20190312

あれから8年

東日本大震災と東京電力の原発事故から昨日で8年が経った。

今でも困難な生活を強いられている人もいる。不安のなかで暮らしている人もいる。傷が癒えていない人もいる。家族や親戚、友人や地域の人々との関係が大きく変わってしまった人もいる。震災だけだったらどうにかなったけど、原発事故があったから、放射能は目に見えないし、今も原発から出続けているから、もとの暮らしには戻れないという声も多く見聞きしてきた。

せめてこの日くらいは、被災された方々の気持ちを想像し、あの事故が私たちの世界に問いかけた大きな課題について、どうしたら解決できるのか、考える時間を持ちたいと思っている。

世の中は、復興が進み、原発事故の影響はもうなくなったかのような空気が表面的には分厚く漂っている。そう思わせたほうが好都合な勢力が、ありとあらゆる手を使ってたくみにそう思わせようとしていることもあるのだろう。

原発事故が私たちの社会に提起した問題は、ほとんど解決していない。人々の悲しみ、苦しみ、つらさを置き去りにしたまま、風化させてはいけないと思う。オリンピックのお祭りムードで覆い隠して、ますます現状を訴えにくくする空気にも抵抗を感じている。

原発事故は終わっていない。『うかたま』という雑誌に、福島で暮らす人々の暮らしをありのままに紹介する『この土地で暮らす・育てる・つくる』という連載がある。春の号には、2017年に避難指示が解除された飯舘村で暮らす菅野宗夫さんの暮らしが書かれていた。

飯舘村の人々は、ほとんどが自給的な暮らしをしていたという。畑で食べるものを育て、山で薪をとってきてお風呂を焚く。菅野さんの祖父は事故後、「外に出るな、土に触るな」と言われ続けていたある日、突然姿を消し、探しに行くと畑で草むしりをしていて、声をかけると、顔面が蒼白になっていたそうだ。土に触れる暮らしが当たり前になっていたおじいさんは、それができなくなってしまったことが大きなストレスになったのだろう。菅野さんは宮城県に畑を借りて、再び畑のある暮らしを始めることにした。

政府が避難指示を解除し、飯舘村に戻ったが、除染したと言われても、放射性物質を含む剥がされた土や草など、「除染された」ものは袋に入ってそのへんに積み上げられている。こんな状況で、今まで通りの畑はできない。写真で見ると、今までどおりの普通の暮らしなどできない状態なのは明らかだった。菅野さんは、ビニールハウスとIT技術を駆使し、放射線量を計測する機器も活用して、どうにか畑ができるように工夫を重ねている。

国際環境NPOのグリーンピースのブログ記事(2019/03/08)にも以下のように書かれていた。
(グリーンピースによる)継続調査によって判明したのは、のべ3000万人もの労働者を動員し約2兆6000億円の税金を費やすほどの除染をしても、住民が安心して暮らせるレベルの効果が見られないという事実でした。

調査を実施した飯舘村や浪江町は全面積の7割が森林です。

宅地や道路などの生活域をどんなに除染しても、除染されないエリアからの再汚染のリスクは免れません。
安心して住めるような環境が整わないまま、避難指示が解除され、避難者への賠償や住宅供与も次々に打ち切りになっているという。「事故の被害にあって苦しむ人々に対して安全に住める保証もない地域への帰還を強制することが人権侵害なら、十分な情報共有も安全対策も保障もなく労働者を搾取する除染も人権侵害です」。本当にそのとおりだと思う。

帰る選択をする人も、帰らない選択をする人も、安心して暮らせるようにするために税金を使ってほしい。除染作業を引き受けてくれる人にも、適切な判断ができるように十分な情報が提供され、万全の安全対策で作業ができるように、法的な縛りが必要だと思う(*除染作業員の人権を守ることを求める署名を、グリーンピース・ジャパンで3月31日まで集めています:詳細はコチラ「【緊急署名】除染作業員の権利を求めます」)。

ジャーナリストの志葉玲さんによるこちらの記事も読んでいただけたらうれしい。
原発事故8年-国連の度重なる勧告を無視し続ける日本、ずさんな除染、危険地域を避難指示解除 #3.11(2019/3/11)

菅野さんの記事に話を戻したい。8年という歳月が流れ、「はい、戻っていいですよ」と言われても、体力が失われたりして戻りたくても戻れない人もいる。戻ってきた人も戻らない人も一緒に何かできる場を作りたいと語られていた。

避難先で畑や山に入る暮らしができなくなり、町で必要なものを買って暮らすことが長く続くと、これまで通りの体力はなかなかすぐにはつかないものだと思う。私も東京から地方に移住して農的暮らしを始めてみて、体力をもっとつけなければと切実に思った。体力だけではなく、お金もなくなってしまって、安心して暮らすための基盤づくりができずに、ふるさとに戻ることをあきらめる人もいると思う。

代々受け継がれてきた自然とともにある暮らしを、原発の事故が奪ってしまった。その電気を使っていたのは、飯舘村の人々ではなく、私を含め、東京に住んでいた人間で、その電気がどうやって発電されたものなのか、何も考えていなかったなんて、自分はなんて愚かだったんだろうと思う。人々の穏やかな暮らしや自然の犠牲を足場にした豊かさなど、本当の豊かさではまったくない。

原発は、自然環境も人々の暮らしも、人間関係にも、大きなダメージを与えることがわかったというのに、どうしてまだ使い続けようとするのか。原発の開発にも研究にも維持にも莫大なお金がかかってきたが、同じくらいの、もしかしたらそれよりももっと少ないお金で、全ての家庭で電力が自給できて、地域内で融通し合える自然エネルギー発電システムを設置することは可能なのではないかと思う。まわりでも、電力を自給する人の話をよく見聞きするようになった。うちでも冷蔵庫をやめ、洗濯機をやめ、炊飯器をやめ、掃除機をやめ(テレビはもともと見なかった)…と非電化を進めてきたが、照明やパソコン、ミキサーなど、どうしても電気が使えたほうが便利なものもあるので、お金をためていずれは電力も自給したいと思っている。

政治状況はひどいことになっていると年々思うが、個人の生活レベルでは、気がついた人からどんどん変わっている。放射性物質をしっかり調べて知識を持った上で食品を選択したり、放射性物質以外にも化学物質や遺伝子組み換え、農薬など、不自然で安全とは言い切れない食べ物に気をつけ、自然にも健康にもよい食べ物を選ぶ人も増えた(がんや稀な病気を発病した人や若くして急死する人の話を聞くことが増えた。事故前はこんなことはこんなに頻繁にはなかった。できることなら可能な限り安全な食べ物を多くの方々に選んでもらいたい)。企業に依存しない働き方をつくる人も増えた。政治に関心を持って、つねに正確な情報を集めようと努めたり、発信したり、行動したりする人も増えた。自然を大切にし、自分を大切にする人も増えた。一人ひとりが変わっていけば、一人ひとりの個人から成っている社会も変わっていくと思う。

)ご参考:私が参考にしているサイトと本
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