20190618

自分と相手の違いを受け入れられれば楽になる

一緒に暮らしているパートナーや家族でも、感覚も違えば、考え方も違う、全く別個の人間だという事実を、忘れがちになることは多い。

ずいぶん前のことだが、ちょっと小洒落た温泉に行ったとき、「夫がフェイスタオルで全身を拭くのが気持ち悪い」と女性がぐちをこぼしているのが聞こえてきた。一緒に来ていた女性は「わかるー!」と共感を示していた。そういうものなのか。

フェイスタオル1枚で済むなんて、洗濯も少なくて楽だし、そんなに気持ち悪がらなくても…。女性はどういう理由で気持ち悪がっているのだろう? 彼女には、バスタオルは身体を拭き、フェイスタオルは顔や髪を拭くもの、という感覚があって、足も拭いたタオルで髪や顔を拭く夫の神経が信じられない、という感覚なのかもしれない。

きれいに洗った身体を拭くものなのだし、もしかしたら先に髪と身体を拭いて、足を拭くのは最後かもしれないし、タオルを共有しているわけでもなさそうだし、夫は夫の感覚でいいんじゃないのかなと思った。女性は女性の感覚で、バスタオルとフェイスタオルを分けて使い続けたらいいのでは…。

相手と自分が異なる人間であることを忘れ、自分と一緒でなければ人間ではないとでも言いたげな場面は、ときどき見聞きする。自分の感覚や考え方と違うだけで、相手を気持ち悪いと酷評したり、一緒の考え方や感じ方をしてくれないと、悲しんだり怒ったりしてしまう。自他の差を明確に認識するだけで、暮らしのさまざまなストレスが軽減されることも多い。

我が家でも、相方とは違いを感じることも多い。歯磨き粉は私は後ろから順に押してきれいに立つようにして使いたいが、相方は途中で押し出して曲げて立たなくしてしまう。料理本を見て料理を作るとき、私はやりやすいようにアレンジしてしまうが、相方はまずはレシピに忠実に作りたがる。相方は、失敗しそうなことが予想できても(水の量が少ないとか)レシピの考案者にリスペクトを表してまずはそのままやってみたいのだという。

相方と自分が別々の人間であって、全く同じにはいかないということをまだあまりきちんと理解していなかったころ(頭ではわかっていても実践とはまた別だった)、相方が照明をつけまくって、つけっぱなしにすることにイライラしていた。相方は、見えるくらいの明るさでも、照明をつけまくる。つけっぱなしにしてしまうことも多い。電気代は折半だということもあり、私はこまめに消しているし、最小限しか使わないのにと相方を責めたい気持ちになっていたが、明るさの感覚が違うんだろうし、仕方がないか、と思ったら楽になった。

相方はどうやら、小さい頃から、親から「電気つけなさいよ」と言われて育ったらしい。きっと、暗くしていたら目が悪くなるからだろう。私は逆に、「モッタイナイ! 勉強していないなら消すぞ!」と、本や新聞など細かい文字を見ていないときはこまめに消されて育った。そういう子どもの頃からの習慣の違いもあるのであれば、そんなにすぐに解決できる問題ではない。私が気がついたときに感情を乱されることなくスイッチを切ればいいだけのことだ。すると、相方もしだいにこまめにスイッチを切ることが増えてきた。

自分と他人は違うところがある。自分に影響する範囲と、他人のそれとを区別する。それだけで、余計ないら立ちや感情の乱れは防ぐことができる。

相手に改善を頼みたい場合にも、これを理解し、区別するだけでうまく対話が進む。相手の意向や考え方を聞き、自分の考え方と希望を伝えて、お互いに納得のいく形で着地点が見つかる。自分が正しいと思っていることを相手も正しいと思うかどうかはわからないという前提に立てば、相手の意見や気持ちを尊重した対話ができると思う。

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