20130727

参院選の記憶―その3

今回の選挙で新しく知ったことは、日本の選挙制度の問題点。

海外の目も厳しくて、「放射能を海にも大気にも出して、世界中に迷惑をかけているのに、唯一の原発推進党を選ぶなんて、日本国民は何を考えているの!」という怒りの声を受けると、海外で演説をしてきた活動家の方から聞いたことがあります。私が外国人だったらおんなじこと思うと思う。

でも、世論調査では国民の6~7割が原発反対、中小企業の社長さんの約9割は原発反対、リスクが大きすぎて胸を張って原発推進などと言える人は大企業にだってもういない(ピースオンアース2013のトークステージで聞いたお話)という状況なのに、なぜ国会では原発推進の人たちが大多数を占めているんでしょうか。

投票率の低さも、国民の声が反映されない一因だと前回の選挙で知りました。日本で投票率が低いのはなんでだろう、と思っていました。議論が足りない、マスメディアが伝えない、多くの人が自分のことで精一杯、それから「一票の格差」など制度的な問題も寄与している。ほかにも制度的な問題があったんですね。世界一高い供託金(立候補するときに国に払わないといけないお金)、選挙活動を規制するおかしな公職選挙法。

「一票の格差」というのは知っていました。昨年の衆議院選挙で「一票の格差」を違憲だとする高裁の判決に、うちの選挙区から出た自民党の衆議院議員さんが「一票の格差に問題があるなんて聞いたことがない」と批判したという記事で憤りました。議員さんであれば、せめて自分が選出される方法については見識をもってもらいたいものです。マレーシアでも「一票の格差」が深刻で、投票率は80%を超えているのに、国民の声が政治に反映されない状況が続いています。反映されないならあきらめてしまう気持ちもわかる。

世界一高い供託金のことは、緑の党の演説で初めて知りました。学校では日本の被選挙権は平等ってしか習わなかったけど、日本では比例代表で600万円選挙区で300万円払わないといけないんだそう。比例代表は政党でないと出られない、政党になるには、10人の立候補者がいないといけない、ということは、新規参入者が全国区の比例代表で挑戦しようと思ったら仲間を10人集めた上に、6000万円必要なのです。そんなお金、ぽんっと出せる人、いますか? だから、大企業の声ばかりが反映されて、それをあたかも「国民の声」と言っているような議会ができあがってしまう。実質、被選挙権を制限していると言えると思います。このことがやっと私たちの目に明るみになったのが、今回の選挙だと思いました。

選挙が終わってから選挙制度のことをもっと知りたくて、岩波書店の月刊誌「世界」の7月号の対談「政治を変えるために選挙を変える」(宇都宮健児さん✕想田和弘さん)を読んでみたところ、いろいろなことがわかりました。フランスでは供託金が2万円でも「高い!」と市民が怒って、1995年に0円になったそう。アメリカ、ドイツ、イタリアも供託金は0円高いところでも10万円ほど。日本は選挙区300万円、比例600万円て・・・桁が違います・・・。供託金のルーツは、1925年に遡り、その目的は、労働者や貧しい人の声を代表する政党の国政進出を阻むため、とあります。これって変えられないのかなぁ。

それから、批判の多い「選挙カーは名前の連呼だけ」、私も「そんなんじゃ選べないよ!」と批判の気持ちを持っていましたが、今の法律では、それしかできないのだということがわかりました。公職選挙法第140条2と第141条3で、ざっくり言うと、選挙期間中、走行中に政策とか具体的な話はしちゃだめだけど、まぁ仕方ないから名前の連呼はしてもいいよ、ってことになっているのです↓。

(連呼行為の禁止)
第百四十条の二  何人も、選挙運動のため、連呼行為をすることができない。ただし、演説会場及び街頭演説(演説を含む。)の場所においてする場合並びに午前八時から午後八時までの間に限り、次条の規定により選挙運動のために使用される自動車又は船舶の上においてする場合は、この限りでない

(車上の選挙運動の禁止)
第百四十一条の三  
何人も、第百四十一条の規定により選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。ただし、停止した自動車の上において選挙運動のための演説をすること及び第百四十条の二第一項ただし書の規定により自動車の上において選挙運動のための連呼行為をすることは、この限りでない

戸別訪問も禁止されていて直接話がきけないし、テレビでの討論会もごくわずか。政見放送をやっているのも今回の選挙で初めて知りました(見れる時間にやってないし!)。市民から出た新参者の緑の党はほとんどのマスメディアで無視か「諸派」扱い、政策を一覧にした表などでも名前すら出してもらえませんでした。記者さんたちも膨大な情報を扱っていて、緑の党という新しい動きは聞いたことすらなかったのかもしれないし、知っていても上司に載せさせてくれとさえ言えない雰囲気なのかもしれないし、あんまり責めてばかりもいられないですが、使命を忘れずに、平等な報道は意識してもらいたいなぁと思います。東京新聞はきちんと書いてくれていましたし、ほかのところにできない理由はあるんでしょうか。

それでも、そんな逆風の中で、無所属の山本太郎さんが約65万票、市民発・緑の党推薦の三宅洋平さんが約17万票、緑の党が初挑戦ながら全部で約45万票を、ボランティアの協力とカンパだけで活動して、獲得したというのは本当に偉業だと思います。山本さんも三宅さんも人間性が本当にすぐれた人たちです。山本さんは、2012年の衆議院選挙のとき、「ほかにも当選しやすい選択肢はある」とアドバイスをもらいながらも、原発推進のなかで一番強い人とぶつかってみたいんだと言って、一番厳しい選挙区で立ち上がったと聞きました。男の中の男だと思います。三宅さんも「神奈川から立候補したら勝算が上がるよ」とアドバイスをもらいながらも、自分が当選するよりももっと大事なことがある、全国の人たちに一人ひとりが政治を作っていくんだ、政治をマツリゴトにするんだということを伝えたい、と一番お金はかかるけれどもそれでも全国比例区で挑戦したのだそうです。

*山本太郎さんの演説アーカイブ:http://taro-yamamoto.jp/tarotube/
*三宅洋平さんの勝手連から名言集:http://ym.aso3.jp/word/

市民もすごい。こんな不利な状況のなかで、これだけの票を獲得したのですから。2人の人間性の素晴らしさを見抜く人がこれだけいるというのにも日本人捨てたもんじゃないな、と思います。自民党が多くの議席を取る結果にはなりましたが、本物を求める気持ちが増してきていると思います。共産党が躍進したのも、本気で脱原発、TPP阻止、増税反対をしているところを求めた結果だと思います。これは大きな希望だと感じます。

あれしてくれない、これしてくれないじゃなくて、もう自分一人ひとりが行動していく時代に入っていると思う。市民が動きまくれば、発信しまくれば、今はマスメディアが伝え(られ?)ないことも、市民が言っていてソースもはっきりしているし、書かないわけにはいかない、という雰囲気になってくるでしょうし、無批判だったりおかしな報道があっても市民の指摘によってだまされる人が減らせるでしょう、きっと。

最後に、戦時中を生きた脚本家・映画監督の伊丹万作さんの言葉を引用します。

だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになっててしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
(「戦争責任者の問題『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月