20190514

料理は自由な人生を開く扉―稲垣えみ子さんのエッセイ『もうレシピ本はいらない』を読んで

稲垣えみ子さんのエッセイ『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』を読んだ。レシピ本もいらないほどシンプルな粗食にたどり着き、料理がもたらした人生の自由について楽しく書かれていて、頷きながらあっという間に読んだ。とてもおもしろかった。

『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』
(稲垣えみ子・著/マガジンハウス・刊)


稲垣さんの食事は、主に鍋で炊いた米、乾物を入れて味噌を溶くだけの味噌汁、ぬか漬けで、たまに簡単なおかずを作るという。私も普段は土鍋で炊いたご飯(毎食は炊かない)、具だくさん味噌汁(夏は野菜山盛りの炒めものやサラダ)、ぬか漬けといった感じの食事なので、とても良く似ているなあ~と思って読んだ。ご飯とスープさえできていれば、5分かそこらで食事の準備が完了する。外食が格段に減った。

稲垣さんは会社員時代、貯金もしていたそうだが、いくらお金を稼いでも安心することができなかったという。食べ歩きもよくされていて、料理ももともと好きなのでギョウザも皮から作ってしまうほどだったそうだが、どんどんシンプルになって、今のような食事にたどり着いた経緯が書かれていた。身体の底から「う、うんまーい」とじんわり感じるような稲垣さんの食事は、1食あたり約200円。1か月にしても2万円程度で心も身体も大満足の食事を作ることができるとわかり、「料理は自由への扉」と実感されたそうだ。

稲垣さんのお母さんはとても料理が上手で、レシピ本を見ながらさまざまな凝った料理を作ってくれたそうだ。その影響で稲垣さんも料理が好きで、かつては家に山積みになるほどレシピ本があったという。稲垣さんのお母さんは、最初はレシピに忠実に作り、その後でアレンジを加えて、几帳面な字で変更点を書き込まれるなど、細やかな努力を重ねていたそうだ。

しかし、そんなお母さんは認知症が進み、レシピ本にあるような、計量や段取りをきちんとするような料理をすることが難しくなった。料理が女性の仕事とみなされてきた時代を生きてきたためか、料理上手が自分の価値のようになってしまっていた稲垣さんのお母さんには、レシピなんかいらないような簡単な料理をするということは許しがたいことで、稲垣さんが勧めても絶対にやらず、レシピ本にあるような凝った料理をしようとしてうまくいかずに苦しみ、料理自体しなくなってしまったことで認知症はますます進み…そんなふうにもがき苦しんでいるお母さんの様子を見て、どうして料理はこんなに複雑なものになってしまったんだろうと稲垣さんは疑問に思う。それもあって、今のようなシンプルでご自身いわく「ワンパターン」な粗食に行き着いたようだ。

料理は生きていくために必要な作業で、本来は、だれだってできるくらい簡単で自由なものなはずなのに、いつのまにか「こうでなければならない」という型だらけになってしまって、料理というものがなにか特別なスキルのようになってしまっている。そのせいで、料理が大変で面倒なものになってしまい、いつのころからか女性に押しつけられるようになったり、買ってくるのが当たり前のものになってしまったり、人間ならだれでもすることではなくなってしまっている。そのせいで、お金をたくさん稼ぎ続けなければならないという恐怖や不安に多くの人が縛られている。だけど、本当はこんくらいシンプルでいいんじゃないの?と疑問を投げかけ、シンプルにすればそんな呪縛から解放されるということを実例を示して伝えてくれている本だと思う。

そういえば私も、カフェめぐりは楽しみの1つだったが、家のご飯のほうが速いし安全だしおいしいとなると、絶対必要なものでもなくなり、お金が減らなくなった。外出時にはおむすびや甘栗を持って歩く。原材料は自分で買い集めたものなので、何が入っているかもよくわかっているので、完全に安心できる。

自然栽培や有機栽培で、しかも在来種や固定種の食材となると、焼いただけ、蒸しただけ、塩かけただけみたいな、極めてシンプルな調理でものすごくおいしい。というか、あまり余計なことをせずにそのままを味わわなければ失礼なような気さえしてくる。なので、料理とも呼べないほどシンプルな食べ方で、時間もお金もそれほどかからず、身体の底からうまいーと喜びがこみ上げてくるような食事が毎日食べられるようになった。

キャベツはとなりの畑の有機栽培の若い農家さんの、小豆は北海道のWさんの、大根はうちの畑の、お米は香川のAさんの自然栽培朝日…みたいに、誰が作ってくれたのかまで分かっているものも多くなってくると、なんだか幸せ感が大きくなる。あーあの人が丹精込めて作ってくれたんだなあとありがたいなあとじわじわ感謝がこみ上げてくる。作っているときも、食べているときも。

料理は、自由な人生を開く扉であると同時に、地球や人間社会とも通じている扉でもあると思う。

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