20160916

沖縄・高江のドキュメンタリー映画『標的の村』(三上智恵監督作品)を観て

沖縄の高江に国が強行的に建設を進めようとしているアメリカ軍のオスプレイパッドの問題を克明に描いたドキュメンタリー映画『標的の村』を観てきました。

◎解説はこちら:http://www.hyoteki.com/introduction/

オスプレイパッドに反対している人たちは、過激な人たちでは決してありません。私たちと全く同じように、ただ平穏に、普通の暮らしがしたいだけ。映画に登場するUAさんの歌にも「オスプレイはいらない 静かに寝たい」という歌詞が出てきます。

また、高江は自然が豊かな森です。映画には珍しい亀が姿を見せていましたが、命の溢れる森です。ここで、子どもたちは自然と遊び、大人たちは農業を営んだり、カフェを開いたり、木工職人をしたり、自然とともにある暮らしを営んでいる心の穏やかな人々が、自然と人間らしい暮らしを守るために、座り込みをせざるを得ない。

オスプレイは事故が多く、アメリカでは国民の反対で飛行訓練ができません。ハワイではコウモリの生態に悪影響を与えるということで、オスプレイ演習が禁止されていますが、沖縄では低空を米軍機が飛び回っています(*)。沖縄だけでなく、日本全国の上空にはアメリカ軍は自由に飛び回ることができるゾーンがあり、愛媛の伊方原発のすぐそばに米軍機が墜落するというぞっとするような事故も過去に起きています(原発を標的にした攻撃訓練をしていた可能性が高いそう)。アメリカ軍が日本の上空を飛び回れることは『日本はなぜ、基地と原発を止められないのか?』にわかりやすく書かれています。
*参照:高江ゲート前に1600人が集結!参院選で当選した伊波洋一議員も駆けつけ怒り!「ハワイではコウモリのためにオスプレイの演習が禁止されている。沖縄県民はコウモリ以下なのか!」 (IWJ 2016.7.21)
説明会を開いてくれと求めても応じず、建設に反対する申し入れをしても無視され、選挙で民意をこれでもかと言うほど示しても全然ダメ。座り込みをして身体を張って止めるしかないのです。痛いし、怖いし、仕事や日常生活にも支障が出るし、本当はこんなこと、だれだってしたくない。映画に登場する市民はみんな、やりたくないけど、やるしかないから、こんなことしなくちゃいけない、と言っていました。本当に悲しいことです。

非暴力で沖縄を守ろうと身体を張っている市民を、沖縄の人たちを守るのが本来の仕事のはずの、沖縄県民の税金で雇われている警察官や、国民を守るのが本来の仕事のはずの機動隊が、暴力的に排除する。それを見て、アメリカ軍の兵士はおもしろそうに笑っている。「なんなの、これ? これが日本なの? どうなってるの?」と本当にやるせなかったです。

座り込みをして建設に反対していた市民が、国から「通行妨害だ」として訴えられます。本当に汚い。このように、政府などの権力者が市民に自主規制をさせるために訴訟を起こすことはSLAPP(スラップ)訴訟(*)と呼ばれ、司法が国民をだまらせるのに悪用されるという理由から、アメリカでは禁止されている州もあるそうです(以下によると50州中25州→SLAPP訴訟被害者連絡会)。

*SLAPP=strategic lawsuit against public participation[直訳:市民参加を排除するための戦略的な訴訟]の頭文字を取ったもの

映画に出てきた国によるSLAPP訴訟では、現場には一度も行ったことのない7歳の少女までもが被告にされていました。その子の両親は反対運動に参加していましたが、彼女は1回も現場に行ったことがありません。「国に歯向かうとこうなるんだぞ」という見せしめのためにこんな小さな子まで訴えるなんて正気でしょうか? こんな恐ろしい脅迫、まともな人間のやることとは到底考えられません。「私も牢屋に入るの?」とその子はとても不安そうでした。

このSLAPP訴訟を、アメリカのように禁止にすることは、どうしたらできるのだろうか、本当に知りたいと思いました。選挙で民意を示してもダメ、非暴力の抵抗も国による暴力で排除され、裁判でひきずりまわされる、本当にどうしたらいいんだろう。何ができるんだろう。根本的な原因はどこにあるのだろう。私はどうしたらいいんだろう。

この映画は2012年に公開されたときに、知人が見て「3年分くらい泣いた」と言っていて、ものすごく見たかったのですが、東京では結構いつでも見れてしまうため、そのうち、そのうち、と思っているうちにチャンスを逃してしまっていました。今月、近くの市民の方が、自主上映会を開いてくださり、ようやく念願が叶って見ることができました。

念願ではあったのですが、受け止めきれるだろうか、という不安もありました。これを見て、私、立ち直れるんだろうか、という不安があったのもあって、東京時代はズルズルと後のばしになってしまったというのもあります。

すでに沖縄の状況はフリージャーナリストの方々や、現場の方々のSNS投稿などで追っていたので、覚悟はできていましたが、やっぱり、しばらく、ずーん・・・と心が痛くて、痛くて。

この映画で起こっていることは2012年の状況でしたが、それから4年経っている2016年の今になっても、状況は変わらないところかますますひどくなっています。私は、映画の間だけで、90分間だけ、このつらい現実が目の前からは見えなくなって、楽しいことにうつつを抜かしたりできるけれど、沖縄の人たちはまだ続いていて、先の見えない戦いを強いられている。こんなにつらい現実のなかで、まだ幼い子どもたちも、希望を捨てずに、「オスプレイがこれ以上こないようにがんばる」「お父さんとお母さんが疲れちゃったら代わってあげられるようになりたい」と、やんばるの森を守る気持ちをしっかり持っているのを見て、本当に文字通り、涙が出ました。私はほとんどなにもできなくて本当にごめんなさい、どうしたらいいんだろう、何ができるんだろう、そんな想いがうずまいていました。

受け止めるにはつらすぎる現実ではありますが、これが日本で起こっている現実なんだ、と、国民の一人として、絶対に知っておかなければいけないし、沖縄で起こっていることは、今の政治の状況では、日本のどこでだって起こりうることなのだから、知っておくことができてよかったと思いました。

沖縄の高江で起こっていることについては、監督のコラムが充実していますので、ぜひ、読んでみてください。映画もぜひ多くの方々に見ていただきたいです。
三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記
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