20150131

人+良=食

【旧暦師走十ニ日 月齢 10.6 大寒 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)】

中国の山奥で仙人のような暮らしをしている人だったか、自然とともに暮らしている先住民だったか、どちらか忘れてしまったのですが、そうした人々は身体の微妙な変化に敏感で、現代人であれば気づきもしないような不調の段階で身体を治してしまうという話を聞きました。そういう人たちにとって、風邪なんていうのは大病で、現代人のほとんどが病人に見える、と聞いて、とても興味深く思いました。

20150130

『里山資本主義』を読んで

【旧暦師走十一日 月齢 9.6 大寒 鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)】

相方が先に読んで、内容を聞かせてくれて、読んだ気になっていた里山資本主義をようやくきちんと読みました。とてもいい本でした。

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
「遅れている」と思われている田舎に、「進んでいる」と思われている環境先進国から視察が押し寄せている様子など、なんもない、と思われている田舎に、明るい未来のヒントとなる取り組みがすでにあちこちで芽吹き、着実に大きく広がろうとしていることが描かれていて、希望が湧いてくる内容でした。

想定される(もしくはすでに上がった)反論にもデータや証拠を持ってきちんと反駁していて、多様な考え方の人たちとの意見交換にも役立ちそうだと思いました。マネー資本主義のなかで忘れてしまった、自然とのつながり、地域とのつながり、人とのつながりをもう一度取り戻すことで、安心して暮らすことができるのだということが、実例と共に論理的に書かれています。

個人レベルでは、なにも戦前の暮らしに戻せというのではなく、手間と時間をかける暮らし、自然の恵みを大切に使わせてもらう暮らし、人とのつながりを大切にする選択を少し取り入れるだけでも、セーフティネットとなり、安心感がぜんぜん違う、といったことが述べられていますが、私もそういう暮らしをしはじめて、確かにそう思います。

庭の手入れをして出た枝や、葉っぱを燃やして、煮炊きしたり、焚き火をしながら火消し壺で炭を作り、火鉢で使って暖房と調理に使っています。でも、100%ではありません。急ぐときはガスも使います。野菜や米を育てて食べていますが、自給率は100%ではありません。買ってくるほうがまだ多いくらいです。

でも、少し薪を使っているだけでも、いざ、ガスも電気も使えなくなったときに、どうしたらいいかがわかり、安心感が全然違います。薪と鍋と水があればお米をおいしく炊くことができるようになったからです。野菜も米の自給も、いざとなれば2人で食べていくくらいはなんとかなるでしょう。種さえまけば、土は無尽蔵に栄養を与えてくれます。種をまかなくても、食べられる野草とその食べ方を知っているので、お金を出しても食べ物が買えなくなったとしても、栄養を得ることができます。その安心感は、あるのとないのでは全然違います。東京で震災を経験し、お金を出しても電気が使えない、物流がストップしてお金を出しても食べ物が手に入らない、という状況を味わったこともあり、なおさらそう実感しています。

これまで、環境意識の高い人がこういった本を書くことは多かったと思いますが、経済を専門に仕事をして来られた方がこうした本を書かれるというのは、時代も変わってきているのかも、と思いました。自然と調和して暮らす、ということが、立派な心がけ、はたまた、ストイックな人のやる過激なこと、というふうに思われる時代はもう終わりつつあり、そういう暮らしをすることは自分たちの暮らしを存続していくために必要不可欠なこと、経済を良くしていく鍵となること、人生を豊かにしてくれること、という自分のためのこと、自分たちのためのこと、と見なされてきているのかな、と思いました。また、こうした本が、大手出版社から出され、広く社会に受け入れられ、長い間よく売れているということにも希望を感じます。
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20150818『里海資本論』を読んで

20150125

天ぷら油で車が走る

【旧暦師走六日 月齢 4.6 大寒 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)】

ディーゼル車の燃料に近所から集めた天ぷら油を精製したものを使っている人を身近でも5人知っていて、天ぷら油で車を走らせることが可能なことは知っていました。

日本でもあちこちでディーゼル車を天ぷら油で走れるように仕様変更するワークショップが開かれています(例:「天ぷら油」でクルマが走る!)。

燃料のためだけに作物を栽培するバイオ燃料は、投機対象になって穀物価格が高騰し、飢餓につながったことがあったので、両手を上げて賛成はできないのですが、そのまま捨てるとゴミになったり、水を汚したりする使用済みの天ぷら油を、精製して利用することはいいことだなぁ、広まるといいなぁ、と思っていました。

個人としてやる人はいても、企業としてやるのは難しいのかなぁ、と思っていたら、熊本県に、天ぷら油を軽油並みの品質に精製している会社があることを知りました。

◆自然と未来株式会社
http://the-earth.org/

自然と未来社のことは、こちらの記事で知りました。

●廃油を洗う「第二のくまモン」
http://www.lg-ppp.jp/?p=8140

状態を見ながら丁寧に丁寧に精製していき、品質は世界一とも言われているそうです。熊本県内のゴミ収集車や私立大学のバス、重機などに利用されています。同業者からせっかく精製した油を抜き取られるなど、とんでもない苦労もたくさん乗り越えて、地道に賛同者を増やしていく姿にとても感動しました。

この↓部分にもはっとさせられ、
環境問題が世間で騒がれるたびに、気にかかっていた。「でも、自分が何かできるとは思っていなかった。経済の中心にいる人たちが何とかしてくれる、と」。しかし、いつまで経っても、良くなる兆しはない。
自分にできることをハチドリのひとしずくのようにコツコツやっていきたいな、と思いました。

20150124

生活保護のこと

【旧暦師走五日 月齢 3.6 大寒 欸冬華(ふきのはなさく)】

昔、生活保護をもらう人のことは、働く能力がないなんて自分が悪い、生活保護をもらうなんて恥、みたいな、弱肉強食的な考え方を持っていた。今思えば、全然実情がわかっていなかったのだと恥ずかしい。

昔、まだテレビを見ていた頃、生活保護の不正受給の話をよくニュースかなにかで見たせいかもしれない。実際には、不正受給は1%にも満たない(日弁連:「今ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?」)。本来、救済されるべき人が責められ、救済されなければならない人を救済するのが職務のはずのケースワーカーまでが嫌がらせをするとも聞く(ダイアモンド・オンライン:不正受給問題であたかも犯罪者扱い!?生活保護受給者が脅える凄惨な仕打ちと悲惨な日常)。

相方がビッグイシューのインタビューで読んだ話を教えてくれたことがある。そのインタビューを受けていた人は、青山の路上でビッグイシューを売っていて、お会いしたことがある。とても素敵な人だった。まっすぐで真摯な印象を受けて、どうしてこんないい人がハウスレスになってしまったのだろう、と不思議に思うほどだった。

その人は、お店を開こうと資金を貯めていたのだが、一緒にお店をしようとしていた友人が、いざお店を開く段階になって、資金を全部持って消えてしまったのだそうだ。警察に訴えるなりして、友人を捕まえて、資金を取り返せば、その人はハウスレスにならずに済んだだろうが、そうはしなかった。友人を犯罪者にすることができなかったのかもしれない。私ももしそういうことになったら、訴えることができるかどうかはわからない。

去年12月の衆議院選のときに、こんな記事も読んだ。
東京新聞:千円ぜいたくも我慢 衆院選 生活保護、最大の削減幅
ガンになり、治療費のためにした借金を返せなくて自己破産。今もガンに苦しみ、働くことはできない。病気に絶対にならないなんて、誰が言えるだろう?

努力次第で何でもできるなんていうのは、傲慢な考え方なのかもしれない。日本の社会は失敗が許されないような、一度失敗すると戻ってくるのが難しいような、そんな窮屈な世の中のように思う。だから不運にもブラック企業に勤めてしまい、自殺を考えるほどでも、会社を辞めるという選択肢を取れない人が多いのかもしれない。一回コースを外れてしまうともう社会生活が営めないような恐怖があるのかもしれない。自分が満足に生活できているのはたまたま運がいいだけで、不運にも病気になったり、事故にあったり、だれかに騙されたり、勤務先が突然倒産になったり、危ないことがあるかもしれない。それを自己責任で片付けるように手懐けられて言われるがままにしていては、自分がいざ躓いたときに、自分の首を締めることになる。

保険会社に保険料を払う。病気になったり、事故にあったら、保険会社から保障を受ける。それは当然のことだと思われている。国に税金を払う。会社が倒産した、事故にあった、病気になった、などで、生活が危うくなったら、国から保障を受ける、これはどうして当然のことではないのだろう?

この話を、昨年2月の東京都知事選のときに見た対談のインターネット中継で聞いて、確かにそうだなぁ、と思った。こういうことを学校では教えてくれない。生活保護は、憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を保障するための制度同じ対談での、生活保護の申請の仕方を学校で教えるべきという意見に本当にその通りだ思った。

20150122

Facebookについて

【旧暦師走三日 月齢 1.6 大寒 欸冬華(ふきのはなさく)】

Facebookのプライバシーポリシーが1月1日から改訂になり、OSやら、端末内のファイル名やら、なんでそんなものまで?と思うものの情報収集をするというので(コチラのページの「ディバイス情報」を参照。ユーザーの同意に基づき、とあるものの、何をもって同意したと見なすのかは謎で)、フェイスブックになんだかモヤモヤ思うことも多々あったので、100%好きなわけでないし、退会してもいいかなぁ、そのほうがすっきりするかなぁ、と先月から考えていました。

話す機会があった方にはFacebookやめようか検討していて、と話していたのですが、今のところ、Facebookしか連絡先がわからない方もいるので、アカウントを残すことにしました。気になることはいろいろあるものの、メリットのほうが少し多いかなとも思ったので。ただ、これまで通り、ニュースのシェアや、社会活動にしか使わないことにしています。「知人がフェイスブックで放射能関連の情報を流していて、食べ物に気をつけるようになって」などといった声を聞くことがあり、だれからも反応がない状態でも(気にしていませんが)、役に立っていることがあるらしいことを知りました。

近況などは、これまで通り、ブログに書いていきます(ブログをメインにした経緯)。理由として、フェイスブックをしていない友人が多いこともあります。フェイスブックにリンクを載せることはしません。フェイスブックだと、私の書いたものが見たくないタイミングで目に入ることもあるでしょうし、載せるとなんとなく「いいね」を期待してしまう自分に嫌気がさします。そういえば、あいつどうしてるかな?と思ってブログを訪ねてもらうくらいのほうが、より自然なコミュニケーションのような気がします。フェイスブックは、ソーシャルな活動には使いやすいのですが、パーソナルなコミュニケーションの場として使うには、ダイアローグとモノローグの間を彷徨っているような、あてどのなさを感じます。

連絡手段としては、Facebookしか連絡先がわからない方には連絡用に使わせていただこうと思いますが、メールアドレスや住所のわかる方にはそちらで連絡させていただきます。Facebookでメッセージをいただいた場合は、あまりログインしていないので、お返事が遅くなることがあります。できれば、メールでご連絡いただけたほうがありがたいです。

フェイスブックをやめたいなーと思っている人も結構多いようで、90日間ログインしないとどうなるか、という社会実験みたいなものも見かけました。私自身は、1月に入ってから、ニュースサイトなどのシェア機能でシェアやリコメンドをすることはあっても、フェイスブックのページ自体はほとんど開けていません。そうしたら、自分がやるべきことに集中できている状態で、人の目が気になってモヤモヤすることもなく、だれか1人の人に集中して手紙やメールを書いたりする時間もでき、取り残されている感でさみしくなるかと思いきや、かなり快適です。どうしてるかなぁ?と思う人の投稿が見られないのはちょっとさみしいですが。連絡したい気持ちが強くなるので、それもよいかもしれません。

辞めたくなった方は、こちらに辞め方が書かれていますので、ご参考までにどうぞ。退会の方法は結構わかりにくいみたいです。

●フェイスブックの退会方法
http://nanapi.jp/25829/

20150113

中洞牧場の山地酪農

【旧暦霜月廿三日 月齢 22.1 小寒 水泉動(しみずあたたかをふくむ)】

幸せな牛からおいしい牛乳」を読んで以来、なるべく、幸せな牛の牛乳を買うようになりました。

山地酪農は牛たちもいきいきと暮らすことができ、日本の風土に合ったすばらしい酪農方法です。それを取り上げたNHK BSの番組がYou Tubeで見られるようになっていたので、ご紹介します。35分の映像です。



普通の牛乳は驚くほど安い。安いのにはやっぱり理由があって、牛の健康や飲む人の健康や味よりも、いかに効率よくお金に換えるかが追及されているからです。牛がせまくて汚いところに閉じ込められて、本当は好きな草を食べさせてもらえずに、遺伝子組み換えの穀物を食べさせられているかわいそうな牛でないことがわからない牛乳は避けるようになりました。

お金を払うということは、その商品を、その取り組みを「支持します」というメッセージだと思うので、毎日が投票行動だと考えて、なるべく支持できるものだけにお金を払うようにしています。少しでも、毎日の買い物で意思表示をして、世の中を良くしていけることは希望だと感じます。まずは知ることが第一歩だと思うので、少しずつ勉強を重ねていきたいと思っています。