【旧暦霜月三日 大雪 熊蟄穴(くまあなにこもる)】
まわりの人にいろいろと助けてもらうなかで、「やりたい!」「やりたくない!」という素直な気持ちを優先することはわるいことじゃないなーと思えるようになってきました。
自分のうれしいことの実現を助けてくれた人が自分の喜びをうれしがってくれて、好きなことでお礼をしたら、お礼も喜んでくれて、喜んでくれたのが自分もうれしくて、「うれしい!」のキャッチボール。また私が誰かに恩送りをして、相手がまた喜んでくれて…と、うれしいが広がっていきます。
自分の「やりたい!」「やりたくない!」という素直な気持ちを優先して行動すると、「ジコチュー」、「わがまま」と非難されたり、なんかわるいことをしているような気がしてきたりするものですが、自己犠牲よりも自分中心のほうが、楽しいことが広がるんじゃないかなぁと思うようになりました。
「私さえガマンすれば」と自己犠牲を払っても、いい人たちは我慢を強いられ、本当に自分の利益しか考えていない人たちは横暴を広げることも多いと思います。いい人たちが搾取されてしまう雰囲気を作ることになるし、横暴な人も精神が成長しない。自立を妨げることはやさしさではないのでは。
だれかに助けてもらうときは、助けてくれる人が、助けてくれることを「やりたい!」と本当に思ってくれているのか、それとも「本当はやりたくないけど、しかたなく」という自己犠牲的な気持ちでいるのかどうかを見極めることが重要だと思っています。下心にも注意が必要です。
自分中心という言葉に、思い描くものは人それぞれだと思いますが、深いところからうれしさが湧いてくるような「自分中心」の想いのパスのしあいで、いろんなことを実現していけたら、楽しいこと、うれしいこと、すてきなことが広がっていくと思います。