20160801

ポケモンGO、いい大人が浮かれている場合だろうか

ことでんの駅に、スマートフォンを片手に歩いてぶつかりそうになっている男女のイラストに「ぐるり見てんまい!」(「まわりを見てみなさい」という意味の讃岐弁)というコピーが添えられたいわゆる「歩きスマホ」をしないように促すポスターが大きく拡大されて掲示されるようになった。近所のイオンでも館内放送で「歩きスマホ」に注意を呼びかけるアナウンスが頻繁に流れるようになった。ポケモンGOというゲームは、それほどまでに「歩きスマホ」を促進するようだ。

イオンのなかの喫茶店でPC作業をしていたら、横に座っていた女性2人が旅行の計画を立てていた。夏休みの海外旅行のようだ。片方が突然スマホを取り出した。何かを調べるのかと思ったら、なんと、ポケモンGOだった。「ポケモンGOなんてやっている人、本当にいるの?」と思っていたら、ここにいた。30代後半くらいに見えるいい年をした大人だ。「みんなやってるからさー」と言ってアプリを開いている。電波が悪かったのか、「あれ、ここ入らない!」と憤慨して、「上のマックには結構(ポケモンが)いるらしいよ」と言う。相手の女性は旅行の計画をしにきたのであって、特に興味もなさそうだが、とりあえず付き合って聞いている。しばらく電波の回復を待ちながら関係のない話をし続けた後、ポケモンGOのほうの女性は、3階のマックに行ってしまった。旅行の話をほとんどしないまま、一人残された相手の女性は一人で旅行雑誌を広げている。なんとも気の毒だった。

3階のフードコートを通ると、家族で食事にきているテーブルで、母親とみられる女性が憤慨した表情で座っている。子どもがわるさでもしているのだろうかと見てみると、食事の終わった子どもはノートを広げてシールを貼ったりして遊んでいる。問題はどうやら父親のようだ。もう40代後半くらいに見える。テーブルに置いたスマートフォンの画面にポケモンのカプセルが写っている。ポケモンGOに夢中になりすぎて、食事が進んでおらず、家族みんなが待たされているようだ。家族で会話することなく、食べ物に感謝することもなく、架空のポケモンに浮かれて食事をしている中年のオッサン。女性が呆れるのも頷ける。

新聞で読んだが、ポケモンが現れたからと夜中にたくさんの人が公園に集まって騒いだり、画面に気を取られて階段から落ちたり、事故につながったりということも現実に起こっているという。立ち入りが禁止されている場所や不適切な場所(平和を祈るための厳粛な場所など)に架空のポケモンが現れたからとユーザーがやってきて、危険につながったり、迷惑になったりということも起きているそうだ。

こんな人間を堕落させるようなゲームはなくていいと思う。自分の時間と、相手の時間、まわりの人たちの時間を大切にできない状況をつくってしまうものは害悪でしかない。架空のポケモンをつかまえて何がおもしろいのだろう? 目の前のことを着実に進めていくほうがずっと有意義だ。

目的地に行くために携帯電話を使うのではなく、携帯電話が示す場所に人間が行かされる。完全に物に使われている。物に使われて、事故に合って、ケガをしたり、ケガをさせたり、ひどい場合は死んでしまったり、死なせてしまったりする危険だって十分あると思う。技術は進化しても、人間は退化している。人間の退化もここまで来てしまったのかと嘆かわしい。

子どもならまだしも、いい年をした大人が架空のポケモンをゲットするのに夢中になっているなんて本当に情けない。それは自覚がある大人もいるようで、聞くところによれば、ポケモンGOをやっているのがバレると恥ずかしいからと、犬を飼う人が急増しているそうだ。犬の散歩をカムフラージュに、ウロウロとポケモンをゲットしに繰り出す。犬に失礼ではないか。命を何だと思っているのか。犬は10年以上生きる。うちの犬は17歳まで生きた。ポケモンGOに飽きても、犬を大切に育て続けてくれるように願っている。

オリバー・ストーン監督は、監視全体主義の一環だと警鐘を鳴らしていたが、これに加え、愚民政策の一つではないかとも思っている。アメリカと日本だけでなく、自分の短期的な損得にしか関心がなく、うまい汁を吸わせてくれる富裕層のほうばかりを見ている政府は、国民に知らせたくないことがたくさんある。知らないでいてくれれば、主権を行使することもなく、コントロールしやすいから、なるべく何も知らずに、何も考えずにいてほしいのだ。

社会のことや自分の暮らしのことを真剣に考えてもらわないほうが、彼らにとっては好都合だ。そうすれば、選挙に行かないでくれる。選挙に行っても、自分の生活を良くするため、社会をよくするためといった目的を持たずに、無批判に戦略なしに投票をしてくれる。彼らは組織票だけで勝っているので、今の投票率なら楽勝だ。「今だけ、カネだけ、自分だけ」の政治を続けることができる。主権者である国民の目を背けたい。そう思っている可能性がかなり高いと私は思っている。

例を挙げれば、参議院選挙のときだって、憲法が変わるかどうかの瀬戸際だというのに、メディアはほとんど報じなかった。選挙が終わった途端に、改憲を言い出す有様だ。NHKに至っては、週末の行事を紹介するコーナーで、7月10日について、参議院選挙の投票日を紹介せずに、「納豆の日」で終わった。国民の生活の根幹に関わるような重要なことは、すべて隠されている。TPPだって全部黒塗りだ。主権者である国民の目を背けようとしていると言っても、おかしくはない状況だとわかってもらえるのではないかと思う。

国民にはバカでいてほしいのだ。そうすれば、操りやすく、自分たちの権益のためだけに、保身のためだけに、政治を動かすことができる。ポケモンGOのようなゲームも、愚民政策の一環ではないかと思わずにはいられない。先日、たまたま目にしたポケモンGOユーザーたちは、いい大人なのに、実在である家族と友人の時間を大切にすることよりも、架空のポケモンをゲットすることに夢中になっていた。これがなければ愚かではない人間だと信じたいが、完全に愚かな人間に成り下がってしまっていた。ポケモンGOではそもそも、賢くなりようがないのでは。

賢く、心意気のあるシリアの活動家たちは、ポケモンGOの人気を逆手にとって、シリアの支援を訴えることに活用している。シリア国外のアーティストたちもこれに加わっている。
「僕を助けに来て」 ポケモンGO人気をシリアの子供支援に(BBC 2016.7.22)
スウェーデンの作家のものというこの言葉がまさに適確に異常さを指摘していると思った。
「おじいちゃん、世界がひどいことになってた2016年の夏には何をしていたの? ああ、愛する孫たち、おじいちゃんたちは電話でポケモンを探していたんだよ」
シリアだけではなく、日本もとりわけ沖縄や福島は現実としてひどいことになっているし、潜在的には日本中がひどいことになっている。憎しみの連鎖や環境問題など、世界中がひどいことになっている。この状況を変えることができるのは、この世界に生きる一人ひとりの人間であり、私たちが何をするかにかかっている。架空のモンスターに浮かれている場合だろうか?