20190319

だれかに言われたことに嫌な気分が生じたら

人の意見はさまざまだ。人生設計や生き方となると、なおさらで、相反する玉石混交の意見が飛び交っている。

先生の言うことはなんでも「ハイ」と聞きなさいという人もいれば、先生だって間違ったことを言うんだから気をつけなさいと言う人もいる。

一生安定した仕事を選べという人もいれば、今の時代、絶対に安定した仕事なんかないんだからやりたいことをやるべきだという人もいる。

少子高齢化社会なんだから子どもを生まないなんて自分勝手だと批判する人もいれば、子どもを生むのも生まないのも個人の自由だという人もいる。

まわりの人や、出会う人に、「あなたはこうすべきだ」と忠言されたり、自分のすることを非難されたりすると、「たしかにそうだな」「それは面白そう!」と思うこともあるが、嫌な気分になったり、不安になったり、つらく感じたりすることもある。

だが、そういう嫌な気分に浸るのではなく、他人の意見は参考程度にとどめ、自分がどう感じるか、どう考えるかを最優先するほうが、充実した時間を増やすことができる。

人から言われたことに対して、感情が乱されるのは、おもに3つの場合があるように思う。

1つは、相手に自分の考えを認めてもらいたいと思う場合。あまり親しくない人であれば、物理的にも心理的にも距離をおけば解決できる場合が多いが、家族やパートナーなど、身近な人であればあるほど、自分のすることや考えていることを理解してもらいたいものだし、応援してもらえたらもっとがんばれるもの。できることなら、相手に自分の信じていることに共感してもらえたら、と思うのは自然な感情だと思う。

だが、いくら家族でも、パートナーどうしでも、他人であることに変わりはない。他人がどう思うかはその人の自由。変えることができないこともある。相手に迷惑をかける場合を除いて、相手が認めてくれなくても、自分が本当に正しいと思うことならそれを変える必要はない。相手を変える必要もない。

理解できること、信じられることというのは、その人の知的鍛錬の度合いにもよるし、その人の経験に左右される部分も大きい。すぐに理解してもらえる場合もあれば、時間がかかる場合もある。でも、相手を攻撃することなく、自分が信じることにひたむきに取り組み、相手が望むことで自分も共感できることがあればそれにも取り組んでいれば、そのうち理解してくれる場合が多いように思う。

自分が本当に大切なことだと考えていることなら、相手がたとえ死ぬまで分かってくれなくても、自分を信じて続けていけばいいと思う。相手の意見に合わせて、自分の信じていることを断念して、相手の望む通りにしたら、うまく行っても心から喜ぶことはできないかもしれないし、うまく行かなかったら、相手のせいにして、恨み続けることになってしまうかもしれない。自分で決めて失敗したことなら、誰かを恨むことはないし、失敗から学んでいくことも喜びにできる。

もう1つは、「自分はこうしたほうがいいんじゃないか」「自分はこうしていくべきなんじゃないか」「自分はこれがいいと思う」といった信条が、まだ自分のなかでしっかりと土台を築いておらず、グラグラしてしまう場合。鍛冶屋さんが鉄を叩いて強くするように、そういう意見は自分の信念を叩いて強くしているものと捉えられれば、少し前向きに考えられるかもしれない。

「なんでそんなこと言うんだろう!」「わかってないな」「古い」「あーまた始まった」…自分のことについて何かを言われて嫌な気分になったら、それは相手が言うことを自分は正しいと考えていないということ。相手がなぜそういうことを言うのかを考え続けてイライラを募らせるより、自分は何を正しいと考えているのかを改めて考え直して、それがやっぱり正しいと思うなら、それを実践していくことに集中したほうが時間を無駄にしなくてすむ。それに、自分がいいと思っていることに集中していれば、嫌な気分は消えていく。

3つ目は、「自分が間違っているのかも?」と思って、自分の間違いを認めたくないくてイライラしたり、怒りを感じたりする場合。そういう場合は、公園に散歩に行くとか、寝てしまうとか、気分転換になることをして、怒りの感情からできるだけ早く落ち着ける。それから冷静になって考えてみると、自分がなぜ怒りを感じたのかを客観的に見ることができる。本当に正しいことに気づかせてくれたと分かったら、軌道修正したらいいだけのことで、自分が間違ったことをくよくよ考える必要はない。耳の痛いことを言うのはエネルギーの要ることだし、厳しい意見を伝えてくれた相手に、感謝の気持ちが起こってくる。

合わない意見を押し付けられて、「嫌だなー」「早く離れたいなー」と思うことはたまにある。どんな意見にも感謝しろと言われるが、こういうふうに考えてみると、感情を乱す意見というのは、自分が正しいと考えていることをより明確に認識することや、自分の信念を鍛錬することに役立っていたり、感謝できる面もある。

意見の違う人に、「あーしろ」「こうしろ」と言われて嫌な気分になったら、これは自分の軌道を確認するチャンスと捉え、自分の心の動きを確認する。相手の意見は参考程度にとどめて、自分が本当に進みたい方向に行くのに役立てる。自分とは違う意見をもらうと、自分にはない別の角度から眺めることにも役立つ。自分が進みたい方向とは逆の意見なら、「やっぱり自分はこう思う」と信念を強めることに役立てられる。感情を乱されて終わりではもったいない。

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