政治のことや社会のことについて関心を持って、本やドキュメンタリー作品、ウェブなどで情報を集めたり、何が起こっているのかを伝えたり、意見を持ったり、どうしたらいいのかを考えたり、提案したりしていると、よく言われるのが、「政治家になれば?」「ジャーナリストにでもなれば?」「ルポライターになれば?」など。
SEALDs KANSAIの大澤茉実さんのスピーチの書き起こし(何度読んでも涙が出る)に、大澤さんも「政治家にならんの?」と言われるとありました。それに対して大澤さんは次のように考えを語られています。
私は政治家になんかなりたくない。ほんとにその通りだと思う。政治次第で、自分のやりたいことの実現のしやすさがぜんぜん違ってきます。
でも国会で寝ている議員よりも、ずっと真剣に政治のことを考えている自信があります。
それは、かなえたい夢と、生きていきたい未来があるからです。
毎日、命を懸命に生きているからです。
そして、そのささやかな夢や、生活や命を守るのも、殺すのも、まぎれもなく政治だからです。
(おしどりマコケンポータル 2015-09-19「やべ~勢いですげー盛り上がるデモクラシー」)
私に「政治家になれば?」「ジャーナリストやんないの?」などとおっしゃる方には、中には純粋に期待しておっしゃってくれる方もいるのですが、冷やかしというか、裏には「凡人のくせに。専門家にまかせておけよ」っていう思いを持っておっしゃる方もいます。
専門家に任せていたら、こんな時代になりました。
貧困が広がり、原発は爆発して汚染が続き、アメリカと一緒に戦争をできる国づくりに向けてまっしぐら、沖縄の人々に対する人権侵害、挙げればキリがありませんが、政治状況を見ると、ため息しか出ません。
凡人が社会のことに関心をもって何が悪いのでしょう? 民主主義って、国民が主権者なんだから、ふつうの人がみんな主権者なんです。主権者っていうことは、主権がある、つまり、権利がある。権利があるっていうことは、責任もある。
世の中のことについて常に関心を持って、何を実現したいのかをよく考えて、それをどうやって実現していくのかをよく考えて、意見を持ち、投票や働きかけなどの具体的な行動に移したり、発信したりすることは、ふつうの人がなにも専門家にならなくたって、ふつうの人のままでやっていいことだし、それは、むしろ責務なんじゃないかと私は思います。
ふつうの人が専門家くらい知識があったっておかしくないと思うんです。真剣に政治のことを考えてもおかしくないと思うんです。それを、お金をもらっているかいないかで、お金をもらって職業としてやっている人を「専門家」と呼び、もらっていない人を「専門家ぶってるバカなヤツ」って見下げるのも、本質で人を見ることができない人のすることだと思う。
職業としてやっている人たちは、ともすれば、お金をもらっているクライアントの耳の痛いことは言えなくなったり、恩義があるからと目がくもってしまったり、ということもあると思います。真実を知りたい一心で、情報収集や発信をしている「専門家くらい知識が豊富なふつうの人」が増えたら、世の中はぐんと変わるんじゃないのかなぁ。
それとも、本当は主権者である国民ならだれでもやって然るべきことだっていう認識が薄々あるけど、自分はやれていない後ろめたさからそういうことを言ってくるんでしょうか。やりたかったらやればいいし、やりたくないんだったら、あるいは、やれない事情があるんだったら、やっている人の足をひっぱったり、気持ちを落とすようなことを言うんじゃなくて、むしろ応援したほうがいいんじゃないのかなぁ。
そんなことを言う人たちに、たまに折れそうになるけど、そんなことでめげていたら、世の中は変わらない。凹んだりもするけど、何度でも立ち上がろうと思うし、凹んで立ち上がるたびに強くなれる気がする。そう思ったら、嫌なこと言ってくる人も、ちょっとはありがたく思えるかもしれない。
どうせいつか死ぬんだから、そんなことでびびって、権力におとなしく服従して、おとなしくニコニコして、何もわかっていない「ふつうの人」を演じるより、次の世代によりよい地球を残すために、もっと生きやすい世の中を残すために、傷ついても、やれることはやって死んでいきたい。世の中が変わるのには時間がかかるから、すぐに死んじゃったりするようなやり方ではいけないけど、しぶとく長く生きて、世の中をよりよくしていくための行動をより長くできるように、知恵と工夫が必要だとも思います。そもそも、世の中を自分次第で変えられるって思ったら、まだやれることはあるって思ったら、黙って服従してるより、ずっと生きるのが楽しいんです。
よく、個人にできることは限られているから、大きいところにはもっとがんばってもらいたい、っていうような発言を目にします。大きいところの影響は大きいかもしれないけど、大きいところに動いてもらうために、自分にも何かできることはある。他人任せの姿勢じゃなくて、それを実現するには「どんなやり方があるだろう?」「自分には何ができるんだろう?」って、一歩も二歩も踏み込んで、考え抜いてみたほうが、あきらめるよりずっとおもしろいです。
それに、「がんばって」ってどうがんばっていいかわかんないし、がんばりたいけどがんばれない事情もあるのかもしれない。何を期待しているのか、それを実現するためには何が必要なのか、もう少し考えてみると、希望が湧いてきたりもします。ほかの人とディスカッションしたら、いいアイデアが生まれたりもします。初めて関心を持ってくれる人もいます。知らないだけで、知ったらできることはしたいっていう善良な人は結構多いんじゃないのかなぁと思います。ふつうの人が声を上げたら、世の中は大きく変わると私は思います。
最後に、野党5党が共同で提出した「保育士の給料を月5万円上げる」法案(正式名称は「保育士等処遇改善法案」)の筆頭提出者の山尾しおりさんの言葉を紹介します。山尾さんは、法案提出時に、議員会館で野党議員の帰りを待っていた母親や保育士たちに次のように語りました。
「ふつうの人が声をあげれば政治が動く」。山尾議員は、待機児童を抱える父母たちの悲鳴が世論を動かしたことを称えた。(田中龍作ジャーナル2016年3月24日「「日本死ね」から1ヵ月 保育士給与5万円UP法案、提出」)私はこれからも「ただの人」として、モノ言う凡人として、世の中のことをよく見て、勉強して、個人が自分らしく人間らしく生きられる、すべての生き物たちが平和に暮らせる地球を創るにはどうしたらいいのか、考え続けていきたいと思っています。それには専門家や職業人になる必要など、私には全く感じられないのです。