20171219

同性婚合法化をめぐるオーストラリアの国民投票の記事を読んで

先月、同性婚の合法化を支持するかどうかの国民投票の結果についてのニュースを読んだ。オーストラリアでは投票した人のうちの61%が同性婚の合法化に賛成、38%が反対という結果になったそうだ(投票率は79.5%)。

オーストラリア国民投票、同性婚の合法化を支持 CNN 2017.11.15
https://www.cnn.co.jp/world/35110416.html

賛成が多数派を占めたので、合法化に向けて政府が動き出すということで安堵する反面、「4割近くも反対なの?」と残念にも思った。誰を好きになるかなんて人の勝手だし、お互いに幸せだったらそれで問題ないのに、「結婚していいですよ」なんて全くの他人に許可をもらう必要があるんだろうか。

同性愛について私は変だとも異常だとも思わないと言うと、驚かれることのほうが多い気がする。子孫を残せない相手に恋愛感情を持つのは生物学的な欠陥だとか言う人もいるけど、人間の愛はもっと精神的なものであって子孫を残すためだけのものではないと思う。子孫を残すためだけにつがいを探す虫や動物は、用が済んだらさっさと離れる種もいる。最近、自転車で出かけるときにカマキリが交尾をしているのが目に入ったが、帰ってきたら同じ場所でオスがメスに食べられていた。人間は子孫を残す必要がなくなった後でも一緒に生きていくし、子孫を残すことを望んでいなくても一緒に連れそうこともある。人間の恋愛感情は交尾だけが目的ではないと思う。

誰かに惹かれる気持ちは言葉で簡単に説明できるものではない。私は、ずっと一緒に生きてきた連れ合いがたまたま異性だったから、世間から変な目で見られることはなかったけど、もし相方が同性だったとしても惹かれ合っていたのではないかと思う。もし相方が同性だったとしたら、同性だという理由だけで一緒に生きていくことができない、あるいは、一緒に生きていくのが不可能ではないとしても困難だとしたらどんなに悲しいだろうと思う。同性愛がだめだという人には、もし自分の大切なパートナーが同性だったとしたら、という想像力がもう少しあってほしいと思ってしまう。

生まれてからずっと、「異性愛がノーマル」という空気の中で育ったから、異性にしか恋愛感情を持たなかったのではないか、と思うこともある。「基本的に人類は本来は両性愛であるはずだと思う」とオノ・ヨーコさんとジョン・レノンさんがかつて語り合ったという記事を読んだときには深く共感を覚えた。両性愛が変だと社会に思い込まされているから、「社会に受け入れられない本当の自分を隠して生きているだけ」なのではないかという。魂が惹かれる相手になる可能性があるのは同性でも異性でも(それ以外でも)いずれにもいて、それが最終的に異性になるか同性になるかによって、2人で創造していくものが変わってくるだけのことではないかと思っている(異性なら新しい人間を創造することもでき、その人間を産み育てることにエネルギーのほとんどが使われることが多い)。異性愛か同性愛かにかかわらず、性的な刺激を満たすだけの軽薄な関係には嫌悪感を感じるので、心を見ずに肉体だけを見てどっちに惹かれるかとかいう話については論外とするが、心が強く惹かれ合う相手と肉体的に接触やつながりを持つことは、愛情表現の一種であり、異常なことではないと思う。

異性愛でない人のことを怖がるのは、想像力が足りないせいではないかと思う。知らないせいだとも思うけど、直接の知り合いに同性愛者の人がいない場合でも、少し想像力を働かせれば、怖がる必要はないことがすぐにわかる。男性の同性愛の人が、異性愛の男性のそばにいると、「近くに来るな、ホモだと思われるだろ」と言われたりするようだ。「あんたなんか対象外。目にも入りません」って言ってやればいいと思うけど、傷つく人は優しすぎてそんなことは思いもしないのかもしれない。異性愛の男性が、女性にならだれでも恋愛感情を持って近づくかと言えばそうではない。強く惹かれる何かがあれば近づいて、もう少し話をして深く知り合って、お互いに惹かれ合えば交際も始まるかもしれない。ある男性が、恋愛対象が女性だからと言って性別が女性ならだれでもいいというわけでなないのと同様に、恋愛対象が男性だからと言って男性なら誰にでも猛アタックするというわけではない。そういう人もたまにはいるかもしれないけど、それは異性愛だって同じだ。同性愛と異性愛で違うのは、惹かれる対象が生物学的に異性であるかそれ以外か、ただそれだけだ。異性愛は素晴らしくて同性愛は忌み嫌うべきものというのはおかしい。純粋な愛の価値に違いはない。

性的マイノリティの権利の問題は、宗教的な価値観とも密接に関係しているようだ。相方に、「4割近くも反対って変じゃない? 迷惑かけなかったら別に異性を好きになろうが、同性を好きになろうが、とやかく言われる問題じゃないよね?」と言ったら、「キリスト教は同性愛あかんってとこが多いからなぁ」という返事。

じゃあ、なんでキリスト教は同性愛をだめって言っているんだろう?と思って調べていたら、男性の同性愛者でキリスト教の牧師さんにインタビューをした記事があった。この牧師さんによると、「イエス・キリストは同性愛について何も言っていない」らしい。
 イエス・キリストは同性愛に関して何も言っていないんです
 旧約聖書のレビ記に「女と寝るように男と寝てはならない」と記されてあります。これは当時の異教の世界で神殿にお参りした際に、少年の男娼と性交するという迷信的な慣習があったのです。少年が射精することが豊作(実り)の象徴となっていました。その迷信に対して、ユダヤ教側からの批判だったのです。
 ですから、そんな迷信に囚われなくても、神はあなたたちのことを必ず守り、導いてくださる、ということを言っているのです。ただ、十字軍の時代になって、イスラム教徒とキリスト教徒とが戦い始め、兵隊がたくさん必要になったことで、どちらの勢力も多産をすすめ、勢力拡大を強いられました。生産性のないパートナーシップは聖書において否定されているという、文脈を無視した解釈が行われるようになりました。これが今に至るまで一部の教会では信じ続けられているのです
キリスト教なのにゲイってOKなの?ゲイの牧師さんに聞いてみた(2016.03.04)
http://life.letibee.com/christian-gay/
キリストは異性愛以外はダメだなんて一言も言っていないのに、教会の権力者たちが勝手に解釈したものを刷り込んでいるということなのだろう。しかも戦争のために多産をさせようとして教えを利用するなんて、キリストは悲しんでいたのではないだろうか…。そうして生まれた命が殺し合いをさせられるという…。自分のアタマでまともに考えるとおかしいものをおかしいと思わせないのが宗教の力なのかもしれない。

それでも世界は進歩していて、同性婚を認める国も増えてきている。国が個人にこう生きろと強要するのは人権侵害でしかなくて、個人がそれぞれ自分らしく心地よく生きていける世の中の仕組みをサポートするのが国の役目だと思う。同性愛を否定する教義が一般的に信じられている宗教の信者の中にも、同性婚を支持する人は増えてきているようだ。自分がよいと考えているものと、他者がよいと考えているものとが異なる場合もあるということを受け入れて、尊重し合える人が増えていることの表れではないだろうか。

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