保育園に通っていたとき、職員室から自宅に電話をかけて「殺されるー!」と親に助けを求めたことがある。親は大急ぎで保育園に駆けつけたそうだが、そのときは会わせてもらえなかった。夕方迎えに来てくれた親によると、先生(保育士)はものすごい剣幕で怒っていたらしい。
事件は夏のプールで起こった。水が苦手だった私は、保育園のプールのへりに座って足を水につけ、少し前かがみになって顔に水をかけていた。顔に水をかけて水に慣れてからプールに入ろうという作戦。ところが、後ろから担任の先生が近づき、私の後頭部を掴んで突然水に顔を押し付けた。突然のことで、息を十分に吸っていなかった。息が苦しい。力が強すぎて顔が持ち上がらない。
先生は殺す気ではなかったのだろう。窒息死する前に手が離れた。ちょっとびっくりさせようと思ったくらいかもしれない。水に顔をつけたって「ほら何ともなかったでしょ?」と言いたかったのかもしれない。そんなことを考える余裕はない。手が離れた瞬間にプールから脱走し、職員室へ直行。机の上の電話を取り、自宅の電話番号を押して電話をかけた。母が出た。先生はすぐに追いかけてきて、電話を切った。「殺されるー!」とだけは言えたようだ。今母の立場になって考えてみると、なんとも背筋の凍る状況だったと思う。
職員室の電話を無断で使ったことでさらに怒られて、それ以来「問題児」という扱いになる。「(保育園児が)電話をかけるなんて前代未聞ですよ!」と親も怒られたらしい。「家でどんな教育してんだよ、もっと子どもらしく育てろよ!」とでも言いたかったのだろう。それ以来、プールの時間は教室に閉じ込められていた。謝ったらプールに入れてくれるとか、もしかしたらそういう話だったのかもしれない。ちゃんと覚えていない。外から聞こえてくるきゃっきゃという子どもたちの声や、教室に一人ぽつんと座ってやけに広いなと思ったこと、薄暗い板の間に夕陽が射し込んでぼんやりとしたオレンジ色に染まっていた床から壁にかけての色や影の感じは今も鮮明に思い出せる。
この保育園ではもう1つエピソードがある。たぶん年中のクラスだったとき(だからたぶん4歳のとき)、年長のクラスのさくら組の子どもたちに「1たす1は?」「2たす2は?」「4たす4は?」とやられて全部答えたらそのうち出題者のほうが答えがわからなくなって怒り出して、先生に言いつけにいった。年長の担任の先生に「さくら組ナメんなよ」と言われたのは今でも忘れない。
子どものころは、なにしろ、「子どもらしくない」と怒られた。家にあいうえおの表が貼ってあって、昔話の絵本もたくさんあったし、親もよく新聞を読むしで、字なんか習わなくても勝手に覚えた。電話のかけかただって、習った記憶はないが、親がやる様子を見て覚えていたんだろう。簡単な計算もいつの間にかできるようになっていた。家でとれた梅の重さを量ったり、買い物を手伝ったりしていたからかもしれない。人間は、教え込もうとしなくたって、必要だとか、おもしろそうだと思ったら、自然に覚えていけるものなのだと思う。
成長や学習のスピードなんていうのは、人それぞれみんな違う。何歳でこれ、と決めて、それより早いからと「子どもらしくない」、それより遅いからと「学習障害」とレッテルを貼る、そんなことに振り回される必要はない。そうした批判は、そんなことを言ってくる相手の考えの浅さを証明しているだけのことだ。
必要なスキルや知識や体力も、それが必要になるタイミングも人によって違う。それなのにみんな同じように同じときに必要かどうかもわからないまま詰め込まれて、競争させられて、正常な感覚を持っている子どもだったらうんざりして当然だ。個人個人をしっかり見て、その人それぞれに必要な学習やその助けになるものを見極めるのではなくて、ものさしにあてがうことしか考えていない大人があまりにも多い。人間ひとりひとりのそのままを見て、その人の学習に必要な手助けが自然にできるような、必要なければそっとしておけるような人間でありたいものだ。
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