20190409

自分を大切にすることは社会貢献の第一歩

だれかの役に立ちたい。困っている人を助けたい。だれかを笑顔にする仕事がしたい。社会貢献がしたい。こうした望みは、きっと誰しも、多かれ少なかれ、持っているものではないかと思う。

私のなかにもそれはある。でも、「それはなぜか?」と考えてみると、「まわりに認められたい」「偉いヤツだと思われたい」といった、承認欲求から来ているものでは全くないとは言えない感じがする。この段階では、本当に純粋に、他者の幸せを望んでいるものではないので、「順序を間違えたらいけないな」と、闇雲に行動に走ることは控えている。

他者の幸福のために行動したいという欲求が、真に純粋な望みになれていないのは、きっと、まだ自分を大切にできていないからだと思う。誰かや何かの基準と自分を比べて、これもしなきゃだめだ、あれもしなきゃだめだ、もっと人の役に立たなきゃだめだ、社会に大きく貢献しないと自分は役立たずだ、と自分を責め続けている、そこまでは行かなくても、それに近い気持ちがあるから、人の役に立ちたいという気持ちの動機の1つに、承認欲求を満たしたいという気持ちが混ざってしまうのかもしれない。

自分を大切にするというのは、こんなふうに言い換えられるかもしれない。

自分が生存に必要なものを満たす。心地よく快適に過ごすために必要なものを満たす。自分の心を感謝や喜びで満たす。自分そのものを肯定できる。自分で自分を幸せにできている。

これができるようになると、自然と他者のことを思いやれるようになるもの。「自然と」というのが大切で、自然と湧き上がってくる想いに動かされて、わくわくしたり、うれしくなったり、満たされた気持ちで、他者のためになる行動ができるようになってくるように思う。他者への依存がなくなり、本当に自立した自由な存在になれる。

とはいえ、自分を大切にできる前の段階で、人助けをしたとしても、本当にだれかの役に立つこともあるし、そのなかで自己肯定感が増していったり、気づきや学びを得たりして、自分で自分を幸せにできるようになる場合もあるし、否定はしていない。それでもやっぱり、自分で自分を大切にできないうちに、他者や社会全体のために何かいいことがしたいと行動している人のなかには、歪んだ善意を感じる人も多い。

だれかのため、とは思っていないであろう行動に、元気をもらったり、笑顔にしてもらったりすることもある。

時折開くエッセイがある。話すように書いていて勢いがある。本当に楽しくて書いているのが伝わってくる。とあるブログも、書くのが楽しくてしょうがないという感じが伝わってきて、ついついアクセスしてしまう。本当に楽しくて書いている文章を読むと、うきうきしてくる。内容は「ちょっとなー」と思うものでも、本人がそれをするのが楽しくて書いているものは、読んでいて楽しくて、また読みたくなる。内容がいいともっといいのだけど、内容の上では役に立たないものでも、書いている人のわくわくした気持ちや、楽しんでいる気持ち、うきうきしている感じに元気をもらう。

ときどき街なかで年配の仲良しのカップルを見かける。にこにこしてうれしそうに何やら相談しながら、楽しげに買い物をしている。当人たちはただ買い物をしているだけであって、まわりを幸せな気持ちにしようなどという気持ちは全くないはずだが、見ているだけで、その穏やかでハッピーなオーラに、こちらも幸せな気持ちになる。

商店街で聞こえてきた高齢の男性の鼻歌。楽しくて仕方がなくて、思わず漏れたという感じだった。柔らかないい声で上手だったというのもあるが、たまたま聞こえただけで、すごく楽しい気分にしてもらった。家でかける音楽も、技術に執着しているものより、演奏している本人が演奏すること自体を楽しんでいるものに手が伸びる。

食べるの大好きで、作るのも大好きで、食べてもらうのも大好きな人が作った料理は、食べると元気が出る。遠い親戚のおばさんがそういう人で、訪問するといつも多種多様な料理をふるまってくれた。もう何十年も前のことだが、今でもそのときのことを懐かしく思い出すと、温かい気持ちになる。

とにかく楽しんでいる人は、まわりにもその楽しい気持ちが伝染したり、ハッピーオーラが広がったり、存在してくれるだけでまわりが明るく元気になる。楽しそうな人を見ていると元気が出てくる。楽しそうな人が楽しそうに作ったものを見ているとわくわくしてくる。自分もなにか作りたくなったり、したくなったり、意欲が湧いてくる。それだけで、十分、まわりにいい影響を与えていると思う。

ただし、「楽しむ」と言っても、だれかをバカにしてゲラゲラ笑うとか、お酒やタバコなど擬似的な快楽の中毒になって気持ちよくなるとか、そういう不健全な楽しみは論外だ。そんな人は本当に楽しんでいるとは言えない。どこかで虚しさを感じているはずだ。そういう人たちからは、ハッピーオーラは出ていない。

社会貢献も、だれかの役に立つことも、第一歩は自分を幸せにするところから始まる。自分を大切にして、自分が好きなことを楽しんで、自分が夢中になって何かをやっていたら、だれかの役に立とうと思わなくても、自然にそれがだれかの役に立っていることもある。自分で自分を大切にして、幸せにすることそのものが、本当の意味での社会貢献につながっていく。自分を喜ばせることの積み重ねこそが、まわりまわって、世界をハッピーにするのだと思う。