20160906

ナショナリズムの台頭と市民派の躍進(いわゆる二極化)について考えたこと

日本で、いわゆる「右傾化」(右翼と左翼という日本語はあいまいなのでなるべく使用を避けています)が危惧されるようになって10年ほどになるでしょうか。

最近では、ますますナショナリズムが過激になってきていて、政治の中枢にいるのも超が付くほどのナショナリスト(なのに対米追従)ばかり。日本の政治の状況は、ドナルド・トランプ氏(共和党の大統領候補で極右とみなされている)が大統領になって3回も選挙で勝たせてしまっているような状況と、映画監督の想田和弘さんが例えられていました(↓)が、確かにそうだと思います。
ヘイトスピーチも社会問題になっていますし、ネット上では「ネトウヨ」と呼ばれる人々が幅を利かせ、ナショナリズムや全体主義を煽るような雑誌や書籍が書店にもたくさん並び、嫌でもナショナリズムの台頭を感じざるを得ません。

一方で、オルタナティブな価値観を追求する人たちも増えてきています。自然栽培に取り組む人や、ダウンシフターを目指す人、自然と共に生きる暮らしを模索する人、シェアする暮らしを広げる人、そういう人たちも増えています。

よく、二極化などと言われているようですが、世界を見渡してみると、似たような状況が見られます。

イギリスでは国民投票でEU離脱が選択されましたが、その一方で、昨年末にバリバリの庶民の味方ジェレミー・コービン氏が労働党の党首に選ばれているし、首都ロンドンでは初めてイスラム教徒の市長サディク・カーン氏(労働党でprogressive)が選ばれています。

アメリカでも前述のドナルド・トランプ氏を熱狂的に応援する人もいるようですが、真に国民一人ひとりのことを考えた政策を進め、「社会民主主義者」を自称するほどprogressiveな市民派のバーニー・サンダース氏も民主党の代表選びでいいところまで行きました。カナダではリベラル派のジャスティン・トルドー氏が首相に選ばれているし、スペインでもポデモス(「俺たちはできる」という意味)という市民派の政党が第三勢力にまで成長しています。

経済学者でも、今までは弱者を保護するような経済学者ってあまり有名でなかったと思うんだけど、経済的不平等に警鐘を鳴らしたトマ・ピケティ氏が一躍有名人になっていたりもしますね。

世界中で、とりわけ、工業先進国において、ナショナリズムが急に成長している一方、オルタナティブな価値観も勢力を伸ばしている。なぜ、こういう流れが見られるのでしょう? その原因は何なのでしょうか?

まだ仮説でしかありませんが、今ある知識を合わせて考えると、こういうことなのかな、と思いました。

1%の超富裕層が「今だけ・カネだけ・自分だけ」よければそれでいいと、富の独り占めをして(*)、労働の搾取を続けてきた(というか悪化させてきた)結果、生きるのがたいへんな人が多くなっています。

貧困問題に取り組む国際協力団体オックスファムの格差に関する報告書「最も豊かな1%のための経済」によると、世界の最富裕層1%が所有する富は2016年、残りの99%の富を上回ったそうです。
世界の上位1%が残り99%より多くの富を所有することが明らかになりました。オックスファムの発表した最新の報告書では、世界で最も裕福な62人が世界の貧しい半分の36億人の総資産に匹敵する資産を所有するに至ったことを指摘しています。この62人という数字がわずか5年前には388人、2年前には85人だったということが事態の深刻さを示しています。
生きるのが大変な人たちの中には、「自分に能力がないからだ」「自分の努力が足りないせいだ」「この程度のお金しか手にすることのできない自分は価値が低い」などと思い込まされている、もしくは、思うようになってしまった人たちもいる。そういう人たちが、自分の存在意義を何かに見出したくて、生まれという不動の条件にすがりつく。「◯◯人」であるということにプライドを持つことで、どうにか自尊心を保とうとする。

生きるのが大変な人たちは、いらだちやストレスも多いと思います。雇用主に嫌なことを言われても、生活費を得るためにガマンしないといけないかもしれない。夜中に働かされたり、寝ずに働かされたり、まともな勤務時間ではないかもしれない。低賃金で長時間労働をさせられているかもしれない。食事もままならないかもしれない。身体の調子がわるいとイライラは募りやすいものです。生活への不満も大きいでしょう。

そういういらだちやストレスのはけ口を常に求めているのではないでしょうか。その矛先が、自分よりも弱い立場にいる人、マイノリティや障がい者、女性や子ども、お年寄りなどに向かってしまう。人種差別に向けられてしまう。

自分がこんなに大変なのは、得しているヤツらがいるからだ、と誤った推論をして、憲法で保障されている当然の権利を受けているだけの人に対して、怒りの矛先を向ける(在日特権[そんなものはそもそも存在しない]とか、生活保護バッシングなんかもそうです)。

自分がバカにしたい人たちを対象にして、権力者がいじめっこの親玉のような発言をすると、快感を覚えるのでしょうか。「閣下は自分の代わりにヤツらをぶちのめしてくれる」みたいに思って、熱狂的に応援するようになるのかもしれません。

他方、生きるのが大変なら、「大変じゃない方法はなんだろう?」と考えて、システムに依存しない暮らしを始めたり、奪い合う競争社会からシェアしあう共創社会へのシフトを模索したり、自給自足的な暮らしに移ったりという人たちもいます。お金をかけなくても豊かに暮らす知恵を身につけたおもしろい人たちが世界中で増えています。

生きるのが大変ではないけれど、生きるのが大変な人たちの存在を知って、心を痛め、どうしたらこの人たちが楽に暮らせるようになるだろうか?と、行動をしている人たちもいます。その代表がバーニー・サンダースさんや、宇都宮健児さん、山本太郎さん、広河隆一さんなどだと思います。

私は、いろいろあってフリーで生きることにしたのですが、なかなか生きていくのが大変で、大変じゃない方法を模索した結果、自然とともにある暮らしにたどり着きました。自然とともにある暮らしについて、いろいろと知っていくうちに、世界中の環境破壊の問題に行きつき、そこから人権侵害の問題、資源をめぐる戦争などにもぶち当たりました。ほかにも、さまざまな問題にぶち当たり、東電と政府が引き起こした原発事故で東京から逃げてきた結果、「日本はなぜ、原発と基地を止められないのか?」という問題にもぶち当たり、さまざまな問題が、根底では一つにつながっていると実感するようになりました。

自分一人がシステムに依存しないナチュラルライフスタイルで、自由気ままな暮らしを手に入れられたとしても、政治に無関係でいられるわけはなく、それはつかの間に終わってしまうかもしれないとも思うようになりました。税金が上がり続けているし、憲法が改悪されれば、住むところを追われたり、不当に拘束されたり(秘密保護法なんかもあるし)、頭の上に米軍のオスプレイが落ちてきてもなんの補償もしてもらえないかもしれないし(このあたりは「日本はなぜ、原発と基地を止められないのか?」が詳しい)、原発がまた爆発したり、戦争になったり、戦争に友だちが行かされたり、そういう危険があるかもしれません。

だから、政治のことを真剣に考えて取り組んでいかないといけない…というよりも、政治のことを真剣に考えて取り組んでいけば、日本に楽園をつくることができるのだと、そっちのほうが、何にもしないで逃げ惑うよりも断然いいし、おもしろいと、思うようになりました。まずは日本に楽園をつくって、世界に楽園を広げたいです。

ナショナリズムに傾いて同胞を敵視している人たちにも、本当の敵は、富を独り占めしつづけようとしている人たちだと、金で政治を操っている人たちと金に魂を売り渡した政治家だと、気がついてもらうのは難しいんでしょうか。実際、敵扱いしている人たちが、庶民の暮らしを良くしようと、格差を是正しようと努力していて、親玉だと思って応援している政治家たちが、庶民の首を締めるような、ないところから税金を絞りとるような、庶民に文字通り血を流させるような政策を推し進めているのに、そういう人たちを応援しても、自爆行為だと思うのですが。

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