20160824

原爆投下の真実―オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史〈1〉を読んで

映画監督のオリバー・ストーンさんとアメリカン大学歴史学部准教授のピーター・カズニックさんの本『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史〈1〉―2つの世界大戦と原爆投下』(全3巻)を読みました。


この本は、アメリカの暗部にしっかりと目を向けたものであり、アメリカの美しい物語は巷にあふれているので、この本では取り上げないとしています。

原爆の投下は、日本の降伏を早めるためにやむを得なかったと、アメリカでは教えられていて、この本によれば、アメリカ人の85%がそう考えているそうです。以前、アメリカに核実験に関する博物館が開館したというニュースを訳したときにも、関係者の女性のコメントは、原子爆弾によって、戦争の終結を早め、戦争が長引いていれば失われる可能性のあった何百万人もの人々の命が救われた、というような信じがたい内容でした。

世界の原爆投下に対する認識はこちらの記事が興味深かったです。
上記の記事によると、アメリカの公式見解は、「原爆は軍事基地を標的に投下された。つまり、市民の犠牲は限りなく避けられた。原爆による死者数は7万人である」というものだそうです。事実とは全く異なっていますが、ほとんどのアメリカ人はそう習っているのだそうです(日本も、政府に都合の悪いことは隠されるので、他の出来事について、同じような誤った認識はあるのかもしれません)。

日本の場合は隠蔽体質ですが、アメリカの場合は公文書を公開するので、誰にでも真実が開かれていて、歴史から学ぶことができる状況があるということもあり、このまやかしに根拠に基づいて異を唱えるアメリカ人は数多くいます。

原爆投下の真実については、この本の4章で詳しく書かれています。

日本を早期に降伏させるのが目的であれば、原爆を投下せずとも、ほかにも方法はあったと、アメリカ政府は認識していたのだそうです。
サイパン島でアメリカが勝利を収めた少なくとも前年の八月から、日本は終戦工作を秘密裏に模索しはじめていた。〈中略〉リチャード・フランクは原爆投下を擁護する最も権威ある著書『没落』を書いた人物だが、その彼ですら「原爆投下がなかったにしても、鉄道網の寸断と封鎖・空爆戦略の累積効果が相俟って(あいまって)、国内秩序は深刻な脅威にさらされたであろうし、その結果として天皇は戦争終結の宣言に追い込まれただろう」と述べている。(p. 310)
すでに日本は負けに負けていて、終戦の道を模索していたことをアメリカは把握していたというのです。アメリカとイギリスが「無条件降伏」という言葉を使ってしまったために、日本は天皇が処刑される可能性があると考え、応じることができなかった。当時のアメリカ人も、日本人にとって天皇が殺されることは、アメリカ人にとってキリストのはりつけと同じようなことだから、天皇制の存続と、天皇の命を守ることをはっきりと示せば、日本が降伏に応じる可能性は高いという意見が中枢からも上がっていました。
マッカーサー指揮する南西太平洋司令部の調査報告には、「天皇の退位や絞首刑は、日本人全員の大きく激しい反応を呼び起こすであろう。日本人にとって天皇の処刑は、われわれにとってのキリストの十字架刑に匹敵する。そうなれば、全員がアリのように死ぬまで戦うであろう」とある。これを知った人の多くは降伏条件を緩和するようトルーマン大統領に求めた。(p. 311)
日本は、天皇制の存続が確保されていれば、早期に降伏する可能性が極めて高かったにもかかわらず、当時の大統領ハリー・トルーマン氏の側近だったジェームズ・バーンズ氏は(トルーマンが議員時代からの相談相手だった)、降伏条件の妥協をアメリカ国民は許さず、妥協すればトルーマン大統領の政治生命が危なくなると主張し、トルーマン大統領はそれを聞き入れてしまいます。

しかし、ワシントン・ポスト紙は社説で、「これは日本人を憎むとか憎まないとかいうレベルの話ではない。むろん私は憎んでいる。しかし、二年先に同じ条件で戦争が終結するのだとしたら、このまま続けてなんの益があるというのか」と書いていて、「無条件降伏」という言葉は日本国民の心に恐怖を植え付けており、戦争終結の障害になりつつあるとして、これが「致命的な文言」であると糾弾した(p. 314)、とあることからも、アメリカ国民がこれを承知しないということはなかったのではないかと思います。

天皇制の存続を約束する以外にも、日本を早期に降伏させる方法はありました。日本はソ連の参戦をなによりも恐れていたそうです。ソ連は、1945年2月にアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相とヤルタで行なったヤルタ会談で、ドイツとの戦いが終わってから3ヶ月後に日本との戦いに参戦するという約束になっていました(p. 260)。

日本の政治の中枢にいた人々は、共産革命によって天皇と天皇の周辺の人々の命と地位が危うくなることを最も恐れていました。アメリカとだけでもぼろぼろに負けているのに、ソ連に参戦されたら、日本は壊滅するだろうと(日本の最高戦争指導会議「帝国は使命を制せらるべき」と結論[終戦史録])考えていて、ソ連の参戦はなんとしてでも避けたかったのです。何も原爆を落とさなくても、ソ連が参戦するだけで、日本が降伏する可能性は十分にありました。

なぜ、今にも降伏しそうな日本に、原爆を2つも落としたのか?という疑問が湧いてきました。

原爆投下を決定したトルーマン大統領という人物は、白人至上主義団体クークラックスクラン(KKK)にお金を払うほどのかなりの人種差別主義者で、日本人のことを忌み嫌っていたようです。当時のアメリカ人もまた、ドイツ人のことは、善良なドイツ人とナチスドイツのような野蛮なことをするドイツ人とを見分けていましたが、もともとあった有色人種に対する差別からも、日本人のことは全部野蛮人だとみなし、ゴキブリや、ネズミや猿(「黄色い猿を殺せ!」という比喩はよく使われたそう)のように忌み嫌っていたのだそうです。

こうした背景から、原爆投下によって日本人を無差別に殺すことなど、当時のアメリカ人にとってはさほど心の痛むことではなかったのかもしれません。

アメリカは、原爆を日本に落とすことによって、第二次世界大戦後の世界における覇権争いで、ソ連を牽制したいという思惑があったようです。

物理学者のレオ・シラード氏は、原爆の使用について注意を促そうとトルーマン大統領との面会を図ったものの、かなわず、代わりに側近のバーンズ氏と会って得た回答に憤慨してつぎのように語っています。
「バーンズ氏の回答は、戦争を終結するためには日本の都市に原爆を使用せざるを得ないというものではなかった。政府の誰もが知っていたように、彼はそのときすでに日本が敗北したも同然であることを承知していた……当時のバーンズ氏の懸念はソ連がヨーロッパで覇権を握ることにあり、彼は原子爆弾の保有・示威行為によってヨーロッパにおけるソ連の影響力を抑えられると主張していた」(p. 335)
原爆投下標的委員会のレズリー・グローヴス少将も、ジョセフ・ロートブラット氏(原爆開発に関わっていたが、唯一離脱した物理学者)に次のように語っていました。
「むろん、この計画(日本への原爆投下)の主たる目的はソ連に対する牽制であるのは承知しているね?」(p. 335)
しかし、原子爆弾の原理は秘密にされているものでもなく、ソ連もすぐにアメリカに追いつくことが予想されていて、アメリカが優位に立てるなどということは考えにくいことでした。当時の学者さんたちも、アメリカが日本に原爆を投下することは、ソ連との核武装競争につながると警告していました。

前述のレオ・シラード氏は、嘆願書にこのように書いています。
われわれが手にしている原子爆弾はまだ世界が破壊に向かう第一歩にすぎず、将来の開発によって人類が手にする破壊力は実質的に限りないものになります。したがって、新たに発見された自然のちからを最初に破壊目的に使用した国家は、想像を絶する規模の破壊という時代の扉を開けた責任を負うことになるでしょう。(p. 336)(全文はこちらでも読めます→レオ・シラードの嘆願書
日本への原爆投下は、戦争の早期終結が目的ではなく、ソ連との覇権争いにおいて、アメリカが優位に立ちたいという権力欲でしかなかったのです。戦争の犠牲者を減らすという目的ではなかった。すごく悲しくて、腹が立って、もし、トルーマンが大統領でなかったら、もっと良識のある人が大統領だったら、あんな苦しみを広島と長崎の人々はしなくてもよかったのに、とものすごく心がかき乱されました。アメリカが心底憎たらしくなりました。でも、これを告発してくれているのも、アメリカ人なのです。レオ・シラード氏など、アメリカにもまともな人は結構いたのです。

当時の軍の指導者たちの意見を紹介して終わります。(☆マークがついている人は、アメリカの五つ星階級章将官。五つ星階級章将官七名中六名が原爆投下は不可欠ではなかったと述べている)

まずはおなじみのダグラス・マッカーサー元帥(☆)。
原爆の使用を「軍事的にはまったく不必要」と考えており、アメリカがまもなく使用する予定と知ると怒り失望した。(原爆投下発表以前に記者会見を開き)日本は「すでに敗北しており」、自分は「次の戦争が一万倍の恐怖を伴うだろう」と考えていると記者たちに漏らした。(p. 346)
ダグラス・マッカーサー元帥は、アメリカが降伏条件を変更したなら戦争は数カ月早く終結しただろうと一貫して主張している。
〈中略〉
フーバー(元大統領)が1945年5月30日にトルーマンに送った、降伏条件の変更を提案する意見書は、「賢明でまことに政治家らしい」ものであり、もしこの意見書が聞き入れられたのであれば、「広島と長崎の虐殺も……アメリカの空爆に寄る大規模な破壊もなかっただろう。日本が躊躇することなく降伏を受け容れたであろうことを私はいささかも疑っていない」(p. 363)
トルーマン大統領付参謀長で、統合参謀本部の議長だったウィリアム・リーヒ提督(☆)。
「日本はすでに敗北しており降伏する用意ができていた……広島と長崎に野蛮な兵器を使用したことは日本に対するわが国の戦争になんら貢献していない。はじめてこの兵器を使用した国家となったことで、われわれの道徳水準は暗黒時代の野蛮人レベルに堕した。私は戦争とはこのようなものではないと教えられてきたし、戦争は女子どもを殺して勝利するものではない」
「トルーマンは、われわれは原爆の使用を決定したが……目標を軍事施設に絞ったと私には言った。むろん、彼はかまわず婦女子を殺しにかかったのであり、はじめからそのつもりだったのだ」。(p. 362)
ヘンリー・アーノルド元帥(☆)。
「原爆投下の如何にかかわらず、日本が壊滅寸前であることはわれわれには以前から明白に思われた」(p. 363)
東京大空襲を指揮した鬼であるカーティス・ルメイ大将。
「原爆もソ連参戦もなくとも、日本は二週間もあれば降伏していただろう」
「原爆は戦争終結とはまったくかかわりがない」(p. 363)
太平洋戦略航空軍の指揮官カール・スパーツ大将。
「ワシントンではじめて原爆使用を検討したとき、私は投下には賛成しなかった。私はある町の住民を殲滅するような破壊を好んだことは一度たりともない」(p. 363)
連合国軍最高司令官のドワイト・アイゼンハワー元帥(☆)。
(日本への原爆投下について)「二つの理由から反対だと答えた。第一に、日本は降伏する用意ができており、あのような恐ろしい兵器を使用する必要はなかった。第二に、私は自国があのような兵器を用いる最初の国になるのを見たくはなかった」(p. 342)
海軍将官の意見も載せておきます。
合衆国艦隊司令長官のアーネスト・キング提督(☆)。戦争当時に補佐に話した言葉。
「私は今回の投下はすべきでないと思う。それは無益だ」「私はとにもかくにも原爆を好まなかった」(p. 363)
太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ提督(☆)が戦後しばらくして会議で発言した言葉。
「実際、広島と長崎の破壊によって核の時代到来が世界に宣言される前に、そしてソ連が参戦する前に、日本はすでに講和を求めていた」(p. 363)
南太平洋方面軍司令官のウィリアム・ハルゼー提督。(原爆投下の翌年に語って)
「最初の原子爆弾は不必要な実験だった……いや、どちらの原爆であれ投下は誤りである……多くの日本人が死んだが、日本はずっと以前からソ連を通じて和平の道を探っていたのだ」(p. 364)
トルーマン大統領の側近バーンズ氏までもが戦争終結に原爆は必要なかったと認めています。
ニューヨーク・タイムズ紙によると、「バーンズは、広島に最初の原爆が投下される前に日本は敗北を覚悟していたことをソ連はつかんでいたと述べている」(p. 364)