誕生日に思うこと、というか、思うようにしていることがある。数年前から始めた。
年齢を重ねるにつれて、誕生日のうれしさが減っていく。「誕生日おめでとう」の後に出てくる言葉がだんだん、「あんた、いくつになったと思ってんの!」とか、「同級生のだれそれちゃんはもう子どもが何歳になって」とか、「ダレソレちゃんは学校の先生になって立派にやっているんだって」とかになってくる。親しいだけに心配してくれているのはわかるのだけど、誕生日なのにちょっと気分が下がる。
それで、誕生日に少しでも気分よくいられるように考えついた習慣だ。どこでもいつでもできて、時間もほとんどかからない。それでも気分が上向いてくる。
誕生日までの1年間に、自分がその1年間を生きていくのに、どれだけ多くの生き物と、人間に支えられてきたか、想像を巡らせてみる。
私がこの1年、命をつなぐために食べてきた食べ物。その食べ物を作ってくれた人たち。その食べ物を作るのに必要な道具や資材を作ってくれた人たち。その食べ物を作るのに貢献してくれた虫や鳥や微生物たち、太陽、水、空気。その食べ物を作る人を支えてくれた人々や動植物たち。私が毎日吸っている空気の酸素を作り出し、きれいにしてくれている草木。水をきれいにしてくれている山々、土、微生物。…という感じで、思いつくものをリストアップしていく。慣れないうちは紙に書き出すと、思考を集中させやすい。
1年間だけでも、かなりの数の人と動植物と、太陽や土や風や水や地球と宇宙のさまざまなエネルギーに大きく支えられて、生存できたことがわかるし、それがなかったら実現できなかっただろうと思うこともいろいろと思い浮かぶ。
それを年齢の数だけ重ねてみると、さらに莫大な量になる。人生をいい方向に導いてくれた、あるいは、いい方向へ向かうのにつながった絶妙なめぐり合わせ、だれかに言ってもらった言葉、してもらったこと、いただいた機会、そういうものも思い浮かんでくる。前述のちょっとしんどいことを言ってくる親しい人たちも、私がここまで生きてくるなかで、重要な役割を果たしてくれた人たちであって、彼らがいなければ今の自分はいなかったか、ちょっと違っていたかもしれないわけで、ありがたい存在なのである。5分か10分くらい考えてみただけで、この年齢まで無事に生きてこられて、今こういう暮らしができているのが、奇跡のように思えてくる。ありがたいことがたくさんあって今があると思えてくる。
誕生日を迎えて、そうやって考えていくと、また1つ無事に年を重ねることができてありがたいと心から思えてくる。人々や動植物や自然のエネルギー(水・太陽・空気など)の支えが年々増えていくのだから、誕生日は年を重ねるごとに嫌になるものではなくて、年々感謝が増すのが自然なのだと思う。身体の状態は自分の過ごし方しだいでよくもわるくもなるということが分かってからは、年をとることは怖いことでも嫌なことでもないとわかるようになった。穏やかな枯れるような死を迎えるまで、毎日を楽しんで、どんなこともおもしろがって、自然に感謝して、地球をよい状態で何世代先にも残していくために少しでもできることをやって、感謝と喜びを感じながら誕生日を迎えていきたい。