20190709

「らしく」なんて言葉は人を縛るのかもしれない

小さいころよく、「子どもらしくない」と怒られたり、驚かれたりした。先日書いたように、保育園の職員室から自分ちに電話をかけるような子だった。「子どもらしい」って何なんだろう? 社会的に想定されている「子ども」というものの振る舞いとか、期待されている何かがあるんだろう。そんなものは空想でしかない。一人一人の人間をしっかりを見つめれば、「子どもらしい」なんていうものは実態がないことがわかる。

今は「女性らしくない」と言われることもある。結婚と出産だけが女の幸せだとは思わないし、バリバリのキャリアウーマンみたいなものにもなりたいとも思わない。以前、50代くらいの男性が30代後半の女性のことを、「彼女は、仕事にも結婚にも引力を感じていないんだ。不思議な人だ」と言っていた。私も30代に入ってまさにその彼女のような人間になっていて、それで「女性らしくない」なんだろうな。私にとっては自由が一番大事なのだ。

一応フリーランスなんだけど、「フリーランスらしくない」らしい。ガツガツしていないし(ガツガツしていないフリーランスの人もいるが)、売り込みも上手ではないし、SNSは敬遠しているし、自分の演出とかタグ付けとかブランディングなんかも自分を物扱いしているみたいで嫌だなーと思ってしまう。

「らしく」なんて言葉は人を縛るのかもしれない。一人一人みんな違うのに、子どもだからこういう感じ、女だからこういう感じ、男だからこういう感じみたいに属性に当てはめて、それに合っているか合っていないかを問題にする言葉だ。なんとなくイメージがあって、そうではない人もいっぱいいるのに実態を無視して、どこかで作り上げられたイメージに近いかどうかで「らしい」「らしくない」と形容する。

「自分らしく」なんていうのも、もう使うのはなるべくよそうと思う(前に『「男らしく」「女らしく」生きなくていい。「自分らしく」生きたらいい。』という記事を書いてしまっているが‥)。自分なんていうのも、日々刻々と変化するし、気分によっても変わるし、相手によって見せている面や引き出される面も変わるし、複雑で多様で一言ではとても言い表せない。そのどこかしらの一面を切り取って、「自分らしい」と固定してしまうと、変わっていくのが怖くなる。人は本来、どんどん変化して、成長していくものだと思う。「自分らしい」もそれに合わせて変化していければいいけれど、一度作ってしまった型に自らをはめ込んでしまうのではもったいない。

空虚なかりそめのイメージに自分や他者をあてはめて束縛してしまう言葉だとわかったから、なるべく使わないようにしたいと思った。何とも比べず、一番自分が心地よくて楽しいと感じられる選択を自由にして、なにかのイメージをインプットされている人になにか言われても、気にしないで流して、どんなことも面白がって生きていければいいなあと思う。

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