20130729

参院選の記憶―その4

投票率アップは大切なことなんだけど、
「投票に行かない奴は無責任だ!」という批判とか、
「投票に行ってください!」の連発
みたいなのはなんだかなーと思っていました。

だって、行かないからって責められたら
ますます意固地になりたくなる。

投票に行かないと組織票を超えられなくて、
変化を起こせないことはあまり知られていないと思います。
私は昨年知りましたが、どのくらい知られているのでしょうか?

選挙が近づくと、新聞やテレビでは、
どこが「勝つ」かの予想ばかり。
「自民圧勝の勢い」、そればっかりじゃあきらめたくもなる。

予想も大事だけど、有権者は判断できる材料が欲しい。
自民圧勝したらどうなるかの予想も合わせてやってほしいし、
他政党がどういう政策を掲げているのか、
それは社会にどんな影響を与えるのか、
さまざまな視点からの考察とともに伝えてほしい。
どのくらいの人が投票に行くことを
想定しての予想だったのかも合わせて伝えてほしい。
圧勝したらどんな世の中になるかを知って、
それに危機感を持った人たちが、
あとどのくらいの人が投票にいけば、
この予想が覆せるのか、把握できるようになると思います。

あと、言葉がおもしろくありません。
なるべく使わないようにしようと思いました。
「出馬」?―馬じゃない。人です。賭け事みたいで本気になれません。
「選挙戦」?「圧勝」?「惨敗」?
―戦いじゃないよね。候補者と市民がよく話し合って、
お互いを知り合い、代表を決めることではありませんか。

そして、うやむやな言葉で考える力を奪っていると思います。
「ねじれ解消」?―「ねじれ」てて何が悪いの?解消して何がいいの?
「ねじれ」って正常じゃないみたい。むしろ、
「ねじれ」てるからこそ、二院制のチェック機能が働くんだよね?
与党側に都合のいい表現をなんで全部のメディアが使っているの?

「保守」?―いったい何を保ち、守っているんですか?

私は「リベラルだね」とカテゴライズされたことがありますが、
確かに重なる部分はあると思いますけれど、
自分ではちっともそんなふうに思っていません。
命を「守り」たいし、環境を「守り」たい、
古くから育まれてきたエコロジカルな知恵や伝統を「守り」たい。

保守と呼ばれる政党は、いったいどこが保守なんでしょう?
TPPに入って日本の農と食、医療、市場めちゃくちゃに破壊しようとしてるし、
戦争推進してるけど、戦争になったら日本の大地はめちゃくちゃに壊れる、
原発だって環境も人々の生活もむちゃくちゃに破壊する。
いらないダム作って、キレイな水源も生態系も破壊しまくってる。
それで何が「保守」なんだ?考える力、奪われてないでしょうか?

「リベラル」と「保守」、十把一絡げにして断絶を生む表現です。
似た考えの多い人をひとまとめにするのは表現上便利だとは思いますが、
一人ひとりの意見を蔑ろにしてしまうのは、
良い方向に向かっていく障壁になると思います。
保守の地域と呼ばれる地域もありますが、
一人ひとり考えていることはきっと違うでしょう。
いわゆる「リベラル」的な考えを持っている人もきっといると思います。
うやむやな二項対立的な言葉で話し合いの機会も奪われていませんか?
保守と呼ばれる人たちにも、何が守りたいのですか、ってきいたら、
きっと守りたいものはいっしょだってこと、あると思います。
それを具体的に実現してくれそうな政党はどこか、
って話をみんなでできたらいいのにな。

政治の話をもっとバンバンしたいし、意見をきかせてほしいです。
政治は、自分の暮らし、自分のこれから、子どもたちの将来に関わること。
イギリス人の友だちはFBなんかでもバンバン、
ブラックジョークかましながら、日常的な話題みたいに話しています。

日本では、政治は汚いもの、怪しいもの、
危ないものって感じになっていませんか?
渋谷で山本太郎さんの演説のとき、
若い子たちが何人か素通りして行った。
タレントとしていたんだったら、きっと反応したと思うけど、
目にも入っていないふりをしていたように見えました。

三宅洋平さんの話を、私の横で聞いていた若い子たち、
「あれだれだ?」とか話してて、もっと知りたそうだったから、
もらったチラシを「よかったらどうぞ、私もう一枚持っているので」と
差し出したら、固まっちゃって「いや、ダイジョブです」って。
なんか銃でも差し出したような気分でした。

同じく、選挙フェスで気づいたこと。
人が溢れる賑やかな街・渋谷に
死んだ魚みたいな目した人たちがうようよしてた。
つまらなさそうにただただ時間を潰してる。

自分のことだけで精一杯だから、
社会のことになんか関心が持てないんだろうなぁ、と
今までは思っていたけど、
自分のことにも一生懸命になれない人がこんなにいるのか。

ステージで一人の母親が叫ぶ
「私たちはあんたたちを病気にするために、戦地へ送り出すために、
命がけであんたたちを生んだんじゃないんです」。
そんな言葉にも反応しない乾ききった心、冷えきった目。
それがすごく悲しかった。

だけど、だれもがイキイキと生きられるように
社会を良くしたいんだという熱い想いが広がった渋谷でした。
その場にいた何千人という人がその想いを共有していました。
あの熱い思いが、やがて日本中に広がって、
きっと、凍りついた心を溶かすのでしょう。

低い投票率の原因を考えていてわかってきた
さまざまな根本的問題。
新聞やテレビのせいにするのは簡単だけど、
自分でできるとこから変えて行きたいです。
まずは、政治や社会のことが話しにくいこの空気。

そう思ってブログやFBなどで発信を始めましたが、
まだ試行錯誤の中にいます。
なので、嫌な思いを感じさせてしまっているかもしれず、
それについては、申し訳なく思っています。
押し付けに感じる人もいるかもしれません。
関心を持てと押し付けてはいけない、それはその通りだけど、
私はこの問題に関心があります、たいへんなことだから
広く知ってもらえたらうれしい、ということは、
発していきたいと思っています。

内容がすっと入ってこない、聞きたくない、
という人もいると思うのです。
スルーしてもらっていいし、
非表示にしてもらってもいいんです。

私なんかが言って何になるのか、
結果が出せていない、って批判もあるかもしれません。
確かにそうです。私もそう思って無力感を感じることがあります。

私がやっていることはほんのちっぽけなことです。
でも、何もしないよりはいいと思っています。
フェアで持続可能な社会を作りたい、
先人たちの努力を含め、
そういう思いを共有する人々が引っ張っている綱引きに
ほんの少しでも加勢したいと思ってやっています。
それに、内容を読んでもらえなくても、
私みたいな専門家でもなんでもないただの人が
高くアンテナを張っているというだけでも
メッセージになるんじゃないかと思っています。

それから、発信していきたいとは言っても、
縦と横と言ったらよいか、
歴史的な背景と世界的な流れについて、
まだまだ見識が足りないと自覚しています。
それを補ってくれる月刊誌を町の図書館で見つけたので、
これから読んでいきたいと思います。
(岩波書店の「世界」という本です)