20190716

モノが「お嫁に」と聞くとモヤモヤする話。

手作り作家さんやお店の人が、商品が売れたときに「早速お嫁に行きました」「もうお嫁入りしました」と言ったり、SNSに書いたりするのをよく見聞きします。

買った人が女性であった場合でも「お嫁に行きました」「嫁入りしました」です。物になぞらえられるのは常に女性。比喩として「早速お婿に行きました」「もうお婿入りしました」と見聞きすることはありません(もちろん、女性と女性の結婚もありますが、その場合、どちらかが「嫁」として婚家に入るという感覚はないのでは)。

たとえば、

客:これ、すてきですね。

店の人:特に女性に人気なんですよ~。入荷するとすぐお嫁に行っちゃって! 今日また届いたばかりなんです。

客:ん、女性の元へ行ったということは、婿入りしたんですね。

…とか言おうものなら、店の人はたぶん…

店の人:(何言ってんのコイツ)

店の人:(こんな比喩も知らねーの?)

店の人:(揚げ足取りかよ、まじうぜー)

…とまでは思わないかもしれませんが、十中八九ぎょっとされることでしょう。

でも、試しに男女を逆転させてみると、この言葉の気味の悪さがわかると思うのです。

慣用句になっているので違和感を覚えないだけかもしれません。「物が婿に行った」と男女を逆転させて、男性を物になぞらえ、買われたことを「婿入り」したという表現を聞いて変な感じがするなら、一般的に使われているこの慣用句が、女性を物になぞらえ、誰かに買われたことを「嫁入り」と表現していることに対して、どんな感じがするでしょうか。

しゃれた表現として今なお使う人は多いようですが、「物が買われた」「物が売れた」という状況を、「女性が嫁に行った」と表現することには違和感を覚えます。この言葉は、女性を物同然に扱っている感じがします。女性は物と同じで自由や意志はないのでしょうか。

進んだ時代において、結婚は、自由な意志を持つ2人の人間の合意に基づく対等で平等な関係であるはずで、女性の身売りとは違うものだと思います。昔はそれに近いものもあったのかもしれませんが…。

作家で活動家の雨宮処凛さんが著書『女子という呪い』の中で、呪いの解き方として、「女だから~だ」の女の部分を男と入れ替えてみたらどう思うか?と切り返す話を書いていました。

この「物が嫁に行った」と当たり前のように使われている慣用句の女性の部分を男性に入れ替えて「物が婿に行った」としてみたら、変な感じがする、と感じ取れることにも言えることだと思いました。社会的に作り上げられた「女性」というものが感じられたとき、男女を逆に入れ替えて、呪縛を解くことは有効かもしれません。自分で自分にかけている呪縛、自分が他人にかけている呪縛に気づくことにも役立つことだと思います。

言葉には力があります。使う人が意図を持って言葉を選んでいれば、言葉の力よりも使う人の意図のほうが力を持つと思いますが、何も考えずに言葉を選んでいる場合、言葉ほうが影響力を持つような気がします。女性を物に、結婚を女性の身売りになぞらえるようなこの表現を多用する人は、いつの間にか、自分のことも他人のことも、この言葉の根底にある考え方に当てはめて思考するようになっているように感じます。

言葉の仕事をしていることもあり、言葉には少し敏感です。この言葉を見聞きすると、とても悲しくなります。あまりよくない背景を持つ言葉は、基本的に自分では使わないことにして、ほかの人が使う分には、あまり気にしないようにしようとは心がけていますが、やっぱりひっかかってモヤモヤしてしまうことがあります。

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