20190730

ブログを書き続けることについてふと考えたこと

このところ、無料で公開してきたコンテンツを全て有料に切り替えて、有料のものだけに力を集中させる、というスタイルを取るようになったものを立て続けに見聞きした。暮らし向きもいろいろあるだろうし、考え方は人それぞれだから別によいのだけれど、自分はどうするのがいいのだろうか、とふと我が身を振り返ってみると、このブログはこのままでいいのだろうか、と少し気にかかった。

現状ではお金になるようなブログでは全くない。それでも、週に1本以上は更新を続けていて、まあそれなりに時間もかかる。果たして、こんなことをしていてよいのだろうか、もっとお金になることをしなければならないのでは…?と不安になることもある。「ザルの目に水を注ぎ続けるようなことをしていてはダメ!」という忠言も耳に刺さる。まあ、お金のために始めたものでもないのだが。

お金のことはさておき、読者さんの数が膨大で、社会や環境によいことをバーンと広めてしまうような影響力を持つブログもある。このブログは全くそういうものでもなく、本当に誰かが読んでくれているのかすらわからない。それでも、読んでくださっている方はどうやらいるようで、1人でも読んでくださっているならというのが書き続けるモチベーションにつながってもいて、ありがたい。私が書いたものを読んで行動の決心がついたとか、一歩が踏み出せたとか、全然知らなかったけど気をつけたほうがよいことがわかって助かったとか、ありがたい声をいただくことも、ほんのときどきだが、ある。

お金になることしかしないというのもさみしい。たとえば、このブログで考えてみると、お金になることしか書かないと思い始めたら、アフィリエイトリンクをつけた本の紹介と商品の紹介ばっかりになる。お店のレポートなんかも書き始めて、いいことばかりモリモリに盛って書いて、微妙だったことは全く書かない。何かの作り方や情報を伝えるにしても、完結にまとめて、目次をつけて、個人色は一切つけない事典的なものにする。他のサイトに離脱されると困るから参照元のリンクをつけない。自分で考えるのは疲れるから読んでもらえないので、全部こうですよと教えてくれる記事を書いて、読んだ方が自分で考えるという余地を与えない。しかも、ちょっと刺激的に書いたほうが拡散されやすいからと断定的に書いてみたりして、炎上してアクセス伸びて喜ぶのもつかの間、だれかを怒らせたり傷つけたりして喜ぶとか。・・・・悪趣味すぎて自己嫌悪に陥りそう。本当に思っていることとか、環境や社会にとって大事な情報とか、そういうものは時間がかかるわりにアクセスが少なくてお金にならないから書かない。そんなブログになったら、書くのもつまらない。

最近はそういうようなブログが多いけど、検索してたどり着いても、読んでいておもしろくない。

お金は確かに自由をくれるけれど、お金になることしかしない、というのは、行動の自由にお金による制限がかかる。お金になるかならないかはさておき、とにかくやりたいからやる、やったほうがいいと思うからやる、楽しいからやる。そういうことをしているときは本当に楽しかったりもする。たとえたった1人でも、必要としている人がいて、喜ばれるということもある。

結局、なんで書き続けるのかと考えてみると、書きたいことがあるからというただそれだけなのだろうと思う。知ったことでほかの人にも伝えたいことであったり、本当に思っているけれどなかなか言えないことであったり。日常生活では人間関係をうまくやるために、言いたくても言えないで引っ込めてしまう本心もある。本当に思っていることを押し込めているうちに、どんどん自分がしぼんでいく心もとなさを感じることがあるが、本当に思っていることを文章の形で出してみると、心のバランスを取り戻せることもある。私は本当はこう思っていたんだな、感じていたんだなと自分を認められる。そしてそれを誰でも検索して見られるところに置いておくと、同じような疑問や感情を持った人に何かしらの形でもしかしたら役に立てるかもしれない。お金とか、効果の大きさとか、そういう目に見えやすいものではなくても、何かしらの形でいいことにつながっていくんだったら、それはそれで価値のあることだと思う。つながっていかなくても、それでも、表現するというだけでも自分にとって意味のあることだと思う。

社会にあるさまざまな問題に気がついたばかりのころは、マスコミが伝えないなら一人一人がメディアになって少しでも伝えないとという意見に共感して、私も一助になれたらという気持ちで、問題を調べてまとめて伝えたりもしてきたけれど、だんだん、向いていないな、と思うようになってきて、最近はあまりそういう記事は書けていない。そういうのって、一度発信したら発信した者の責任として、ずっと最先端の情報を追い続けなければいけない感じがして、日々の暮らしを楽しむ余裕がなくなって、それだと元も子もないなと。日々の暮らしを楽しむために生きていて、楽しめる日々の暮らしを守るために社会の動きにアンテナを張っているのに、いざ発信しはじめると、追い続けるので精一杯で日々の暮らしがおろそかになって楽しめていない、これでは持たないと感じるようになった。最先端の情報を追い続けて、発信するのが楽しい人がすでにやってくれていて、私の役割はそこにはないのではないかなと思うようになった。

自然と人にいい影響を及ぼす、あるいはなるべく負荷が少ない、なおかつ、自分も元気になる、という暮らしの選択を毎日重ねていくことは、最先端の情報を追い続けて発信し続けるということと両立するのが私には難しかった。暮らしのことは相方がブログで熱心に書いているので、私はネタがかぶるとよくないな、と思って、書かないようにしている。すると、残った書けることというのが限られてくるのだけれど、それでも週に1度は更新できるくらい書きたいことがあるのだから、しばらくは続けようと思う。最近、しゃべるように書いている人の本を読んで、しゃべるように書くのも面白いかもと思った。そのうちそんなのも取り入れてみるかもしれない。どこに行きつくかはわからないけれど、それもまた面白いところなんだと思う。