20211105

タイムログをつけてみる

少し前に数日間、タイムログ(time log)=時間の記録をつけてみました。3日間つけてみただけでもいろいろな発見がありました。お金については家計簿の形でこまめに記録をつけていて、何にどのくらい必要なのかがよくわかってきたのですが、時間についてはなんだかいつもドタバタしていろいろ終わらなくて回らなくてもやもやしていて、一度きちんと観察してみようと思い、記録をつけてみることにしました。

お金の記録は使ったときだけなので毎日ではなかったのですが、時間はかなり頻繁に書かないと忘れてしまうので、ちょっと工夫が要りました。小さめのノートを用意して、今日のタイムログをつけるページにシャープペンシルを挟んで、いつも座っているテーブルの片隅に置いておくようにしたら、どうにか3日は記録が取れました。

書いてみてまず思ったことは、「意外といろいろやっている」ということでした。夜になって、一日を振り返ると、なんだか何も進んでいないような気がして、憂鬱な気分になっていたのですが、いざ、淡々と記録をつけてみると、ずいぶん一日にいろいろやっているものだと思いました。『あしたも、こはるびより。』、『ひでこさんのたからもの。』、『ふたりからひとり ―ときをためる暮らし それから』、『きのう、きょう、あした。』などの書籍があるつばた英子さんの言葉「人生、つくって片付けての繰り返しよ」を思い出しました。掃除をして片付けて、白湯をわかして片付けて、お茶を作って片付けて、料理をして片付けて、コーヒー煎って片付けて、パソコン仕事をして片付けて、服を着れば洗って乾かしてたたんで片付けて、縫い物をして片付けて…。それだけで一日が過ぎていくのですが、人生ってそういうものかと腹をくくると、なんだかすっきりしてきました。

写真を撮る、絵を描く、文章を書く、何かの勉強をする、楽器の練習をする、など、何かのスキルをお金をもらうレベルにまで高めるため、もしくは、出版なり、コンサートなり、個展なり、いつか何らかの形での収入源になる発表につなげるために日々努力している人もいますが、私の場合は、依頼をいただいている仕事と自分の暮らしの仕事で一日が終わっていて、そういう時間はあまり取れていないと改めて自覚して、どうにかしなければと焦りました。

とはいえ、タイムログを眺めてみると、細切れにしか使えそうな時間はないことがわかります。長くて40分程度。しかも途中で遮られる可能性大。絵を描くにも、文章を書くにも、私はその世界に入るまで時間がかかるタイプで、やり始めたらじっくり、できるまで自分のペースで集中して取り組みたいほうです。途中で邪魔が入るとものすごいストレスを感じます。現状と自分の性質を考え合わせると、集中して取り組みたい作業は、今の生活では不可能だということは明白だということがよくわかりました。かといって、今の生活をすぐに変えるのは不可能だということもわかります。

不可能だということがはっきりしたら、なんだかすっきりして、「あらがわない」という気持ちになりました。「あらがわない」と決めたら、心が軽くなりました。今の状況を受け入れることに決めたら、いい解決策が見つかりそうな気すらしてきて楽になってきました。

タイムログを3日つけてみたら、状況は何も変わっていないのに、心が楽になったのは大きな変化でした。自分が1日をどのように使っているかが明確に把握できていないときは、なんだかもっと工夫すればできるのではないかと漠然とした期待を持ったり、なんだか何もしていないような気がすると漠然とした不安を感じたりしていました。やることはやっているし、残っている時間は細切れしかないということが明白になったら、「ああ、そうなのか」とすんなり受け入れられたのは、自分でも驚く変化でした。このまま何も大成せずに人生を終えることになっても、自分のことは自分でやり、なるべく他のだれかや自然環境の犠牲を小さくする方法で生きていくことができれば、そして、自分と関わる周りの人たちと少しでも楽しい時間が過ごせたら、それで十分ではないかと思えてきました。

ずっと毎日はたいへんそうですが、これからもときどき、タイムログを一定期間付けてみて、自分の時間の使い方を振り返ってみたいと思いました。