20131023

お肉を食べなくなったのは

お肉を食べなくなって2年くらい経つでしょうか。なんで食べなくなったのか、自分でも記憶が薄れてきたので、書いておこうと思います。

人が何かを決めるとき、理由は一つではないと思います。私が肉を食べなくなったのも、いろいろと知って考えたのと、自分の身体で試してみた結果です。牛乳や乳製品、卵は、動物がひどいめにあわされていないものであれば少量をありがたくいただいています。

どういう順番だったかはもう忘れかけているので、理由だけ列挙して、詳しくはその後で説明したいと思います。

・ 動物が生きている間もかわいそうな状態に置かれていることがほとんど
・ 貧困に苦しむ人々の穀物を奪うことになる
・ 水の浪費につながる
・ 家畜が遺伝子組み換え飼料を食べさせられている可能性が否定できない
・ 薬をバシバシ打たれてかわいそう
・ 肉が体質に合っていなかった
・ 自分が殺せない動物を食べることに対する違和感

たぶん、順番は、上3つを仕事で知って「えー!!」とショックを受けて、「でも肉を食べなかったら体力が落ちるのでは」と思っていたところ、中2つを知って、食べないで見たら調子がよくて、その後読んだ本で、今のような肉が多すぎる食事が健康にも悪いことを知ったという感じだと思います。

ここからは一つずつ、詳しく書きたいと思います。

・ 動物が生きている間もかわいそうな状態に置かれていることがほとんど
 暗くて狭い場所にぎゅうぎゅうに押し込められて暮らしていることがほとんどです。畜産農家の方々もそうせざるを得ない経済状況があるのかもしれません。でもだからと言って、そういう肉を買い続けたら、根本的な解決にはならないと思いました。
 例えば山地酪農のような、動物たちが生きている間は伸び伸びと自然の中で快適に暮らしている健康な飼育方法でも採算が取れるような、オルタナティブな選択肢が広がるべきだと思います。動物が幸せに暮らせる方法で飼育している方も少数ですがいらっしゃいます。
 最近ではこんなショッキングな現状に抗議するキャンペーンもありました。日本の豚の8割がこういう状態だそうです。私も微力ながら署名しました。
妊娠豚用檻(ストール)を廃止してください(Change.org)
☆詳細なレポート→妊娠ブタ用檻(ストール) 廃止活動

・ 貧困に苦しむ人々の穀物を奪うことになる
 牛や豚は本当は草食動物なので、草をはむものですが、霜降りだとか、高脂肪の肉のほうが高く売れるので、脂肪分を高められるように穀物を食べさせています。貧困に苦しむ人々から穀物を奪って、家畜に食べさせて、それを経済的に豊かな国に住む自分たちが食べる、というのに矛盾を感じました。 牛肉1kgを生産するのに必要な穀物は11kg(霜降りだと15~20kgと聞きました)、鶏肉で4kg、豚で7kgだそうです(DAYSから視る日々より)。

 ただし、これは一般的な飼育方法の場合についてであって、先ほど述べたような動物が幸せに暮らせる飼育方法をとっているところでは、身近で用意した牧草や、自生する野草を食べさせているので、外国から穀物を奪うことにはなりません。以降の水、遺伝子組み換え、薬の問題についても同様です。

・水の浪費につながる
 CSR関連の仕事のなかで、「仮想水」という考え方を知りました。牛を育てるのには飲水や飼料の栽培などに水を必要とします。どれだけの水を使うのか、牛肉の量から換算して、買ったのは牛肉でも水にしたらどれだけ使ったのかを考えてみるのが「仮想水」です。牛肉は100gあたり1500リットルの水を必要とします。水不足で苦しんでいる国から、水を奪って肉というかたちで食べている、これにも罪悪感を感じました。(仮想水について→http://eco.goo.ne.jp/life/futsugou/03.html

・ 遺伝子組み換え飼料を食べている可能性が否定できない
 国内においても家畜の飼料は、外国産のトウモロコシなどがほとんどで、日本が輸入しているトウモロコシの約9割がアメリカ産、アメリカのトウモロコシの作付面積のうち、約8割が遺伝子組み換えだそうです(『世界が食べられなくなる日』より)。私は遺伝子組み換えは危険性が否定できないと思っていますし、倫理的に許せない気持ちもあるので、動物に食べさせることも許せないですし、それに対して、お金を払う=支持することはできません。

・ 薬をバシバシ打たれてかわいそう
 狭いところに閉じ込められて運動不足、本当は草が好きなのに、穀物ばかり食べさせられる、ストレスがたまる、そんな状況では動物だって病気にもなります。病気になったら面倒だから、バシバシ抗生剤を打つのだと聞きました。それを食べた人間の身体にも悪影響がないとは言い切れないとも聞きます。乳牛の場合はホルモン剤の使用もあり、そのホルモン剤は乳がんの原因になるとして、アメリカなどでは反対運動も起こっています。
参考:http://saigaijyouhou.com/blog-entry-206.html

・自分が殺せない動物を食べることに対する違和感
 食肉処理場を見てきた方から、カットの仕方にしろ、血の抜き方にしろ、命を扱っているという感じではとてもなかった、と聞いて、最後までそんなひどい目にあわされるなんてと思いました。それをきっかけに、自分が殺せない動物を、他人にお金を払って殺してもらい、肉というかたちにしてもらって、食べるという行為は、自分で殺すよりも悪いことをしていると思うようになりました。トルストイが「親子丼が一番残酷な食べ物だ」と言っていたという話を聞いたのも同じ頃で、親子もろとも殺して食べるということだもんなぁ、、、と考えさせられました。

・肉が体質に合っていなかった
 胃が常に痛くて、きっとそういう胃の弱い体質なんだと思ってきたのですが、職場で隣の席の優しくて元気な女性が、昔から肉を食べていないとおっしゃっていて、「肉を食べなくてもこんなに元気でいられるなら大丈夫なのかも。私も肉を食べないでみようかな」と思い、肉を食べないでみたら、胃の傷みや不快感が全くなくなりました。

 気のせいかもしれないと思って、また肉を食べてみるとまた胃が痛くなり、体調を戻すのに1週間くらいかかることもしばしばでした。それで、すっかり肉を食べなくなって、それ以来、胃の痛みは全くなくなって、快適になりました。

 昔は食べてもなんともなかったのに、と親にも言われますが、具合が悪いのが標準だったので気が付かなかっただけで、今は快適なのが標準になったので、よくわかるようになりました。たまにアクシデントで食べてしまったりするとやっぱり調子が悪くなります。健康に育った鶏や野生のシカやイノシシなどを食べてみて、少しだったら大丈夫なこともありましたが、やっぱり心配なので控えています。

 日本人は古来から穀物中心の一汁一菜の食事をしてきて、肉食がこんなに多くなったのは最近のことなので、日本人に肉は合っていないという話もよく言われます。歯の数から考えても、穀物をすりつぶす臼歯と、野菜を噛み切る門歯、肉や魚を噛みちぎる犬歯の割合が5:2:1で、穀物:野菜:肉魚=5:2:1の割合が先祖代々の食事だったという話を、本(「減速して生きる―ダウンシフターズ」→改訂版「減速して自由に生きる: ダウンシフターズ (ちくま文庫)」)で読んだときは、まさに目からウロコという感じでした。食養の考え方でも肉は血液を酸性にすると聞きました。『野草の力をいただいて 若杉ばあちゃん食養のおしえ』も勉強になりました。

 自分の身体が極めて日本人的な体質だから肉が合っていなかったのだと思います。こういう日本古来の食事は健康にも良いと世界的に評価されていますから、肉を食べなくていいよ、と教えてくれた自分の身体に感謝したいです。


肉を食べる人のことはなんとも思っていません。気の毒に思ってくださる方もいますが、食べないという選択を自分でしているだけなので、お好きな方には気にせずに食べてもらえればと思います(うちに食べにきてもらってもお肉は出せませんが)。私は食べないという選択をしている、ただそれだけです。肉を食べないほうが、健康にも良くて、環境にも負担が少なくて、飢餓の悪化に加担しなくて済んで、動物たちも苦しめないで済むとわかったら、そっちのほうが合理的だからそうしています。実際、肉を食べなくなって身体が軽いです。穀物を中心に自然栽培の玄米と野菜を食べているおかげでもあります。

大量消費・大量生産の世の中で、効率だけを追求されて、動物がひどい目に合わされていて、それを買うということが、間接的にその行為を肯定し、継続させることになると思うので、私はしたくないだけです。今までは知らなかったから食べていただけですが、知ることができて良かったと思っています。でもできれば、現状を知った上で食べる・食べないを決める人がもっと増えてくれたらいいな、と思っています。そうしたら、さっき上げた妊娠豚用檻廃止を求めるキャンペーンなどのように、もっと健康で環境にも負荷の少ない飼育方法を広げるための動きにつながると思います。

大事に家族同様に育てられた鶏さんや牛さんや豚さんをありがたくいただくという昔ながらの肉食ならいいと思います。そういう農家さんも知っていて、肉を食べていたころは、そういう農家さんだとわかっている場合のみ買っていました。それだともちろん、値段は高くなります。命をいただくのだから、それだけ高くて当然、今の一般的な値段が命の冒涜なくらい安いのだと思いますし、特別なときに少しだけ食べるのが健康にも良いのだと考えています。