何かで一番になることを目指すのではなく、自分が一番ありたい姿を追求していくことを目標にしてから、人生を素直に味わえるようになったと思う。
向上心を失ったのではなく、分析的な自己評価から、統合的な自己評価へと変化した。
自分の能力をたとえば、コミュニケーション能力、作業効率、英語力、文章力、論理思考…などと、分けて切り刻んで、資格試験を受けてみたりして、これは誰にも負けたくない、これは全然だめだからもっとやらなきゃ、と人と比べて、自分を評価していた頃は、恐怖に駆り立てられての努力で苦しかった。
いつしか、自分が楽しんでいるか、人を笑顔にできているか、人として誤ったことをしていないか、
そういうことで自分を見つめるようになった。
今、自分を評価するのは極めてシンプルで、鏡に映った自分がどんな顔をしているかを確かめる。
ぶすっとしていないか、怯えていないか、後ろめたい顔をしていないか。それを感覚的に見て、普段の行いを振り返る。
何かの能力で自分より秀でた人がいると、かつての自分なら、劣等感や負けたくないという衝動に苦しんでいたのだが、今は、喜ばしく思えるようになった。
自分ができないことは、好きなことならできるようになれたらいいけれど、そうじゃないなら無理にできるようになろうとしないで、それが好きで得意な人に任せればいいや。
自分よりよくできる人がいたら、その人を手伝わせてもらったり、応援すればいいや。
そう思えるようになってから、努力も無理にがんばって能力を高めるという感じではなくて、自然にいつのまにか前よりもできるようになっているという感じになってきた。
上手な人を手伝っているうちに、自然に身に付いていることもあれば、もっと人の役に立てるように力をつけたい、と思って学び、喜んでもらえてうれしくて、さらに学びたくなる、ということもある。
かつての分析的な自己評価を悔やんではいない。あの負けん気があったからこそ、集中して努力できたのだと思う。だけどそれを今でも続けていたらきっと、限界がきていただろう。
自分を人間として高めることを楽しみ、優れた能力を持った人との交流を喜べるようになった、この変化を今、とてもうれしく思っている。