誕生日を迎えるとき、20代前半くらいまでは素直に喜ぶのに、30代が近づいてきたころから複雑な感情表現をする人が増えてくる。40代になると「ガーン!」と言う人もいた。50~60代になると、老いを感じるときについてコメントしはじめてしまい、余計に身体の衰えに不安を大きくしてしまう。世間になんとなく存在する年齢のイメージに縛られてしまっているからそうなるのだろう。何歳になったって、肉体の状態も、精神の状態も、すべては自分の考え方と暮らし方しだいだ。
科学で何歳でこういう健康リスクがどうのとか言ってくる研究もあるけれど、はっきり言ってくだらないと思う。普段の食生活とか、仕事の内容とか、暮らしのペースとか、人間関係とか、もって生まれた性質だとか、そういうさまざまな個人差がたくさんあって、目に見えるものから見えないものまでさまざまな要素が複雑に相互作用しあって健康状態ができているわけだから、そんな年齢というたった1つの要素に好き好んで自分をはめ込んでいく必要はない。自分の身体のことは自分でよく感じとって、必要だと思うことをして、メンテナンスして、自分のコンディションに合ったことを楽しんでいけばいいだけなのに、わざわざそんな不安な要素を取り込んで、自分はもう年なんだと思い込んで、やりたいこともやらないとか、そんなのはもったいなさすぎる。
何歳だと思われたくないみたいなことで、年を重ねるにつれて髪型とか服装とかメイクとかにやけに研究熱心になって、無理しすぎて本当の美しさを埋没させてしまっていたり、やけに奇抜になっていたりする人もいる。若く見られたいという願望とはうらはらに、髪の毛も肌も、ケミカルなことをやればやるほど毒素がたまってくたびれてしまう。老化を早めてしまう。いつまでも若々しくありたければ、可能な限り自然に沿った暮らしをして、可能な限りケミカルなものは避けて、完全に避けきれない毒素を排出できる力を高めておくことだ。
年齢なんかよりも、何を食べるか、何を使うか、を気にかけたほうがよっぽどいい。なるべく自然に沿ったものを食べ、使うようになってから、身体も肌も年々若返っている気がする。10代の頃よりもよっぽど動ける。似たような暮らしの相方も、帰省中に弟の同級生の母親に目撃され、「お兄ちゃん若っ!!」と驚かれていた。まわりでもかなりの自然派暮らしの人はいわゆる「年齢不詳」な人が多い。なるべく自然に沿った暮らしをしていれば、身体も肌も元気に動いてくれるものだ。
自分で自分の身体の声を聞いて、適切なメンテナンスをしていれば、年齢なんて全く気にする必要はない。自分の身体のことをよく見ていないから、年齢とか、根拠がどうだかわからない科学とか医者の言うこととかテレビのコメンテーターが好き勝手言うこととかをなんとなく気にしてしまうのだろうなあとも思う。
「何歳で何をして」みたいなのも日本だけの「常識」で、横一列に合わせる必要はない。若いときのほうが夢があるなんていうのも幻想でしかない。違うなと思って方向転換して、やりたいことを実現させている人はたくさんいる。それも1つとは限らない。
本当にやりたいことが10代、20代で見つかる人もいるだろうけれど、そう多くはないし、成長に伴って変化もしていくものなのだから、自分の心の声をしっかり聞いて、違うなと思ったらさっさと方向転換して、すぐには難しければ方向転換の準備を始めて、そうして切り開いていけば、いつだって可能性は無限大だ。年齢は関係ない。
まわりがなんと言おうと、自分のことは自分で決める。だれかになにかを言われたてそれに従った結果、うまくいかなかったとしても、それを言った相手が助けてくれる保証はない。そもそもそんな覚悟があって言ってくる人はほとんどいない。根拠も、なんとなくのイメージや、社会の固定観念に基づいていることが多く、とてもアテにならない。
なんとなく漂っている年齢のイメージをベースにした幻想にお付き合いする必要なんてない。そんな不毛なゲームにお遊びだと思っているうちにそれが自分の思考パターンに影響を与えてきてしまいかねない。年齢に縛られずに自由に生きていきたければ、そんなものからは離れておくに限る。年齢に縛られずに自由に自分の人生を創造している人たちだってそれなりの数がいるのだから、そういう人たちと付き合って、自由な姿勢に学んでいきたい。比べず、卑屈にならず、おごらず、自分の気持ちをよくよく感じ取って、自分だけの人生を心地いいペースで進んでいけたらと思う。