20130724

参院選の記憶―その1

2013年7月21日の参議院選挙が終わりました。感じたこと、心に残ったこと、新たに知ったことを少しずつ、書き残しておきたいと思います。

一番うれしかったのは、友人からのメール。私のフェイスブックでの投稿を見て、適当に投票したり棄権することの恐ろしさを知ったから、これからはきちんと候補者のことを調べて考えて投票したいという感じの内容のメールをもらって、ものすごくうれしかったです。

うざがられるんじゃないかなぁ、とか、「専門家でもあるまいし、知ったかぶりしてナニサマのつもりだ?」とか思われているんじゃ、、とビビりつつ、フェイスブックで、投票率が低いと組織票(利権票)を超えられないためにいつまでも政治が変わらないのだということ、メディアではうやむやにされている今回の選挙の争点(原発・TPP・改憲・消費税など)、実際に今日本の政治がどのような状況になっているのかについての記事や、投票に行くことの重要性を論じたコラム、国民のための政治が行われている国では投票率が高いことなどを発信していました。反応がないからきっと嫌がられていたんだろうなぁ、、と思っていた矢先の友人からの言葉にものすごく勇気をもらいました。そういう被害妄想もよくなかったな、と気が付きました(だって、「いいね!」なんて言える内容の話じゃないしね)。

そして、自分には何のしがらみもなくて、一緒に仕事をしている人たちも自由な発言を許してくれていて、自分が何でも言える自由の身だということが稀であることにも気が付きました。そうでない人たちのほうが多いということを知りました。

なので、これからもできることを続けて行きたいと思っています。臨界値というか、何かの問題に関心を持ってもらえるまでに、その話題に触れる回数は人によってきっと違う。その臨界値に達するまでの一滴に自分の行動がなれればいいなぁと思っています。

例えば、私自身もTPPのことに関心を持つまでは時間がかかりました。TPPのことを初めて知ったのは、ずっと前に吉祥寺を散歩していたときのこと。おしゃれな若者向けの洋服店のガラスに、ゴシック体でTPPに反対する理由が書かれた紙が貼られていたのを目にしたのが初の出会いでした。そのときすぐには興味を持たなかったけれど、その紙があったから、TPPに関心を持つまでの時間が縮まりました。その後何度かいろいろな場でTPPについて触れて、気になって図書館で調べていくうちに、そのヤバさがわかってきました。

緑の党すぐろ奈緒さんが演説で、政治が自分につながっていると思ったのは、イラク戦争のときで、自分の税金が異国の地で、罪のない人々の上に爆弾になって降っているということを知り、政治に積極的に関わるようになったというようなことをおっしゃっていました(その後すぐろさんのブログで、もっと前に目覚めがあったことを読みました→「政治は「私」につながっている」)。私が政治が自分につながっているのを知ったのは東日本大震災と東電原発事故でした。何かに気づくまでには個人差があります。最終的には変わるかもしれないし、変わらないかもしれないけれど、わずかな一助になれればと思う気持ちでこれからも動いていきたいと思います。

とはいえ、声を上げはじめた人がこんなにたくさんいるんだということがうれしいです。声を上げる人が増えてきたと感じます。東京新聞政治部参院選2013というページが投票率の低さについての意見を載せたところ、こんな意見が寄せられていました。

“選挙は...「あいつじゃない奴に入れてあいつに緊張を与える」という意味もあります。
黙っていると、声のでかい人のやりたい放題になります”

“僕らはいつのまにか政治を語ることを忌避してきた。
思想的な背景を職場やコミュニティで疑われたくないのか、
あるいは「半径5m以遠」のことを語ることを
「いきがっている」「なんだかウザいヤツ」とみるようになってしまったのか。”

“これからは権力の暴走をしっかり監視し、おかしなことにはしっかり大きな声をあげていかないと取り返しがつかないことになってしまうような気がしてなりません。”

“せっかくFBというツールが有る以上、個人個人がこういう声を上げることが、全体の意識向上につながるんじゃないかと期待しています。”

嘘ばかり言う、あるいは、勉強不足で誰かの言う嘘を鵜呑みにしている声のでかい人たちに本当のことがかき消されているような状態で、このまま社会が無茶苦茶にされてはたまりません。これからも小さいですけれど、声を上げていこうと思います。権力の暴走を止めようとしてくれている方、いっぱいいます。そっちの綱引きに私もちょっとだけど加勢したいと思います。