20151228

「ワーキングマザー」「働くママ」にという言葉に感じる違和感

【旧暦霜月十八日 冬至 麋角解(さわしかのつのおつる)

翻訳をしていてworking motherという表現が出てきました。日本語でも「ワーキングマザー」「働くママ」と翻訳されています。

改めて、すごーく変な言葉だと思いました。

家族の健康のために食事をつくったり、きれいにおうちを整えたり、子どもの成長を支えたり、母はマザーであるだけですごく働いていると思います。それなのに、生活に必要な営みをしている母親のことを「働いていないママ」「ノンワーキングマザー」とでも言わんばかりでとても失礼だと思います。

文脈的にも会社勤めをしている女性限定だったので、私は「会社勤めをしている母親」「会社で働く母親」と訳しました。たぶん、「“ワーキングマザー”って言うのよ、知らないの?」って思うチェッカーさんもいるんでしょうけれど、こういう深い思考の伴わない訳語が、「女性は基本的には家事をするもの」「家事は働いているとは言えない瑣末な雑事」という暗示を広げます。

文化を創造する翻訳者の端くれとして、訳語が社会に与える影響には常に敏感でありたいと思っています。

「ワーキングマザー」という言葉は、大半の文脈において、フリーランスで働いている女性すら含まれていません。

「働く」の定義が、「企業に勤めて金を取ってくること」っていう狭い意味でしか使われていないということの表れであって、こういう思考だから、フリーランスで働く女性や女性の起業家が働きにくい状況に置かれているし、変わっていかない。

思考の切り替えが重要だと思います。

またworking motherという言葉に出会ったら、こりずに「会社で働く母親」と訳します。

working father=「ワーキングファザー」「働くパパ」という言葉が使われないのと同じように、working motherという言葉自体、見ることがなくなる世の中を願っています。

ついでに、「イクメン」って言葉もイラッと来ます。「はあ!?父親も親とちゃうんかい!?」って言いたくなる。すでに長くなりましたので、これについてはまた後日改めて・・・(→追伸:書きました「20160910 「イクメン」「ペアメン」という言葉に感じる違和感」)。

20151227

牡鹿半島のお母さんたちの手作りアクセサリー―OCICA

【旧暦霜月十七日 冬至 麋角解(さわしかのつのおつる)】

今日から七十二候は、冬至の次候「麋角解(さわしかのつのおつる)」になりました。
(七十二候をまとめた記事はコチラ

麋(さわしか)は雄の鹿のこと。鹿の角はこの時期になると生え変わりのために自然に落ちるのだそうです。ちなみに雌の鹿には角がありません。この自然に落ちた鹿の角でできたペンダントがあります。

鹿の角に、漁師さんの編の補修糸を巻き付けたドリームキャッチャー。名前は "DEERHORN DREAM CATCHER"。私が持っているのは写真左のオレンジ色。

20151225

「反貧困の学校」と「反貧困の学校2」を読んで〈その3〉―ジェンダーと労働問題

【旧暦霜月十五日 冬至 乃東生(だいとうしょうず[=なつかれくさがはえる])

主に第2巻のほうの「反貧困の学校2」を読んで思ったこと。

男が一家の大黒柱として、女と子どもを養い、女は子どもと高齢者の面倒を見る。男は一家を養うだけの給料を、会社で稼いでくるもの。男が主、女は従、という、この古くさい役割分担=ジェンダー意識が、労働問題のかなりの部分に悪影響を与えていると思いました。

実際にそう指摘もされていて、「ご主人が・・」と発言した人に、別の発言者が「主人って言わないで」とたしなめるシーンもありました。

女は「お嫁さん」になって、男に養ってもらえるから、女の労働は補助的なものという考えから、簡単に首が切れる、賃金は安くていい、という派遣労働や臨時雇用という形態が生まれています。

儲けを増やすには、材料費を削るか、賃金を削るか。賃金のほうが削りがいがある。ということで、男性にも、この、簡単に首が切れて、賃金が安い労働がスライドしてきてしまった。

20151224

「反貧困の学校」と「反貧困の学校2」を読んで〈その2〉―貧困は自己責任に非ず。セーフティネットはどんな状態?編

【旧暦霜月十四日 冬至 乃東生(だいとうしょうず[=なつかれくさがはえる])

昨日のつづきで、日本社会のセーフティネットがどんな状態かを書きたいと思います。

当事者の生の声を聞いてみると、大企業で務めていた人も、公共機関の人もいて、正社員で困ったことになった人もいたし、だれだって一寸先は闇、という雇用のあり方に、今の日本はなっています。残念ながら。

せめてセーフティネットだけでも機能していればまだよいのですが、セーフティネットがもともと脆弱で、安倍政権になってからは、派遣法が改悪されたり、さらにネットが1本切られ、2本切られ…と、ますます穴だらけの状態。

憲法でも定められている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する義務を国が果たしていないため、消費者金融(いわゆるサラ金)、ゼロゼロ物件駅手配といった、貧困ビジネスが蔓延っているという現状がよくわかりました。

これは、第1巻「反貧困の学校―貧困をどう伝えるか、どう学ぶか―」のほうに出てきた、「カフカの階段」の説明図です。

カフカの階段の説明図(生田さんのウェブサイトより)
拡大用のPDF

20151223

「反貧困の学校」と「反貧困の学校2」を読んで〈その1〉―情けは人のためならず(本来の意味で)

【旧暦霜月十三日 冬至 乃東生(だいとうしょうず[=なつかれくさがはえる])

「♪東京なのに、宇都宮、弁護士だけど、けんじ」
と陽気で優しそうで強そうなおばちゃんが、一枚のビラをくれた。それが宇都宮健児さんのことを知った瞬間でした。

最初「?」と思ったけど、受け取ったビラの写真は見るからにいい人オーラがにじみでまくっていたので、ネットでよく検索してみました。

知れば知るほど好きになりました。都知事選のときには動画を見まくり、行けるときには生で演説を聞きに行きました。それまで、環境のことにしか興味がなかった私に、貧困のことを知らせてくれたのが宇都宮さんの存在でした。

20151222

冬至の訪れと、夏至への出発

【旧暦霜月十二日 冬至 乃東生(だいとうしょうず[=なつかれくさがはえる])

今日から七十二候は乃東生(だいとうしょうず)。
乃東は夏枯草という植物のこと。またの名をうつぼ草。
漢方にも使われる東洋のハーブ(薬草)です。


アップにするとこんなの。

photo by Jesse Taylor on Wikipedeacommons
「乃東生」は、この乃東という植物が生えるころ、という意味です。
冬至を迎え、一陽来復。
夏に枯れる草がこんなに寒いときから生え始めるんですね。

漢方では利尿消炎作用、結石消散作用で腎臓のお薬として用いられるそうですが、
抗アレルギー作用、抗酸化作用、エイズウイルスの増殖抑制効果、
抗腫瘍効果などもあるようです。(参照元


夏至のころに今度は「乃東枯」(夏枯草が枯れる)の候が巡ってきます。
冬至の初候に生え、夏至の初候に一生を終える乃東という植物。
季節を知らせてくれるメッセンジャーのような存在なのかもしれません。
見たことあったかなー?かつてはかなりなじみのある植物だったのだろうなぁ。

【和暦関連書など】

にほんのいきもの暦

Lunaworks 和暦日々是好日
) 関連記事

20151220

伊方原発再稼働をめぐり―高知の市町村議会約82%反対、愛媛でも住民投票求める署名に賛同1万人超

【旧暦霜月十日 大雪 鱖魚群(さけのうおむらがる)

小さき声のカノンに登場する福島県二本松市のお母さん佐々木るりさん(*)。
福島に住む方の生の声を聞きたくて、東京に住んでいたころ、るりさんの講演会を池袋の立教大学に聞きに行きました。
*佐々木るりさんのインタビューはコチラ

20151217

クリスマスの起源

【旧暦霜月七日 大雪 鱖魚群(さけのうおむらがる)】

昨日、クリスマスがあんまり好きじゃない話を書きました
だって、そもそも、クリスマスはイエス・キリストの生誕を祝う行事でしょ?

……と書こうとしたのですが、「はて、待てよ?果たして本当にそうか?」と思い、調べてみました。(注:筆者はクリスチャンではありません)

調べてみると・・・実は違ったのですね。キリストの誕生日がいつであるかには諸説あるそうで、聖書にも記述がないそうです。

20151216

商業的なクリスマスをどう思う?

【旧暦霜月六日 大雪 鱖魚群(さけのうおむらがる)】

日本の商業的で、メロドラマ的なクリスマスは好きではありません。ハロウィンの後に一気にやってくるクリスマスムードには違和感を感じるほうです。

先日、友だちともそんな話になりました。
1カ月に1つは何かしらのイベントが作られていて

1月―お正月
2月―バレンタイン
3月―ホワイトデー
4月―イースター
5月―母の日、ゴールデンウィーク
6月―父の日、ジューンブライド
7月―七夕
8月―お盆
9月―シルバーウィーク、敬老の日
10月―ハロウィン
11月―サンクスギビング、ボジョレー解禁
12月―クリスマス

これって完全にお金使わせる作戦よね~、日本人って踊らされちゃってるよねぇ。って話になりました。

20151213

自分中心もわるくない

【旧暦霜月三日 大雪 熊蟄穴(くまあなにこもる)】

まわりの人にいろいろと助けてもらうなかで、「やりたい!」「やりたくない!」という素直な気持ちを優先することはわるいことじゃないなーと思えるようになってきました。

自分のうれしいことの実現を助けてくれた人が自分の喜びをうれしがってくれて、好きなことでお礼をしたら、お礼も喜んでくれて、喜んでくれたのが自分もうれしくて、「うれしい!」のキャッチボール。また私が誰かに恩送りをして、相手がまた喜んでくれて…と、うれしいが広がっていきます。

自分の「やりたい!」「やりたくない!」という素直な気持ちを優先して行動すると、「ジコチュー」、「わがまま」と非難されたり、なんかわるいことをしているような気がしてきたりするものですが、自己犠牲よりも自分中心のほうが、楽しいことが広がるんじゃないかなぁと思うようになりました。

「私さえガマンすれば」と自己犠牲を払っても、いい人たちは我慢を強いられ、本当に自分の利益しか考えていない人たちは横暴を広げることも多いと思います。いい人たちが搾取されてしまう雰囲気を作ることになるし、横暴な人も精神が成長しない。自立を妨げることはやさしさではないのでは。

だれかに助けてもらうときは、助けてくれる人が、助けてくれることを「やりたい!」と本当に思ってくれているのか、それとも「本当はやりたくないけど、しかたなく」という自己犠牲的な気持ちでいるのかどうかを見極めることが重要だと思っています。下心にも注意が必要です。

自分中心という言葉に、思い描くものは人それぞれだと思いますが、深いところからうれしさが湧いてくるような「自分中心」の想いのパスのしあいで、いろんなことを実現していけたら、楽しいこと、うれしいこと、すてきなことが広がっていくと思います。

20151212

ベーシックインカムってどうなの?

【旧暦霜月二日 大雪 熊蟄穴(くまあなにこもる)】

ベーシックインカムという言葉を聞くようになったのは、おととしくらい。貧困のことに関心を持つようになってからでした。

ベーシックインカムとは…
"ベーシック・インカムとは、就労や資産の有無にかかわらず、すべての個人に対して生活に最低限必要な所得を無条件に給付するという社会政策。1960年代に、イギリスの経済学者ミルトン・フリードマンが著書『資本主義と自由』のなかで提唱した。" (Huffington Post「フィンランド、全国民に毎月11万円支給? 導入を検討する「ベーシックインカム」とは」より) 
最近になって、フィンランドが導入を検討していて(*1)、オランダのユトレヒトという都市では2016年1月から試験的に導入する(*2)というニュースを見て、再び、むむーどうなんだろうー?と考えるようになりました。

20151210

国立大授業料2031年度54万→93万に?すでに世界一かもなのに。

【旧暦神在月廿九日 大雪 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)】

先日、奨学金の問題について書きましたが、マルチリンガル通訳&翻訳者さんのブログに、表とともにわかりやすく各国の状況が比較されていました。感謝です。やっぱり、複数の言語で情報を収集できると、洗脳されにくいですね。


ダントツです・・・。

このときでさえダントツだったのに、さらに・・・(赤字は筆者)

20151209

あべこべな日本語

【旧暦神在月廿八日 大雪 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)】

この国、日本は不思議な国だ。

真実を語ることを「批判」と呼び
真実を求めて追求することを「疑い深い」と軽蔑する。

政府や経済界の言うことを鵜呑みにし
横流しするマスコミの情報のことを
「真実」と呼んでいる。

政府や経済界に都合のいいことだけを
伝える報道を「ジャーナリズム」と呼び、
都合のわるいことでも納税者に知らせるべきことを
伝える報道を「偏向報道」だと攻撃する。

不完全な科学を「科学的」だと盲信し、
心ある真の科学者の警告を「エセ科学だ」と揶揄する。

戦争をしたい人たちのことを「保守」と呼び、
平和を守りたい人のことを「過激派」と呼ぶ。

憲法を壊す人のことを「保守」と呼び、
憲法を守ろうよという人たちを「過激派」と呼ぶ。

原発で自然を壊す人たちのことを「保守」と呼び、
環境を守りたい人のことを「過激派」と呼ぶ。

放射能汚染をなきものにして
人の健康を壊す人たちのことを「保守」と呼び、
汚染から命を守ろうとする人たちのことを「放射脳」とばかにする。

遺伝子組み換えを持ち込んで
生態系を脅かす人たちのことを「保守」と呼び、
これに反対して種の多様性を守ろうとする人のことを「過激派」と呼ぶ。

公約違反でTPPに参加して
国民皆保険制度の壊滅をはじめ、
人々の生活を破壊する人たちのことを「保守」と呼び、
TPPを阻止しようと声をあげる人たちを「過激派」と呼ぶ。

どうでもいいと無関心でいる人たちが「普通」とされ、
関心の高い人たちは「意識高い系」とバカにされる。

人と違うことを「過激」と呼び、
みんなが黒だと言うときには
白を見ても「黒」と言うことが是とされる。

「過激」と呼ばれても、白を見たら白と言う。
真実を求めて追求する。
そういう仲間が日本中に、世界中に増えている。
隠れている善良な人たちも実は結構たくさんいる。
早く仲間に入りませんか。
命を大切にする人たちが「普通」になる日はまだですか。

>関連記事:20120902 埃

20151208

『小さき声のカノン』―感想ふたたび

【旧暦神在月廿七日 大雪 閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)】

先日、『小さき声のカノン―選択する人々』を観て

「日本とベラルーシではなんでこんなに国の対応が違うんだろう?」
「日本でもベラルーシみたいな対応が国としてできないのはなぜなんだろう?」
「ベラルーシみたいなきちんとした対応をするために、私たちに足りないものってなんなんだろう?」

そんな疑問がいっぱい湧いてきました。

20151206

ドキュメンタリー映画『小さき声のカノン―選択する人々』、ものすごく良かったです

【旧暦神在月廿五日 小雪 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)】

先週、ずっと見たかった映画、『小さき声のカノン―選択する人々』をようやく見ることができました。

子どもたちを放射能への被曝から守りたいと願い、できることをなんでもやろうと努力しているお母さんたち(一人だけお父さんも出てきた)の姿がありのままに捉えられていました。

20151203

庭の「ワカメ」の正体―除草剤と遺伝子組み換えのこと

【旧暦神在月廿二日 小雪 橘始黄(たちばなはじめてきばむ)】

地方に移住して、通路や庭にこんなワカメみたいなものがうようよあって


なんだろう?と不思議に思っていました。晴れが続くと、乾燥ワカメ、雨が降るとワカメです。

20151201

ビジョンで描いたもの以上のことが現実になることもある

【旧暦神在月廿日 小雪 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)】

このまえ、日本の奨学金制度が変だよね、という話を書いたときに、私もよく大学に行けたもんだなぁと、中学生のころを思い出しました。不思議なめぐり合わせで今があります。

ビジョンを描いて強くイメージするとその通りになると、よく言われますが、ときにビジョン以上のものが実現することがあるもんだと思いました。

私の人生を大きく変えた先生が2人います。