な改革を求められたのをきっかけに、再生可能エネルギーへの移行が市民の手によって一気に進んだそうです。

今では、市民が電力を発電して使うので、電気代はかからず、電力が余ったらデンマーク本島に売るので島の経済が潤い、二酸化炭素排出量も大幅に削減されています。ピンチをチャンスに変えたのは、島の人々の絆と想いでした。

一方、オランダは電力の民主化に関して、日本よりも少しだけ先を行っているという状況で、抱えている問題にも共通のものがあり、今日本はどう変わっていくべきなのか、今自分にできることは何か、より具体的に思い描くことができました。

政府や経済界が動くのを待っていては手遅れになる、市民が自ら動き出すべきなのだ、というメッセージが心に響きました。

映画に登場する人々はみんな私と同じ普通の人々です。市民電力会社を中心になって立ち上げた人たちも、配管工であったり、農家であったり、と電気や経営について特別なバックグラウンドを持っているわけではありません。

地域を良くしたいという想いひとつで、自ら動き始め、地域の人たちと絆を強めて、仕組みを作り上げていました。

地域の人々も一度ソーラーパネルを設置すると、節電はゲーム感覚になり、楽しんでいる姿を見て、まだ設置していない人々も関心を持つという好循環も生まれています。

電力の民主化が可能だということが目に見えてわかると、システムが大きくなりすぎて中身がわからなくなっているほかのことでも、市民が主導権を握って変えていけるのではないか、という意識が人々の中に芽生え、自営業者の共済を市民が立ち上げる例なども出てきました。

パワー(=電力)を市民が手にすると、社会をよい方向に変えていくパワー(=力)を市民が持つようになり、団結力や助け合い、経済力など、地域のパワーにもなる。とても勇気づけられる映画でした。

映画に登場するオランダの環境活動家マーヤン・ミネスマさんは、エネルギー価格は上昇を続け、家賃よりも高くなると語っていました。

同じく映画に出演するジェレミー・リフキンさんもエネルギー価格の高騰は、産業においても生産コストの上昇につながり、再生可能エネルギーによって電力自給を進めることは産業においてもコストの大幅な削減につながると話していました。

また、今5歳の子どもが90歳になるころには、地球上の生き物の約7割が消滅すると言います。

人も無数の生き物の営みの中にあります。その生き物たちが7割もいなくなったら、人の暮らしはどうなっているのだろうか、考えただけでぞっとしました。

信頼と協力に基づいた、持続可能なコミュニティ。

日本でも近い将来、それが当たり前になっているのかもしれません。そうなることが、人間が住み続けられる環境を守ること、そして持続可能な経済の循環のカギになると思いました。

お金も度胸もまだない私には、できることは限られていますが、どんな小さなことでもいいからできることを楽しく続けて、持続可能なコミュニティを作る力に少しでもなれたらと思いました。

20130702

1本の電話

週2回お手伝いに行っている会社に入った1本の電話。
90歳の女性からだった。聡明で凛として素敵な人だった。

内容は、日本国憲法に関する本の提案だった。
それを提案する理由を実体験に基いて話してくださり、
憲法をもっと多くの人にじっくり考えてみてほしい
という思いからではないかと推察した。

女性は戦争で経験したことを、
今でも昨日のことのように覚えていると話してくれた。

結婚していれば疎開が許されたが、自分は結婚していなかったから、
戦争の勤労要員とするために東京から逃げさせてもらえなかったこと。
(当時、14~25歳の未婚女性は挺身隊として軍需工場などで働かされていたそう)

東京大空襲のときに戦火から逃れようと
隅田川に飛び込んだ人々の防空頭巾が、
空襲の翌朝にプカプカと浮いていたという。
味噌汁のシジミがその様子に似ていて
あの映像が蘇ってつらくなると言って、
女性の夫がシジミを食べられなくなったこと。

女性の夫は目が悪かったから飛行機に乗らないで済んだけれど、
目が良かった友人たちはみんな飛行隊になって、たくさん亡くなったこと。

戦争の体験を直接聞くのは初めてだった。
女性は憲法を変えてはいけないとも、
戦争をもう繰り返してはいけないとも、
自分の意見は一言も言わず、
つらかったであろう体験を
つらさも出さずに淡々と冷静に語ってくれた。

戦後、政府関連機関で外国の新聞をチェックして、
報告をする仕事に就き、その後も政府関連の通訳をしていたそうで、
当時受けたカルチャーショックの話も聞かせてくださった。

戦勝国のイギリスで、戦後初めての選挙の結果が、
これからは社会福祉の時代という結果になったことに
さすがは民主主義の国だと思ったこと。

欧米では女性に参政権があることにも驚いていた当時、
24歳になった年に初めて、女性の選挙権が認められて、
心からうれしかったこと。

他国の英語母語話者でない人々が、
英語が下手でも関係なく、
自分の意見を一生懸命伝えようとする姿に
下手でもなんでもいいから、
伝えること、聞くこと、その繰り返しが
お互いの理解につながるということを知ったときの感銘。

女性の話は、どれも心に響いてきて、
会社の人たちにもメールで少し伝えさせてもらった。
反響があってとてもうれしかった。そして、教えてもらったのがこの記事。
Book asahi .com「日本国憲法、コンビニに並ぶ 異色のベストセラー
編集者の島本脩二さんの想いにまた胸が熱くなった。

女性からの1本の電話。
ただの偶然ではないような気がした。

20130511

福島の子どもたちと遊んで

福島県二本松市に住んでいる親御さんから、

「県外保養は、子どもたちだけでなく、親たちにとっても心の保養になっています。
全国の人々が福島の子どもたちを守ろうとしてくれているんだ、
自分たちは見捨てられているわけではないんだ、と思えるから」

というお話をうかがい、何かしたいという思いが強くなっていました。

何かしたいと思っても、一部屋の借り家住まいでは、
個人的に家に受け入れることは難しいし、
ほかに何かできることないかなぁ、と思っていたちょうどそのときに、
キッズデイ・ウィークエンドのボランティア募集のお知らせが
Facebookで流れてきたのでした。

本格的なボランティア活動は初めてで、
ちょっと勇気がいりましたが、
やってみてわかることが本当にたくさんあって、
一歩踏み出す後押しをしてくれた、
あの二本松の親御さんにとても感謝しています。

郡山市から来てくれた小学生のみんな。
私のグループは、2年生から4年生の男の子たちでした。

公園にいるカラスを追いかけまわしたり、
噴水が大きく水を噴き上げるようにと、
「がんばれ、がんばれ、噴水さん!」と大声で応援したり。
大人には思いもつかない遊びを思いついて、
元気に駆けまわるみんな。

慢性的な被曝に加え、
福島では外での活動が制限されているため、
運動不足が深刻なこともあり、
事務局の方から、
「疲れやすいので気をつけてあげてください」
と聞いていましたが、元気すぎて付いて行くのがやっとでした。

こんなに元気いっぱいで、感受性も発想も豊かなこの時期に、
毎日は元気を出しきれずに限られた活動しかできないなんて、
もったいなくて気の毒で、
原発に対して何の責任もない子どもたちが、
どうしてこんな目に遭わないといけないのだろうと、
すごく心が痛かったです。

汚染のないところで少しでも過ごせること、
きっと喜んでくれているだろうな、と思っていたのですが、
ツアーが始まるなり、「あー帰りて―!」の連発。

それはそうだよなぁ。私だって家がほっとする。
たまの旅行なら楽しいけど、しょっちゅうだと疲れる。
せっかくのお休みの日を、一番落ち着く家で過ごせないなんて。
勉強も気になっているみたいで、リュックには宿題が入っていました。

喜んで来ているのではなく、大変な思いで来ているのだとわかって、
楽しんでもらえるといいなくらいの甘い気持ちから、
ほんの少しでも来てよかったと思ってもらえるようにがんばろう、
という気持ちに変わりました。

故郷が放射能で汚染されてしまい、
被曝による身体へのダメージを修復して
大事に至らないようにするために
定期的に故郷を離れなければならない福島の子どもたち。
何も知らずに、
「そんなにいいところにしょっちゅう行けるなんて、
 原発さんにありがとうと言わないとね」
などという心ない言葉をかけてしまう大人もいるそうです。
マスコミがちゃんと報道してくれないという問題もありますが、
直の体験、生の声を聞く機会を欠いてしまうと、
理解不足から人を傷つけてしまうことがあるんだと思いました。

子どもたちから学ぶことは福島の現状にとどまらず、
人間としての根本的なことにも示唆をたくさんくれました。

20130507

平和を希求したのはやっぱり日本人だった

中学でだったか、高校でだったか忘れましたが、
憲法が好きでなのか、記憶力の訓練だったのか、
放課後になると、黒板に憲法の全文を
そらで書いている男子がいました。

なぜだったのかは、きいたことがないのでわかりません。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とか
ブツブツ言いながら書くのを横で聞いていて、
なかなかいい憲法だなぁ、日本っていいなぁ、と思った記憶があります。

憲法についてはその程度しか思い入れがなかったのですが、
自民党と維新の会が改憲に向けた動きを本格化するなかで、
そんなのまずいんじゃないか、と思い、調べるようになりました。

よく、占領軍に押し付けられた憲法だとか言われていますが、
私には感覚的にすごくなじむ憲法で、
日本的で情緒的で、アメリカの人が作ったなんて、
本当かなぁ?と思っていました。

その謎がやっと解けました。
憲法9条を入れたのはやっぱり日本人だったのでした。
幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)さんという方が、
9条は「長い間僕が考えた末の最終的な結論」と語っている
憲法調査会の資料がありました。

環境活動家の田中優さんのメールマガジンで
触れられているので、ぜひ読んでいただけたらと思います。
http://tanakayu.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
憲法を変えてしまうとどうなるか、優さんの考察も書かれています。

私は田中優さんの、自分は自分の頭で考えて判断する、
ほかの人にも、自分の頭で考えてほしいという姿勢がとても好きです。

新聞でも見出しのつけかたでだいぶ印象が違うし、
同じ事件でも、こっちの新聞には書かれていて、
そっちの新聞には書かれていない、ということが多々あり、
どの情報を出してどの情報を引っ込めるかでも、
主たるメッセージが異なってきます。

大きなメディアが言うからとか、
専門家が言うことだから、とか、
だれかの意見を盲信するのではなくて、
一度、自分の頭でよく考えて、どう感じるか心にきいて、
腑に落ちないところがあれば、
一次ソースをあたるなど、徹底的に調べ、
自分の考えを持つことが、
今の世の中を生きていくうえでは、
とても大切なことだと思っています。

【参考】
1%の既得権益者のための社会ではなく、
99%の国民のためになる社会をつくろう!という
市民団体プロジェクト99%では、
自民党の憲法改正案について、イラストつきで
わかりやすく解説した資料を用意しています。
こちらからご覧になれますので、見てみてください。
プロジェクト99 「こんなに危険!~自民党の憲法改正草案」


ほんとは原っぱで寝そべったり、
ぼーっとしてのんびり過ごしていたいけど。
こんな世の中だから、そういう努力を怠っては、
たいへんなことになってしまうんだ。
むちゃくちゃな未来を生きたくない。
こどもたちに、まごたちに、そんな未来を残したくない。

20130506

直感と印象

直感もしくは感覚と印象は、似ているようで相異なるもの。

そう思うようになったのは
「感覚的で論理的じゃない、だから正しいと思えない」
というだれかの批評がきっかけだった。

初めはなぜ感覚的だと正しくないのか、
論理的だと正しいと言えるのかがわからなかった。
とりあえず「そうですか」と受け取るしかなかった。

しばらく考えて、論理が万能でないということはわかった。
感覚のほうは?

「感覚的で正しくない」と言われるのは、
厳密には「印象」や「思い込み」のこと
を言っているのだと思った。

「印象」と「思い込み」は、頭の動き。
人間に見えている世界はごくわずか。
そのわずかななかで得た情報などを
まだ頭のなかで留めているうちは「印象」であって、
それを論理や言葉でそれなりにつなぐと「思い込み」になる。

感覚や直感というのはそれとは違う。
感覚や直感は、心の動き。
頭で処理するさまざまな情報を
自分ならどう思うか、どう感じるだろうか、と
何度も何度も反芻するうちに、
情報から得た印象は実感として心に降りてきて蓄積され、
感覚や直感を強化するのだと思う。

そして、感覚や直感は、
視覚や聴覚、嗅覚、味覚、触覚と同じように、
生まれつき備わっているもの。
なにか偉大な不思議な存在が私たちにくれたもの。
すべてが見える偉大な不思議な存在の目が見ている真実を、
わずかな世界しか見えない人間が察知できるように
心に備えられたセンサーのようなものだと思う。

アメリカの先住民族ホピ族が、
ウランのことを警告した予言が出てくる。
「母なる大地から心臓をえぐり出してはならない
それは灰の詰まった瓢箪と化し、やがては世界を破滅に導く」
(ウランだけではなく、土を掘ってえぐり出す、
 ほかの鉱物についても言っているのかもしれないが)

科学や論理を駆使しない彼らが、
直感で得た予言のほうが正しいということは、
原子爆弾や、チェルノブイリ、スリーマイル、
東京電力福島第一原発での事故などで
まざまざと見せつけられたはずだが、
まだ目を覚まさない人もいる。

日本であれだけの大災害を引き起こし、
今なお、苦しんでいる人々がいて、
暮らしへの不安が日本だけでなく
世界中に広がっているというのに、
科学や論理では、未だに結論が出ていないようだ。

頭のざわめきを静かにすると
心の声が聞こえてくる。
それが感覚や直感だと思う。
私自身はこれまで、直感を信じて間違ったことはなかった。
間違うときは印象や思い込みに囚われているか、
誤った前提にたって論理を組み立てた場合だった。

 映画「イエローケーキ ~クリーンなエネルギーという嘘~」の監督インタビューがこちらに掲載されています↓
http://www.cataloghouse.co.jp/2012spring/yomimono/genpatsu/002/

直の体験

日頃、パソコンの前に座って、
調べ物をしてまとめたり、
書物をしたりする仕事が多い。

パソコンの前に座っていると、
インターネットでなんでも調べられていると錯覚して
なんでもわかったような気になってくる。
なんだか自分がすごいやつになったような気がしてくる。
いかん、いかん、悪い兆候だ、と自分を戒める。

最近、「偉いさんの肩書きがついていた人のなかには
会社を定年退職したあとでもまだ偉い気がとれなくて
横柄な態度をとる人もいる」という話をきいて、
会社など限られた世界にいても、気をつけないと、
パソコンの前と同じようなことが起こるのかもしれないと思った。

私にとっては、直の体験をすることが、
そういう悪い心にガツンと衝撃を与えて、
謙虚な心を取り戻させてくれるいい薬になっている。

たとえば市(いち)などで、出店者さんや
たまたま居合わせたお客さんと話をするなど、
人と人との直のコミュニケーションをとると、
全然だめだ、まだまだ人間の修行が足りない、と反省できる。

畑に行って野菜を見ていると、
わからない不思議なことがいっぱいある。
朝と昼と夜で全然表情が違う。
無数の生き物の不思議な営みのなかで
野菜が育って、それを食べることができて
自分が今ここで生きているのが不思議になる。

自分に見えている世界がごくわずかであることを思い知る。

山に行ってみるとますますわからないことだらけだ。
暖をとったり煮炊きするのに必要な焚き火も
教えてもらってはじめてできるようになった。
できるようになったと言っても、
まだ火を起こすことすらできないし、
焚き火を絶やさないようにするのもたいへんだ。
大きな虫はまだ怖いし、蛇に噛まれたらどうしたらいいかもわからない。

生きていくために必要なことすらできないひ弱な自分を思い知る。

自然と人。
生きていくうえで関わりあう存在との直の体験。
それによって自分を知り、謙虚さを取り戻す。
その体験をなるべく身近にしておきたい。

20130505

なにを信じるか

知人から「水はすべてを知っている」という本を貸してもらった。
水にさまざまな言葉や写真を見せたり、話しかけたり、
音楽をきかせたり、電子レンジに入れてみたり、と
さまざまなことをして凍らせるとどんな結晶ができるのか実験したもので、
結晶の写真とともにその水に何をしたかが示されている。
「愛と感謝」という言葉を見せた水が一番きれいな形の結晶になっていた。

この本をいろんな人に見せると、
「すごいすごい、人間も70%は水だもんね、
 いい言葉をかけるように気をつけよう」と
自分の生活に前向きな変化をもたらそうと言う人と、
「え? 見せただけで? そんなことあるかなぁ。
 なんか仕組んでるんじゃないの~」
と疑う人とほぼ二つに分かれた。
普段していることから推測しても、なるほど、と思う反応だった。
ひとは信じたいものを信じるようにできている、と思った。

私自身は、こういうことも起こるのか、と思い、
信じたところで害はなく、
むしろ日頃の行いが良くなりそうだから、
信じておこう、と思った。
水が言葉の持つエネルギーを写しとっているのだとしたら、
実験をする人の心の持ちようも波動としてキャッチしている、
だから、疑いながら実験したら結晶に変化は表れないのではないか、と思った。

ひとは信じたいものを信じるようにできている、と思うことは、
ほかにもいろいろある。

私が健康のためにしていることは、
ほとんどの人がふだんしていることとは違うようだ。
普段していることが間違っていると思いたくない、
その気持ちは自然なものだと思う。
だから、食生活や現代社会の健康リスクなどを話すと、
たいていの人は訝しげに聞いている。
「科学的でない」と言われることもある。

私も昔は医者にもクスリにも頼らない暮らしというのは、
なかなか信じられなかった。
病気をしたら医者に行くのは当然だと思っていたし、
クスリを早めに飲むのも肝心だと思っていた。
それが間違っていたとは思いたくなかった。
小さいときにワクチンを打ったので、
それが間違っていたとは思いたくなくて、
ワクチンの負の側面も信じがたいことだった。

でも食べ物を自然に沿ったものにしてから、
病気にほとんどかからなくなり、
病気になっても食養で根本から治るのを身体で知り、
やっと医者にもクスリにも頼らない暮らしが信じられるようになった。

もうだいぶ昔のことだが、かつて同窓生に
「学力が足りないほうがお金が足りないよりも深刻だ」
と言われてがっかりしたことがある。

高校時代、「お金がないから大学進学は無理だ」と諦めていた。
それでももしかしたら、お金の問題は解決するかもしれない、
そのときに入りたい大学に入れるように、勉強しておいてみよう、と
入るあてもなかったが、勉強は続けていた。

結局大学には入れないかもしれないのに
学業と家業の両立のために、朝2時起きで勉強し、
休み時間も「ガリ勉」と言われながら机に向かうのは
なかなかつらいことだった。
どこの大学を受けようかなぁと現実的に迷うことができる
多くの同窓生が内心うらやましかった。

そんな同窓生のひとりに言われた
「あなたはお金が足りなくて大学に行けないのだろうけど、
 私は学力が足りなくて大学に行けないんだから。
 そんなアタマで大学に行けないなんて、聞きたくない」
という言葉には少し傷ついた。
「どうして? 学力なら自分次第でどうにでもなるじゃない。
 お金の問題は高校生の私にはどうにもならないんだよ。」と答えたら、
その人は「努力できるのだって才能」だ、
自分にはそれがない、というようなことを言った。

その人は、自分を弁護するために
「努力できないのは、努力する能力が生まれつき欠けているから」
という考えに縛られていたのだろう。
信じたいことを信じるのは仕方ないけれど、
つまらない考えに縛られてしまうのはもったいないと思う。
あのときは自分のことしか見えていなかったが、
だれだってやろうと思えば努力できるんだということを
実感として蓄積していってもらえるような
働きかけができたらよかったと今では思う。

余談だが、「努力できるのも才能のうち」という言葉は、
陶芸家の硲伊之助氏の「努力できることが才能である」
という言葉がさまざまに解釈されるうちに生まれたようだ。
この言葉が、努力できるかどうかは生まれながら決まっている
という意味で言われたものだとは私には思えない。
努力が才能をつくるという意味だと私には思える。

信じたいという気持ち。
それが保身から出たものであれば、
真実に背を向けている場合がある。
固定観念にとらわれずに、真実に近づくためには、
まっさらなこころでさまざまなことを体験して、
実感を重ねていく必要があると思う。


論理的に正しいからといって

昔、論理思考の訓練をしようと思って、
その世界ではかなり尊敬されている先生の著書を読んでみたら、
その先生が「論理は万能ではない」と言うので驚いた。

論理をそこまで極めて、いろんな人に教えている先生が
なんでそんなことを言うのだろうと不思議だった。

大学時代、英語ディベートの大会の手伝いをしたことがある。
相反するAとB、2つの主張について、
自分がどちらを正しいと思うかに関わらず、
くじ引きでAとBどちらの立場を論証するかを決める。

たとえば、心のなかでは「戦争に反対だ」と思っていても、
くじで「戦争に賛成だ」の立場になれば、
戦争に賛成する根拠とそれを支えるデータを並べて議論を戦わせる。
たとえ、審判も含め、そこにいるだれもが、
戦争はだめだと思っていたとしても、
論理的な強さが勝っていれば、戦争に賛成するほうが勝利するのだった。
命は大切である、人を殺すのは悪いことだ、などといった主張は、
概して「主観的」とされ、論理としては弱いらしい。

そのディベートの試合を見ていて、
あの論理思考の先生が言っていた意味がようやくわかった気がした。
論理的に正しいからといって本当に正しいとは限らない。

論理はどうにでも組み立てられるのということを知った。
だから、何を正しいとするか、それが間違っていたら、
恐ろしい主張が通ってしまう。それを目の当たりにした。

論理が不要だと思っているのではない。
正確なデータや事実をもとに論理的に正しく積み上げていって
正しい結論を導くのは大事なことだ。

しかし、倫理や世界観などになってくると、
何をもって正しいと言えるのかが難しくなってくる。
だから、論理以前に、心の修養が大切なのだということを知った。

命は大切である。
人は憎しみ合うのではなく、愛しあって生きるべきである。
私にとっては紛れもない真実に思えるのだが、
これらは論理で証明できるものだろうか。

こうしたものは、論理で説得するのではなく、
実感として心に刻むものだと思う。
それには幼い頃からの長い長い積み重ねが大切なのだろう。
おとなになってからでも、
生の声や現場に近い声をきちんと見聞きすることで
目を覚ますことができるのではないだろうか。

*念のため追記:
ディベート自体は本来、知的なゲームであり、
おもしろい遊びだと思っている。
給食とお弁当どっちがいいか、ベットとふとんどっちがいいか、
先生は友だちみたいなほうがよいか、など、
どっちでもいいようなことを題材に論理を組み立てて遊ぶ
純粋な知的ゲームとしてのディベートはおもしろかった。

20130415

「複」業という選択肢

「副」業の誤変換ではなくて、「複」業です。

最近、「なにしてる人?」ときかれても、「あれと、これと…、それから、 あれもやってて、あ、あとこんなこともしてて、それと…」のように、ひと言では表せない人が増えているように感じています。

身近でも複数の活動を生業(なりわい)にしているおもしろい人によく出会います。みんなどの活動も楽しんでいて、どれもやりたいことで、しかも、どれもだれかに喜ばれていて、感謝されていて、働いている時間も楽しんでいるように見えます。

カフェやレストランやバーも、少し前なら、飲食だけの場所だったように思いますが、最近では、お祭りの会場になってみたり、マルシェが開かれたり、はたまたライブハウスに変身したり、ワークショップがいっぱいある学校になってみたり、雑貨屋さんがいつもあったり、ヨガスタジオになってみたり、、、とひと言ではとても言い表せないお店を多く見かけるようになりました。

やりたいことはぜんぶやる!
それが「複」業を楽しんでいる人たちに感じられる気概です。
私もそんなふうになりたいなーと憧れています。

生業にする、と言っても、お金をもらう仕事には限りません。生きていくために必要なものを得ることにつながる活動もあります。

農家のお手伝いをしてお金の代わりに収穫の一部をもらったり、自給する術を身につけたり。手仕事のお手伝いをして夕飯をごちそうになる、というお話もきいたことがあります。

体験をセンスの糧にしたり、技術を身につけたり、縁を育んだり。こうしたことも生きていくために必要なことだと思います。

田中優さんが著書などでおっしゃっていた「生活の百姓になれ」という言葉が大きなヒントをくれました。これは、生活のなかで百の(=たくさんの)活動をして、お金に頼らない部分を増やしましょう、という提案です。

さきほどはお金以外の「収入」を得る例を挙げましたが、自分で自給できる範囲を増やすことは支出を減らすことにつながります。支出が減れば、手元に残るお金は増えます。そうすれば、お金で得なければならない収入は減らせます。

たとえば、ちょっとせせこましい計算になりますが、平日の昼と夜を外食で済ませていて、一食あたり1000円くらい使うとしたら、1000円✕2✕20日=40000円。

知り合いの農家さんから直接送ってもらっているお米と野菜で自炊する場合、うちの場合は一食あたりがだいたい300円なので、300円✕2✕20日=12000円。40000-12000=28000円稼いだのと同じになります。(と、考えてくると「主夫」や「主婦」と呼ばれる人々、めちゃめちゃ稼いでますね。洗濯とか掃除とか、全部他人任せにしたらいくらかかるんでしょう。。)

もしも、米と野菜の自給率が100%だとしたら、40000円稼いだのと同じになります。

私は週2回、会社に行くときはお弁当を詰めていきます。朝30分だけ早起きして、お弁当屋さんになります。外で食べたら1000円くらいかかるので、経費を引いて、700円分働いたぞー!と考えると、早起きもいいものです。(そしてなにより、自分でつくったほうが楽しいですし、妥協抜きで好きなものが食べられます。)

火がおこせて、薪もつくれたら、あるいは、生ゴミをバイオガスとして利用できれば、ガス代だってなくていい。電気も自給できたら、電気代もいらない(料理の薪を利用する小型火力発電ってできないんだろうか?)。

省エネで削減した分の電力を発電したものとみなす「ネガワット発電」と同じ発想で、節約した分のお金を稼いだものとみなせば、それも立派な生業(なりわい)ではないでしょうか。

また、食べられなくなるリスクを分散できることも「複業」のいいところだと思います。

*ちなみにこの「複業」という言葉、たぶん私のオリジナルではないと思います。何かで読んで記憶に残っていたのだと思うのですが、すみません、思い出せません。。。

■参考になる書籍
半農半Xの種を播く
地宝論 -地球を救う地域の知恵
減速して自由に生きる ──ダウンシフターズ (ちくま文庫)

20130413

Anja Lightさんトーク&ライブに行ってきました

Anja Lightさんのトーク&ライブに行ってきました。

Anjaさんは、シンガーソングライターで環境活動家。環境NGOナマケモノ倶楽部の共同代表も務めています。現在、家族で世界一周の旅に出ていて、日本には2ヶ月滞在し、各地をまわるそうです。

*ツアーの予定はこちら↓
久々の親子来日!~アンニャ、パチャ、ヤニの「世界と私を変える旅」ツアー

その夜は来日ツアーのオープニングナイト。心にまっすぐ届く歌にとても感動しました。お子さんのパチャさんとヤニさんもすてきな歌声をきかせてくれました。

歌のインスピレーションは、自然、そして人との出会いから生まれるそう。最初は環境・平和活動でメッセージを伝えるために曲を書いていましたが、だんだんと心から湧き上がる祈りが曲になるようになったそうです。

歌うことは祈ること。

歌でも、絵でも、文でも、表現をすることは祈りを届けること。そういう人に私もなりたいと思いました。

トークでは、Anjaさんのお金に依存しない暮らしかたやマレーシアでAnjaさんたちが出会ったペナン族の人々のお金に依存しない生きかたなどについて、スライドを見せてもらいながら、お話を伺いました。

Anjaさん一家はオーストラリアで、地球一個分の暮らしができる家をセルフビルド。廃材も利用しました。ピカピカのシステムキッチンなどまだまだ使えるのに捨てられているものもあったそうです。

Anjaさんの哲学、生きかたについては、著書の『しんしんと、ディープ・エコロジー―アンニャと森の物語』にも詳しく書かれているそうなので、読んでみたいと思っています。

バリバリの環境活動家からスローライフの実践者に主軸を移したというお話が特に印象に残っています。直接訴えることも効果があるものの、自分の暮らしを変えれば世界も変わる、と考えるようになったそう。環境に負荷をかけない暮らしを次々と実現しています。

環境活動家をやめたわけではなく、今でもデモに行き、直接声を届ける活動も続けているそうです。翌日も官邸前脱原発デモに家族で参加し、日本の未来にエールを送ってくださいました。

私たちの多くはすぐにはAnjaさんのような暮らしに入ることはできないけれども、明日からできることがあったら、教えてほしいという質問に、「いつもエコロジカル・マインドを頭のなかに入れておくこと」を答えの一つとして話してくださいました。

これはすごく大事だなぁと思いました。私も環境のこと、それから社会のことを考えるようになってから、

「環境を破壊することに加担していないか?」
「できるところから捨てるところまで環境を汚すことはないか?」
「安全に自然に還るか?」
「つくる人を苦しめていないか? 搾取していないか?」
「これを買うことで環境破壊や戦争をする人にお金が流れることにならないか?」

こうした問いがいつでも浮かんでくるようになりました。これらの問いに対して、満足に選ぶことのできる暮らしはいまの社会ではとてもむずかしくなっています。外でご飯を食べようと思っても、めったに入れるお店はないし、買えるものもなかなか見つからない。

それでも、「今日のところはしかたない、いつかはいい選択がしたい」と考えると、これからの選択に少しずつ、変化が出てくると思います。

これまでは目に入らなかったものが目に入るようになったり、いい選択のできるお店も見つかるようになったり。自分で工夫をして、できるように変えていくことも、とてもワクワクすることです。

そして、忘れてはいけないな、と思ったのは、自分の考えを持ちながらも、異なる考えの人に対して判断をくださないということ。

Anjaさんの考え方をまわりは理解しているといいます。もちろんみんながそれに共感しているわけではなく、異なる考えの人々はいて、「君の今の生きかたは10年先だよ」と言われることもあるそうですが、そういった人とでも仲良く調和して暮らしているとおっしゃっていました。秘訣は、他人に対して判断をくださないことなのだそうです。

ただ、判断をくださないと言っても、考え方が異なる場合に、自分の考え方を述べることは、相手を非難することになる、だから言わないほうがいい、というスタンスは違うんだな、と思いました。

Anjaさんのお話を聞いて、お互いに理解することが大切なのに、自分の考えを言わないというのは理解につながらないんだと気づきました。自分がどう思っているのか、正直に話さない限り、相手も本音では話してくれないと思います。言い方に精一杯気をつけて、それでも「押し付けられた」「非難された」と思われるのだったら、それはもう仕方がないかな、と思いました。

歌っていただいた曲のなかで、Kurikindiの歌がとても心に残っています。「ハチドリのひとしずく」という民話から生まれた曲です。私も大好きなおはなしです。Kurikindiの歌詞を心に焼き付けて、毎日を大切に暮らしたいと思います。

わたしは わたしにできること
あなたも あなたにできること
火を消すための ひとしずく
命のための ひとしずく

脱原発を願うようになった経緯

「なんでそんなに脱原発を叫ぶようになったの?」
と聞かれることがあります。

それは不思議になると思います。
私は3月11日に震災が起こるまで、
原発のことはよくわからなくて、
何の主張もなかったからです。

なので、少し長くなりますが、書いてみたいと思います。

私は、東北の出身でありながら、
福島にあんなにたくさん原発があることさえ知りませんでした。
事故の映像を見て、初めて場所を知りました。

爆発の後どうなってしまうのかが知りたくて、
映画を見たり、本を読んだり、インターネットで情報を探したり。

調べれば調べるほど、
原発は絶対にあってはいけないものだ、
と強く思うようになりました。
ドキュメンタリー映画が伝える真実は
映像であるがゆえに、生の声であるがゆえに、
とてつもなく大きな衝撃を受けました。
(読んだ本や見た映画などは後述します。)

なんで、知らなかかったんだろう、と情けなくなりました。
私が生まれる前から、
反対運動をしてきた人たちがたくさんいて、
どうしてこの人たちの話を
ちゃんと聞いてこなかったんだろう、と思いました。

身近で初めて、原発に反対している人に出会ったのは、
働きはじめてからでした。年の近い人です。

「なぜ?」ともなんだか聞きにくくて、
なぜだめなのか調べてみようと思ってはいたものの、
毎日の慌ただしさに流されて、後回しになっていました。
怖がらないで聞いてみたらよかったのに、
と今となっては悔やまれます。

その人に会うまでは、
原発のことは、もしかすると
考えたこともなかったかもしれません。

テレビや新聞で見る原発に反対する人々のことは、
フツウの人と違うと思っていたように思います。
もしかすると、非現実的で過激な人たち、
とまで思っていたかもしれません。

よく調べもせずに、
「便利な世の中を保つために、
原発はしかたないんじゃないのかな?」
と思っていたように記憶しています。

どうして、よく考えもせずに、よく知りもせずに、
勝手に思い込んで、決めつけて、と本当にばかだったと思います。

その無関心、無頓着があの災いを引き起こしたのでした。
私は原発に賛成したことはありません。
でも、無関心、無頓着であったことが、
原発を推進する大きな力になっていたことは確かです。

反対運動をずっと続けてきた人たちでさえ、
「自分たちの努力が足りなかったから
こんな大惨事を防げなかった」と、
「自分は罪人だ」とまで言う人もいます。
それを読んで、私なんかもっと罪が重いと思いました。

だから、こう思うようになったのです。

隠されている事実を知ること。
現場の声をちゃんときくこと。
現状をきちんと見ること。

知ったことをきちんと伝えていくこと。
できる応援を続けること。

原発の犠牲になっている人たちが
その呪いから解放されることと、
原発のない世界を祈り続けること。
そしてそれを行動にしていくこと。

それが今の私にできる、
せめてもの罪滅ぼしだと思うようになりました。

具体的な根拠は、また別の機会に書きたいと思います。
これまでに見た映画や読んだ本などの一部を以下に挙げます。
少しでも見てみてもらえたら、うれしいです。
そして、自分なりの考えを持ってもらえたら、すごくうれしいです。

■映画
イエロー・ケーキ クリーンなエネルギーという嘘
第4の革命―エネルギー・デモクラシー
シェーナウの想い~自然エネルギー社会を 子どもたちに~
ミツバチの羽音と地球の回転
内部被ばくを生き抜く

■本
『原発・放射能 子どもが危ない』
『新聞記者が本音で答える「原発事故とメディアへの疑問」』
『鎌仲監督 vs. 福島大学1年生: 3.11を学ぶ若者たちへ』
『今こそ、エネルギーシフト――原発と自然エネルギーと私達の暮らし』
『内部被曝』
『チェルノブイリから学んだお母さんのための放射能対策BOOK』
『地宝論 ──地球を救う地域の知恵』
『テクテクテクノロジー革命』
『原発がなくても電力は足りる!検証! 電力不足キャンペーン5つのウソ』

■市民メディア(雑誌)

■情報サイト

20130412

私は言いたい

知られていない事実。
知ってしまった事実。

健康を損なうリスクのあるもの。
地球に住めなくなるリスクのあるもの。
一生懸命働いて得たお金を、
人を苦しめることに使われるリスクのあるもの。

もともと小心者の私です。
言わないほうが、それは楽です。

自分だけ気を付けていれば、
それでいいのかもしれない。

自分だけ、どこかにこもって、
自分がいいと思う暮らしをしていたら、
それでいいのかもしれない。

それでだれも不快にならないのかもしれない。
それでいいのかもしれません。

でも―。

リスクを知った上で、それでも便利だからと選択する。
リスクを知らずに、便利だからと選択している。

そこには大きな差があると思うのです。

身近な人が、大事な人が、
これから出会うかもしれないすてきな人が。

それで命を落とすかもしれない。
命はなくさないで済んでも、長く苦しむかもしれない。

自然と共にある暮らし。その恵み。心にくれる潤い。
それがどんどん失われつつある今、
もう二度と、得られなくなるかもしれない。
自然はいつだっておおらかに、私たちを抱いているというのに。

そうなるくらいなら、
不快にしても、仲たがいしても、嫌われてしまっても。
私は言いたい。伝えたい。

死んでしまうほうが、苦しまれるほうが、
もうもとには戻せなくなるほうが、私にはつらい。

だから、私は声をあげ続けたいのです。

20130318

山田征さんの本を読んで

山田征さんの著作「ただの主婦にできたこと」という本を読んだ。ただの主婦ながらやってきたという、ただならぬおもしろいこと、すてきなことがたっくさん詰まっていて、ただならぬエネルギーをもらった。

山田征さんのお名前を初めて聞いたのは、昨年初冬、寺田本家の酒仕込会の席でのこと。その前の秋に同じく寺田本家で開かれた稲刈会で知り合いになったYさんから、「土と平和の祭典」で自然エネルギーの推進よりも省エネがもっと大切と話している方がいた、という話を聞き、その方というのが山田征さんだった。

太陽光パネルの記事を書いていて、ふと、そのときのことを思い出した。もしかしたら本も出されているかもしれない、と思って府中図書館で検索してみたら、この本がヒットした。

小学校の給食に使われる食材を素性のわかるものに変えたこと、素性のわかる野菜の共同購入を始めて町の人々がつながる場所になっていたこと、野菜や米を作っている農家の家に援農に行ったり、子どもたちを農業体験に連れて行ったりしたこと、主婦仲間で素性のわかる食材の定食屋「たべもの村」を始めたこと、そうした活動を通じて知り合った全国の人々に会う旅に出たこと、など、どのエピソードにも元気をもらった。どれも何か特別な運動や活動ではなくて、人と人とのつながりのなかで、自然と生まれていったものというのが読んでいて伝わってきて、すてきだと思ったし、自分にも何かできるような気持ちになった。

環境に負担をかけない生活の実践や、原発をいやだと思う気持ち、サンゴ礁を守りたくて石垣島の人たちと白保のサンゴ礁を埋め立てに反対をした話も出てくるが、どれも実生活に基いて発生した自然な気持ちだった。たとえば、泡立つ多摩川を見て、あんななかで泳いでいる魚はたまらないだろうな、合成洗剤は使わないことにしようか、と決めたり、山を歩いて目に入るプラスチックのゴミの山を見て、藁や竹なら自然に還ったのに石油由来のゴミは自然に還らない、家の中から石油由来のものを減らしていってみようか、と決めたり。どれも体験に根ざしたものだとよくわかる。

たべもの村」が出てきたのには驚いた。ときどきご飯を食べに行く定食屋さんで、少々狭いがあったかくて、ついつい長居したくなる。いつも行く三鷹の八百屋さん「やさい村」の村長(店長)さんともお友達だったことがわかって、またびっくりした。携帯電話のナビを使って「たべもの村」に行こうとして、間違えて「やさい村」で検索してしまい、たまたま着いたのが「やさい村」。この間違いは幸運だった。生命力の強い野菜や果物、天然醸造の味噌から寺田本家の発芽玄米酒まで、ほしいものは何でも揃うお店で、以来、ちょくちょく通っている。

さらに奇遇なことに、この本が出版された頃のお住まいは武蔵境。最寄り駅から中央線に出るのにいつも使う駅だ。西武多摩川線まで登場する。今、自分の行動範囲にある街の25年前を読むのは新鮮だった。人と人とのつながり、自然と人とのつながりが崩壊していこうとする時代なかで、その逆を行く人たち。当時は、経済成長が第一というような考えが主流な中で、本当に大変だっただろうな、と思った。ニュースに心を痛める日も多いけれど、この頃に比べたら、少しは進歩しているのかな、と思ったりもした。身近なところを起点にして、地に足をつけて自分の頭で考えて、行動していくこと、続けること、それが大切なんだよ、と教えてくれる本だった。

20130121

ナンバーワンを目指すのをやめてから

何かで一番になることを目指すのではなく、自分が一番ありたい姿を追求していくことを目標にしてから、人生を素直に味わえるようになったと思う。

向上心を失ったのではなく、分析的な自己評価から、統合的な自己評価へと変化した。

自分の能力をたとえば、コミュニケーション能力、作業効率、英語力、文章力、論理思考…などと、分けて切り刻んで、資格試験を受けてみたりして、これは誰にも負けたくない、これは全然だめだからもっとやらなきゃ、と人と比べて、自分を評価していた頃は、恐怖に駆り立てられての努力で苦しかった。

いつしか、自分が楽しんでいるか、人を笑顔にできているか、人として誤ったことをしていないか、
そういうことで自分を見つめるようになった。

今、自分を評価するのは極めてシンプルで、鏡に映った自分がどんな顔をしているかを確かめる。
ぶすっとしていないか、怯えていないか、後ろめたい顔をしていないか。それを感覚的に見て、普段の行いを振り返る。

何かの能力で自分より秀でた人がいると、かつての自分なら、劣等感や負けたくないという衝動に苦しんでいたのだが、今は、喜ばしく思えるようになった。

自分ができないことは、好きなことならできるようになれたらいいけれど、そうじゃないなら無理にできるようになろうとしないで、それが好きで得意な人に任せればいいや。

自分よりよくできる人がいたら、その人を手伝わせてもらったり、応援すればいいや。

そう思えるようになってから、努力も無理にがんばって能力を高めるという感じではなくて、自然にいつのまにか前よりもできるようになっているという感じになってきた。

上手な人を手伝っているうちに、自然に身に付いていることもあれば、もっと人の役に立てるように力をつけたい、と思って学び、喜んでもらえてうれしくて、さらに学びたくなる、ということもある。

かつての分析的な自己評価を悔やんではいない。あの負けん気があったからこそ、集中して努力できたのだと思う。だけどそれを今でも続けていたらきっと、限界がきていただろう。

自分を人間として高めることを楽しみ、優れた能力を持った人との交流を喜べるようになった、この変化を今、とてもうれしく思っている。

20130114

年明けのファーマーズマーケット(後半)

前半からの続きです。

みかんのおいちゃんのお向かいに、
いつも使っている石けんのお店を見つけ、
連れが特に気に入っている髪の生える石けんを買いに行く。
「あれー、いつも一緒の人は?」
「ジムのレッスンに行ってしまって。待たされてるんです。」
連れのことまで覚えてくれていてうれしかった。
楽しみにしていた新製品の香水も並んでいる(化学物質は一切入っていない)。
「こないだ記事で読んだ香水、楽しみにしてました」と言うと、
ひとつひとつ、香りを説明してくれた。
「いつも一緒の人が好きそうなのはこれかなぁ?
  ジンジャーがラストノートに入っているの。
 ジンジャーの入った石けんが好きって行ってたよね?」
連れにも話すとよく覚えてくれていると驚いていた。
「彼氏」とも「だんなさん」ともおっしゃらないところもニクいと思った。
忙しそうになってきたので、とりあえず石けんだけ買い足して退散。
みかんのおいちゃんが向かいから
「ありがとうやで~」と見送ってくれる。

以前、仕事仲間に差し入れを買ったお菓子やさんの女の子を見つけた。
彼女のお菓子には、ファーマーズマーケットで仕入れた食材が入っているものもある。
◯◯さんの生姜、とかわいい字で説明が書いてあり、
生産者さんへの敬意がすばらしいと思う。
「いつもおいしくって、ありがとうございます」と感謝を伝えると、
とびきりの笑顔を見せてくれた。
おいしいって言われるのがうれしい、
なんて純粋な気持ちでお菓子を作っているんだろう。
「おいしい」と直接言えるのも、マーケットのいいところ。

紫花豆。我が家では通称「でっかいごっつい豆」
時間を持て余して、ぶらぶらしていると、
見覚えのあるでっかいごっつい豆を発見。
標高の高いところでしか育たないと聞いた
花豆という珍しい豆だ。
花豆との再会に大喜び。
一人でお店を出していた若いお兄さんに
お金を払うと、
「せっかく買ってくれたから、
りんごチップス食べていってください」
とおっしゃるので、いただきながらおしゃべり。
「花豆見て喜んでるから
 不思議な人だなぁと思って。」
「前にエコプロ展で八ヶ岳の農家さんが
 出店していて、花豆をいただいたんです。
 正月に煮豆にしたらふっくらしておいしくて。
 家族には『でっかいごっつい豆』と呼ばれていました。」
「たぶん、生産者が直接店出してたときですね。」
これまた見覚えのあるトウモロコシ茶が目に入る。
「これ、うちにありますよー、清里に旅行に行ったときに見つけて。」
トウモロコシ茶を買ってきた清里のお店のこともご存知の様子で、
旅行先で出会ったあのお店の男性ともきっと知り合いだろうと思った。
不思議なつながり。
彼も清里から来ていて、トンネル事故があってから、車で来るのは一苦労だという。

しばらくして連れが戻ってきたので、
さっきの香水の香りを試してもらいたくて、
石けんのお店に連れて行く。
対応してくれたのは別の女の人だったが、
一度来ていたことを覚えてくれていた。
「さっき渡すの忘れちゃったねって話していて。また戻ってきてくださってよかったです」
バスソルトのプレゼントをいただいて恐縮する。
連れは、お店の人のお見立て通り、
ジンジャーの入った香水が一番のお気に入りだった。

マーケットに通い始めて半年くらいになる。
初めは食べ物を買いに行っていたのだが、
いつのまにか、人に会うのも楽しみになってきた。
かつて「市(いち)」は人々の交流の中心だったのだろうと思うことがある。
約束するわけでもなく、気が向いたときにふらりと出かけると
よく会う人たちに会うこともある、ゆったりとした出会いの場。
お店の人、お客さん、会うのが楽しみな人がたくさんできてきた。
この調子で行くと日本全国に友だちができるような気がしている。

20130113

年明けのファーマーズマーケット(前半)

今週末は2013年を迎えてから初めてマーケットにでかけた。

まずはいつものお兄さんのところで玄米プレートのランチ。
もっちもちの玄米に、ひじきとれんこんの和え物、
車麩と玉ねぎの香草フライ、蕪の甘酢漬け。
「ごちそうさまでした」。紙皿を返しに行きながら挨拶。
「いつもありがとうございます」。ちょっと照れた感じの笑顔が素敵だった。

紙皿を返しに行く途中で、年末に帰省みやげのシュトーレンを買ったドイツパンのお店を発見。
帰りに寄る。
「こんにちはー!実家にシュトーレンを持って行ったらとても喜ばれました」
「クリスマス限定だったので、今日はないんですよ」
と申し訳なさそうな感じのお兄さん、少しうれしそう。
「これが少し似た感じだと思うんだけど」
レシピに忠実なマイスターが珍しくオリジナルレシピを考案したという
オレンジピールとクリームチーズのたっぷり入った
ラム酒入りのケーキを味見させてくれた。

ここのパンは古代小麦にビール酵母と珍しいパンばかり。
年末に来たときに、どれも天然酵母を25時間かけて
発酵させて作っていると教えてもらった。
まだ昼過ぎなのにすでに在庫は半分ほど。バケットは1本しかない。
「いやぁ、リピーターが来てくださるのはありがたいんですが、
同じものを何個も買っていってしまうものですから…」
毎週出店することにしたとのことなので、
数種類を一斤ずついただいてきた。

その後、ウェブサイトで見て気になっていたお店に直行。
おいしかったら家族に産直を紹介したいと思っていた
愛知県の自然栽培・循環栽培の農家さんがこの日は初出店。
行ってみると野菜は量り売り。
固定種・在来種の野菜は大きさにバラツキが出るので、昔は量り売りがふつうだった。
量り売りということはきっと固定種かなと思い、聞いてみる。
「このお野菜は固定種または在来種ですか?」
ほとんどが固定種で「大根は交配種だけどうまいよ」とのお答え。
雄性不稔のことが気になっていることを伝えると
ご存知の様子でうんうんと頷いて心配をわかってくださった。
「じゃがいもと、さつまいもと…」
いろいろお願いしたら量りの針が振り切れて正確な重さがわからない。
「これで◯◯円でいいですよ」
本当にいいの?と思いつつ、ありがたくいただいた。
「どうもすみません。案内を一枚いただいていいですか?」

「あー!!」前のほうで明るい声がする。
両手を振っていたのはCさんだった。
「お会いできてよかったー!明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
お互いにまず年始のご挨拶。その後、年末年始のお休みの話、
年賀状の絵の話など、久しぶりのおしゃべりに花が咲く。
Cさんとは不思議な縁で、なぜかいつもマーケットに行くとばったり会う。
しかも同じようなあたりで。
何度かお会いするうちに顔なじみになり、
今ではすっかり仲良くしてもらっている。
初めてお会いしたとき、Cさんは柿をすすめてくれた。
最初はお店の人だと思っていたら、
「ちなみに私はお客さんです」とおっしゃるのでびっくりした。
二回目は野菜を味見させてくれて、そのときはお手伝いでいらしていた。
「今日はお客さん?それともお手伝いですか?」
「今日はお客さん。ゲンさんがちょっとトイレに行きたいって言うから手伝ってたの」
そうか、一人でお店を出していたらトイレに行くのも一苦労だもんなぁ。

Cさんがおともだちのお店を何店か案内してくれた。
「ぽんかん、どうぞ」とCさん。
和歌山県みなべ町のぽんかんを味見させてもらう。一切れが大きい。
「私のお友達」とCさんが紹介してくれる。
「みかん、好き?」おいちゃんが和歌山弁できく。
好きだと答えると、みかんも味見させてくれた。
「すかさず、『おじさんのことは?』ってきかなきゃ」とCさんが冗談を言う。
「そんなん、関東の人には通じやんもん。」
帰ってから連れにこの話をすると、「おいちゃん、ようわかってるわぁ」と笑っていた。
おいちゃんに「連れが和歌山出身で」と言うと、
「えー和歌山?和歌山のどのへん?」うれしそうに乗り出すおいちゃん。
「和歌山市です。」
「ほなら、『~でっしゃろ?』ってよう言わんかい?」
「あんまり聞いたことないけどなぁ。」
「そら、もう東京にだいぶ染まってもたんやわ。」
大笑いした。和歌山の人のひとなつこさが温かい。
もう一つの故郷がなつかしくなった。
小さいかわいいミカンを買うと「ありがとうやで~」とおいちゃん。
「また散財しちゃったね」と心配してくれるCさん。
また連れもいるときにおいちゃんに会いに行こう。
みなべ町にも行ってみたい。

つづく


20130107

だれもが芸術家

小説を書く人でなくても、音楽を作る人でなくても、
絵を描く人でも、彫刻をほる人でも、演劇を作る人でもなくたって、
だれもが芸術家でありうると思うことがある。

芸術とは、はっとさせられるもの、
心をぐっとつかんで離さないものだと
私は思っている。

世間では芸術家とは呼ばれない、
自分でも自分のことを芸術家だとは思っていない人。
そういう人たちのふつうの毎日のなかに
心をつかまれるものを見ることがある。

傘寿を越える女性。
彼女はずっと働きどおしだ。
身体もしんどいだろうにと遠くで暮らす孫が言う。
「おばあちゃんほど、いつまでも苦労してる人ないよ。」
「なあに、泣いても一生、笑っても一生だぁ。」
彼女はいつも気丈に笑っている。

正月、それぞれの暮らしから実家へ集う兄弟。
母親はおいしいものを朝昼晩、せっせと用意する。
一日中、下ごしらえに、買い物に、料理、
片付けの繰り返しで、ゆっくり座る間もない。
食べ盛りの子どもらが母親の分を残さずに
ほとんど食べ尽くしてしまってもニコニコしている。
客人が気の毒になって言う。
「作ったのはお母さんなのに、お母さんの分がちょっとしかないなんて」
母親は笑って答える。
「食べるのに執着ないからええんやで。
 おいしいって食べてくれたらそれが一番うれしいんよ。」

都会の混んだ電車の中。
会社員らしい男性が立ったまま、必死の形相で書物をしている。
やっと前の席が空いて座ると、ほっとした表情で資料を広げ、
書物のスピードを上げる。
次の駅で赤ちゃんを抱っこした女性が乗ってきた。
やっと座れた男性はきっと譲らないだろう、という自分の予想に反して、
男性は「どうぞ」と立った。
女性は最初遠慮したが、男性がもう一度「どうぞ」と言うので、
ありがたそうに席に座った。
しばらくして別の席が空くと、その前に立っていた人は座らなかった。
まわりにいただれもがさっきの男性に遠慮しているかのようだった。
そのうち1人が、「空きましたよ、よかったら」と男性に声をかける。
男性は決まり悪そうにしながらも、でも助かった、という感じで
譲られた席に素直に腰を下ろした。
だれもが自分の世界に没入し、他人には無関心に思える都会の電車。
その中で見られた優しさの連鎖だった。

こういうシーンに出会うと、
どんな芸術作品にもないような感動に満たされる。
そのたびに、人間の人生とは、スケッチブックの一頁一頁、
原稿用紙の一枚一枚のようなものに思えてくる。
生きている姿そのものが心をつかむ。
その意味でだれもが芸術家でありうると思う。
自分も、自分の人生というこの作品を、
妥協なく高めていきたいと願っている。