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20230221

紅茶の魔法

今日はつれづれです。

もやもやする気持ちになったある日のこと、家にずっといても気持ちが晴れそうにないので、こんなときは出かけるに限る!と気分転換に街へでかけました。

自然のあるところが普段は好きなのですが、もやもやしているときは、自然のあるところにいると内省的になってしまい、余計に自分を責め出したり、ぐるぐると考えがちなので、楽しい刺激がいっぱいある、街に出かけたほうが気分転換になることが多いです(私の場合)。おもしろいもの、きれいなもの、かわいいもの、触り心地のよいもの、いろんな本、明るい色彩、次々といろいろなものを見て回っているうちに、いらいらやもやもやが消えてきます。

20221108

ヨガ再開

だいぶ寒くなってきましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?

私はと言いますと、10月の初め、急に朝晩の冷え込みが厳しくなった頃、身体がまだ夏仕様だったというのもあると思うのですが、久々に頭痛で5日ほど寝込みました・・。

まだ冬にもなっていないというのに、このくらいの寒さでこんなことになってしまうなんて、本格的な冬が来たらどうするんだろう??と青ざめて、何か対策を取らなければ・・と思い、ヨガのチャンネルを探してみることに。なんとも私にぴったりなヨガのチャンネルを発見して、現時点で1ヵ月くらい続いています。

発見したのはこちらのチャンネルです。

20220303

芸術を生活のなかに

「ものづくり、されてるんですか?」

数年前、初めて入ったおしゃれなコーヒーショップで代金を払っていたとき、店主さんにかけられた言葉をときどき思い出す。

私のどこを見てそう聞きたくなったのかはわからない。小銭がないか財布のなかを探していると、不意に突然、さりげなく自然に、たずねられた。私はどう答えていいものか、迷ってしまった。

確かに、日々、ものは作っているが、自分で使ったり、プレゼントしたりするためのもので、これで生計を立てているわけではない。この店主さんはどう定義しているかわからないが、世間ではものづくりによって生計を立てていない限り、「ものづくり作家」を名乗ったら笑われるだろう。

『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』(内田樹・編/晶文社・刊)に、ミュージシャンの後藤正文さんが寄せた文章「君がノートに書きつけた一編の詩が芸術であること」を読んで、励まされた。

20211205

循環する時間と直線的な時間と

ここ数年、LUNAWORKSの和暦日々是好日という手帖を毎年使っています。

この手帳の「はじめに」のところには、

「人間が時間を直線的にとらえるようになったのは、産業革命以降だといわれていますが、宇宙の惑星はそれぞれの周期を持ち、永遠に回り続ける時間を刻んでいます」

と書かれています。そして、

20211120

「人生とは」ーー再会した言葉

 過去の手帳を整理していたら、こんな言葉が目に止まりました。

「人生とは時間をかけて自分を愛する旅」

ピアニストのフジコ・ヘミングさんのドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』を観に行ったときに、おそらくフジコさんが語った言葉で、手帳のノート欄にメモしたのでした。それまではずっと忘れていたのですが、あのときの映画で出会った言葉だとすぐに思い出しました。

20211105

タイムログをつけてみる

少し前に数日間、タイムログ(time log)=時間の記録をつけてみました。3日間つけてみただけでもいろいろな発見がありました。お金については家計簿の形でこまめに記録をつけていて、何にどのくらい必要なのかがよくわかってきたのですが、時間についてはなんだかいつもドタバタしていろいろ終わらなくて回らなくてもやもやしていて、一度きちんと観察してみようと思い、記録をつけてみることにしました。

20210822

大人の役割

東京に住んでいたころ、足しげく通っていたカレー屋さんがある。薬膳カレーがおいしくて、何度も食べに行っているうちにお店の方と顔見知りになり、さまざまな話をするようになった。

お店の方は藝術にも、環境問題にも、社会問題にも、全方向に造詣が深く、話題は多岐にわたった。アイヌ刺繍や素晴らしい詩や映画など、美しいものとの出会いもたくさんいただいた。フェアトレードの東ティモール産のコーヒーの味もここで初めて知った。東ティモールという国で起こったことも初めて知った(その後映画『カンタティモール』を見ることにもつながった)。

20210724

カテゴライズと暗示

とある健康法を体系立てた方の本で、「冷酷だと(とある腎臓の不調)になる」と書かれていたという話を聞きました。教えてくれた方は見に覚えありだったらしく、「それって(かつての)自分のことだ!」と感じたと言って、教えてくれました。(その方は具体的な不調の名称を述べておられましたが、偏見につながる恐れがあるので、あえて書きません。)

それを聞いて私は「それって結構迷信入ってない?」と言いました。その症状につながる原因は、心の問題以外にも、食事や体質、先天的なもの、職場や住居の環境など、他にもさまざまな要素があるはずです。それなのに、冷酷だとその不調になるというのはやや短絡的だと思います。冷酷でもその症状を持っていない人もいるし、その症状になっている人で冷酷ではない人もいます。「(とある腎臓の不調)のある人は冷酷」という偏見につながりかねないと思いました。教えてくれた方にも率直に伝えました。

20190827

それは本当に心から自分がやりたいと思うことなのだろうか

似ているけれど対照的な人々と会う機会があり、考えさせられた。

好きなことを仕事にしている、という点では似ている2組。じっくり話を聞いていたら、対照的なところがあることに気づいた。

20190820

暮らしのなかで望む世界をじわじわ創る

望む世界を創るのに、アプローチはさまざまある。政治的なアプローチ、NPO的なアプローチ、投資的なアプローチ、アート面からのアプローチなどなど。一番取り組みやすくて、続けやすいのは、暮らしのなかで実践していくことではないだろうか。

20190813

何歳になったって

誕生日を迎えるとき、20代前半くらいまでは素直に喜ぶのに、30代が近づいてきたころから複雑な感情表現をする人が増えてくる。40代になると「ガーン!」と言う人もいた。50~60代になると、老いを感じるときについてコメントしはじめてしまい、余計に身体の衰えに不安を大きくしてしまう。世間になんとなく存在する年齢のイメージに縛られてしまっているからそうなるのだろう。何歳になったって、肉体の状態も、精神の状態も、すべては自分の考え方と暮らし方しだいだ。

20190709

「らしく」なんて言葉は人を縛るのかもしれない

小さいころよく、「子どもらしくない」と怒られたり、驚かれたりした。先日書いたように、保育園の職員室から自分ちに電話をかけるような子だった。「子どもらしい」って何なんだろう? 社会的に想定されている「子ども」というものの振る舞いとか、期待されている何かがあるんだろう。そんなものは空想でしかない。一人一人の人間をしっかりを見つめれば、「子どもらしい」なんていうものは実態がないことがわかる。

20190702

「子どもらしくない」と怒られた話

保育園に通っていたとき、職員室から自宅に電話をかけて「殺されるー!」と親に助けを求めたことがある。親は大急ぎで保育園に駆けつけたそうだが、そのときは会わせてもらえなかった。夕方迎えに来てくれた親によると、先生(保育士)はものすごい剣幕で怒っていたらしい。

20190625

大切なことを大切な人たちと共有するかどうかについて

かつてある人(Aさんとする)が夫婦円満の秘訣を「夫婦だからって、何だって話しているわけじゃない。なんでも共有する必要なんかない」と語っていた。何人かでカフェで話していて、生き方や社会について考えていることを家族と話すかどうかという話題になったときのこと。

20190618

自分と相手の違いを受け入れられれば楽になる

一緒に暮らしているパートナーや家族でも、感覚も違えば、考え方も違う、全く別個の人間だという事実を、忘れがちになることは多い。

ずいぶん前のことだが、ちょっと小洒落た温泉に行ったとき、「夫がフェイスタオルで全身を拭くのが気持ち悪い」と女性がぐちをこぼしているのが聞こえてきた。一緒に来ていた女性は「わかるー!」と共感を示していた。そういうものなのか。

20190604

小さい子どもに家事をお手伝いさせるのはかわいそう?

『はなちゃん12歳の台所』という本を読んで、とても感銘を受けた。

2016年の映画『はなちゃんのみそ汁』の「はなちゃん」が書いたエッセイとレシピの本。映画では5歳だったはなさんが成長して12歳のときに書いている。レシピや食についてのコラムがおもしろかっただけではなく、ユーモアもあり、自分のことも将来の目標もしっかり考えていることが伝わってきて、本当に立派な人だなあと思った。

20190528

望まされている望みと、自分の本当の望みを区別する

ツバメノートは書きやすくて、もう何冊も使っている。クリスマスが近いある日のこと、使用中のノートがあと数ページになっていることに気づき、近所のショッピングモールへ買いに出かけた。

文房具コーナーへ着くと、いつもツバメノートがあった場所がゲームだらけになっていた。ツバメノートは隅っこに見つかった。クリスマスシーズンだけに、サンタクロースにどのゲームをねだろうか、子どもたちに目移りさせようという作戦だろうと想像した。

色とりどりに装飾され、楽しそうに演出され、華々しく宣伝されて、動画ディスプレイでは夢中になってしまいそうなゲームの一幕が繰り返し映し出されている。テレビCMなどでも盛んに宣伝されているのだろう。子どものころに通ったら、もしかしたら欲しくてたまらなくなってしまったかもしれない。

この光景を見ていて、多くの人が「欲しい」と思っているものは、本当に本人が「欲しい」と思っているものなのだろうか?と疑問に思った。

20190521

できていないことよりも、できたことを振り返る

今日することリスト、今月したいことリストを書くようになった。が、しかし、できていないことが気になりだす。書いてあることをやらなかった日には、「ま、いっか」と思いながらも、なんだかいやなもやもやが残る。

できていないことややり残したことがある場合、いつか、やろうと思っていると、ずるずると時間が過ぎてしまう。かといって、できていないことを書き出して、いつやるかを決めると、精神的に参ってくる。

一日の始め、一月の始めにはすることやしたいことをリストにするのは続けつつ、一日を振り返る時間には、その日できたことを書き出してみることにした。することリストやしたいことリストに入っていないことでも、楽しい話をしたとか、家族にメールを返信して喜ばれてうれしかったとか、思いつくままに、その日したことを書き出してみると、意外といろいろやっていたことがわかることもある。