20190625

大切なことを大切な人たちと共有するかどうかについて

かつてある人(Aさんとする)が夫婦円満の秘訣を「夫婦だからって、何だって話しているわけじゃない。なんでも共有する必要なんかない」と語っていた。何人かでカフェで話していて、生き方や社会について考えていることを家族と話すかどうかという話題になったときのこと。

そのパートナーとも何度かお話ししたことがある。Aさんが家庭に必要な収入を稼いでいて、Aさんの仕事が忙しくて帰りも遅いので、パートナーは育児と家事を担っていた。明るくて、人見知りもしない、快活なキャラクターではあるが、いつ見ても、どこか寂しそうな、輝きを発揮しきれていなさそうな、何か影のようなものを感じるところがあった。Aさんの言う夫婦円満の秘訣を聞いて、「あ、それでなのかな」と思ってしまった。

私がそのときとっさに思ったことは、「それって逃げてるやないの」とか、「一緒に生きていくのにそれじゃさみしすぎるやん」、「言いたくないプライベートなことまでは話さなくてもいいけど、大事なことは話してほしいけどなあ」など。それはそれでミステリアスでクールでかっこいいのかもしれないが…。

今になってみると、Aさん自身が、自分と他人との区別ができていなかったのかもしれないとも思う。はっきり区別しているように見えて、それは逆に言えば、自分が言うことを相手も同じように感じてくれないと嫌だと思うから、人生を共に歩むパートナーにでさえ、大事なことを話せないのではないかと思った。たぶん、パートナーに拒絶されるのが怖いのだ。

同じように感じてほしい、同じように考えてほしい、自分が正しいと思うことを正しいと思ってほしい、と、相手にもとめてしまうと、それは拒絶されることになるだろう。だが、自他の区別がきちんとできていれば、「私はそうは思わないけど、相手はこう考えているんだな」と理解しあうような対話は可能だ。

自他の区別ができていないと、「私はそうは思わない」と言われただけで、ショックを受けたり、怒ったり、相手をばかだと決めつけたりする。でも、相手が自分と違う考えや感じ方をする人間だと理解できていれば、「私はそうは思わない」と言われても、お互いに異なる考えを理解し合うことはできる、という状況が可能になる。相手と違う考えだとしても、自分はやっぱりこう感じる、こう考える、これが正しいと思う、と自分の軸を保てばいい。相手の考え方や感じ方も自分のものと同じように尊重して理解していられれば、拒絶されることはない。

ずっと平行線のままでいいものもあれば、真実は1つに落ち着くものもある。お互いにお互いの感じ方や考え方を尊重し合いながら対話を重ねていけば、やがて、道筋やかかる時間が違っても、同じ答えにたどり着くこともよくあることだ。

何から何まで全部同じように考えなくても、理解しあうことはできる。考えが違っても、感じ方が違っても、共有することはできる。共有していれば、「あ、この人はこういうのは嫌なんだったな」と相手が嫌がることをしないようにできるし、「こういうのであれば心地よくいられるんだったな」と喜ぶことを自分の無理のない範囲でやってあげることもできる。お互いに、自分と相手は異なる人間だということを認識して、お互いの考え方や感じ方を尊重しあうことは、いい関係を築くために必要不可欠な要素だと思う。

人と人は異なるところがあるからこそおもしろい。自分一人では気が付かなかった視点や感じ方を与えてくれたり、自分の軸をさらに強めてくれたり、これまで当たり前だと思っていたことをありがたいことだったのだと理解させてくれたり、自分とは異なる人がいるおかげで人生の幅を大きく広げてくれる。大切な人であればなおさら、お互いがお互いの本来の自分を安心して発揮しあえる関係でいられたら幸せだと思う。

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