20121027

エコ=エゴ?

「エゴよりエコを!」というフレーズをきいたのは2年前だったと思う。最近になって、「エゴよりエコ」よりむしろ「エコ=エゴ」なのではないかと思うようになった。

エゴを、エゴイズム=自己利己主義として解釈するなら、私が自分の利益を考えて、望むことというのはエゴだと定義できるだろう。

たとえば、地球温暖化。地球が温暖化して困るのは私だ。子どもや孫やその先の家族が心配。遠くに住む友人も心配。地球のどこかにいる、まだ会ったことのない誰か、すてきな誰か、彼らが困るのも悲しい。私自身がまだ生きているうちにも温暖化の影響で困ることが起こるかもしれない。だから温暖化は止めたい。これは私のエゴだ。

たとえば、生物多様性。生物の多様性が失われたときに、私が困ることはたくさんある。天然物の魚介類や昔ながらの野菜など大好きな食べ物が食べられなくなる。さまざまな動植物の営みの中で、私の健康を支える食べ物ができている。生物の多様性がなくなったら、私の健康維持は今のようにはいかなくなるかもしれない。動物が大好きだから、きれいな草花が大好きだから、なくなったら悲しい。だから、生物の多様性を維持したい。これも私のエゴ。

農薬や化学肥料が環境に悪いことは知っているが、私がそれらを選ばないのは、環境に悪いのも悲しいが、それ以前に、身体に悪いから。化学染料が適切に処理されなければ環境を汚染する。それも悲しいが、私が天然染料を好んで選ぶのは、自然の色が身体にも心にも目にも優しい、そして美しいと感じるから。

私の服や食べ物を作ってくれた人が農薬で健康を損なうのも嫌だ。健康で楽しく暮らしているニコニコした人が作ってくれた、心のこもったものが着たいし、食べたい。これも私のエゴだと思う。

「エコ」を求めるのは、殊勝な心がけの立派な人というイメージがあるような気がするけれど、もっと現実を知って、自分に引き寄せて考えたら、エコが実現されなかったら、自分にとっての大問題だとわかってきた。だから、つまるところ、エコ=エゴ、なんだと思う。