20160815

71年目の終戦記念日に思う

太平洋戦争の終戦から今日で71年の節目を迎えました。

来年も、再来年も、10年後にも、100年後にも、ずっとずっとその先まで、日本が国内外問わず、人を殺し、殺されることがない時代が続くことを心から願います。憲法で大切にされている平和を貫く精神を守り続けていきたいです。

数年前まで、具体的には2011年に東電の原発が爆発してしばらくするまで、原爆が広島と長崎に投下された日も、終戦の日も、特別な気持ちを持つことは特にありませんでした。何も知らなかったし、知ろうともしなかったからです。そういうムードだから、なんかそういうふうに思わないといけないのかな、くらいにしか思っていませんでした。日本が戦争をしないことの意味を、憲法9条に象徴される平和主義の意味を想うことはありませんでした。でも、自由と民主主義と平和主義の精神が薄れ、憲法までもが危機にされている2016年の今日、その意味を思わずにはいられません。



なぜ、今、日本はこんなにおかしな状態になってしまっているのか? 

東電と国は、あれだけの悲惨な原発事故を起こしたのにもかかわらず、原発災害で被災した人たちに対して十分な補償を行なわないのか? 

被曝から子どもたちを守らず、食品の放射能汚染を厳しく検査せず、健康被害はないと詭弁を続け、日本中に放射能汚染土を公共事業と称して撒き散らすのか?

原発事故が今も解決には至っていないなかで、自然災害や軍事的な攻撃に対して十分な対策をとっているとは言えない原発を再稼働するのか?

米軍基地で苦しめられ続ける沖縄の人々の人権が、なぜここまで侵害され、野放しにされているのか?

アメリカと一緒に地球のどこまででも戦争に行けるようにするために、人間かまくらという異常な手まで使って、安保法制(戦争法)が通されるのを目の当たりにしなければならなかったのか?

なぜ、税金は上がり続け、受け取れる社会保障は減る一方なのか?

なぜ、貧困に苦しむ人々は「自己責任」の一言で切り捨てられ、超富裕層は富を増やし続けているのか?

なぜ、農業や食の安全だけでなく、日本の国民皆保険制度や金融システムを危機にさらすTPPに、自民党は公約違反を冒してまで参加しようとしているのか?

不景気だと、国民は痛みを、と言われるなかで、なぜ、高額な武器を買うことができるのか? なぜ、防衛費(軍事費)は増やし続けているのか?

なぜ、マスメディアは真実を伝えないのか?

こうしていくつもの「なぜ?」を抱えるようになりました。「なぜ?」を1つずつ解決したくて、本を読み、インターネットで情報を集めてきました。今もその謎を解く旅の途中にいるように思いますが、これらの問いに対する解の一つとして、日本は戦後処理がきちんと終わっていない、という事実に行き着きました。

アメリカも戦後の振り返りをしていません。戦勝国ではあるけれど、アメリカも自分がしたことをきちんと総括していないから、同じ過ちを世界中で繰り返しています。日本が、過ちを繰り返すアメリカの言いなりになることを続けているのは、日本も戦後処理がきちんと終わっていないからだと言えると思います。

原発も、TPPも、沖縄に集中する米軍基地も、憲法違反の安保法制も、すべてアメリカの要求だったのです。以下をご覧ください。アメリカからの提言をなぞるようにして、安倍政権の政策が実施されてきたことがわかります(詳しくはIWJの記事をご覧ください)。

IWJ 2015/8/19 【安保法制国会ハイライト】山本太郎議員が日本政府の「属国タブー」を追及!原発再稼働、TPP、秘密保護法、集団的自衛権…安倍政権の政策は「第3次アーミテージレポート」の「完全コピーだ」より
この後ご紹介する孫崎享さんの本で知りましたが、日本はこれまで、対米追従路線と、自主路線を繰り返してきました。今は完全に追従路線、盲従路線と言ったら言い過ぎでしょうか? このように、日本が、アメリカに守ってもらうしかない、アメリカを怒らせたらたいへんだ、と言いなりになっているのは、ドイツのような戦後処理の努力をしてこなかったからです。

ドイツは日本と同じ敗戦国ですが、今ではEUの中心的な国となり、国際的な発言力を高めています。ドイツは、日本よりももっとひどい占領下に置かれていました。しかし、ドイツは戦争の総括をし、近隣諸国に対して誠実に謝罪を続けて、占領国にも利益を図りながら、自国の大事なものは守り抜くという徹底的な外交努力によって、今のような地位を築き上げてきました。

それに引き換え、日本は戦争をきちんと検証することもなく(だから今も南京大虐殺があった・なかった、慰安婦問題はあった・なかった、で大きく意見が分かれて揉めている)、近隣諸国に対する謝罪も十分ではなく、アジアで協力関係を築くことに失敗しているために、アメリカに付き従うしかない、という状態がずっと続いています。戦後71年経った今でもです。だから、日本は未だに、国連の敵国条項という屈辱的な扱いを覆すことができずにいるのです。

こうした視点を与えてくれたのが、先日紹介した矢部宏治さんの『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 』と『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』、孫崎享(まごさきうける)さんの著書『戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)』の3冊です。
日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)

この3冊は、戦後72年、73年…と重ねていくために、多くの方に読んでもらいたい本です。最低限この3冊は日本人の必読書だと言っても過言ではないと思いました。終戦の日ということで、この中から『戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)』をご紹介したいと思います。
この本は、第2次世界大戦の後の日本の政治史を、アメリカからの圧力という視点で解説した本です。高校生にもわかるように書かれていて、国際政治などの背景知識のない私でもよくわかりました。著者の孫崎さんは、2009年まで防衛大学で教鞭をとられていた元外務省職員。本では "外務省・国際情報局長という日本のインテリジェンス(諜報)部門のトップで、「日本の外務省が生んだ唯一の国家戦略家」と呼ばれる"と紹介されています。

読んでみると、アメリカの圧力で首相が退陣に追い込まれたり、国民には知らせられないような重大なことを密約で決めていたり、ものすごく衝撃的な事実が出てきます。なんで、こういう大事なことは中学校や高校の歴史の授業で教えてくれないんだろう?

さて、今日は終戦記念日ということで、一つ、この本の中からクイズです。
日本はいつ、第2次世界大戦を終えたのでしょう。
私たち日本人のほとんどは、8月15日が終戦記念日になっているので、今日8月15日だと思っている方がほとんどだと思います(私もこの本を読むまでそう思っていました)。

しかし、8月15日は、ポツダム宣言を受け入れて、戦争を終わらせたいと昭和天皇の肉声で告知された日(玉音放送があった日)であって、戦争が終わった日ではありません。
しかしよく考えてみると、一方が「やめた」といったからといって、戦争が終わるというものではありません。戦っている双方が、「戦争が終わった」と確認しあう必要があるのです。
国際的には、日本が第2次世界大戦を終えた日は9月2日と認識されているそうです。これは、日本が降伏文書に署名し、正式に戦争が終わった日です。戦争が正式に終わったのは9月2日。それなのに、なぜ、8月15日が終戦記念日になっているのでしょうか?
さて、日本が終戦記念日を八月一五日とし、九月二日としていないことに、なにか意味があるのでしょうか。

あります。それは九月二日を記念日にした場合、けっして「終戦」記念日とはならないからです。あきらかに「降伏」した日なわけですから。そう、日本は八月一五日を戦争の終わりと位置づけることで、「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。

「日本は負けた。無条件降伏した」

本当はここから新しい日本を始めるべきだったのです。しかし「降伏」ではなく「終戦」という言葉を使うことで、戦争に負けた日本のきびしい状況について、目をつぶりつづけてきた。それが日本の戦後だったといえるでしょう。
日本は、戦争が終わった日さえも直視できないでここまで来てしまったということです。どんなに厳しい現実でも、まっすぐに向き合い、解決策を真剣に考え、行動していかなければ、ほんとうの意味でその現実を乗り越えて、大きく成長していくことはできません。それをきちんと果たしてきたのがドイツで、臭いものには蓋をし続け、表面だけはきれいに取り繕ってきたのが日本。もうボロが出まくっているのではないでしょうか。密約だらけ、国民には見せられないものだらけ、臭いものに蓋をするにも限界がある。もはや溢れかかっているのではないでしょうか。

アメリカの属国を続けるのか。それとも、独立国家として、自ら考え、行動し、国民一人ひとりの幸福を大切にする政治を実践しながら、世界のほかの国々と助け合い、よりよい地球を創っていくのか。それは、私たち国民一人ひとりに問われていることだと思います。フィリピンのように、アメリカの圧力をはねのけて、米軍に本国へ帰ってもらうことができるのかどうか。ドイツのように、まともな独立国家として、国際的な存在感を増していけるかどうか。それは、私たち一人ひとりの努力と根気と知恵にかかっていると思います。

戦後71年を迎えた今日、来年も、再来年も、「戦後」を数えられるように、知ること、考えること、行動すること、これらをやめないでいきたいという気持ちを新たにしました。

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