20160827

「言葉は文化だ」

「言葉は文化だ」と、大学時代に出会った尊敬する通訳者の方がおっしゃっていました。その方は、長年国際会議で通訳をされてきて、これ以上勉強しなくても金銭的にも地位と名誉の面でも十分だったと思うのですが、「言葉と文化」に理解を深めようと、異文化コミュニケーションの大学院で学びたいと考えて入学され、お金だけではない使命を感じて見識を磨いているんだろうなぁと、ますます尊敬したものでした。

その頃は、「言葉は文化だ」の意味が、抽象的にしか理解できていなくて、「あーそうなんやろなぁ」くらいだったのですが、たくさん翻訳をするようになり、英語と日本語の行ったり来たりを繰り返すうちに、「ほんまにそうや!」と思うような具体例に出会うことが増えてきました。英語と日本語で訓練してきたせいか(?)、西のほうへ移住してからは、生まれ故郷、10年ほど住んでいた東京、今住んでいる西日本のとある地域の方言やコミュニケーションのスタイルの違いを敏感に感じ取るようになり、同じ日本語のなかでもやっぱり、言葉は文化だなぁ、と思います。

英語の例を一つ挙げてみたいと思います。

最小限のガスと水で作れて、洗い物も少ないスパゲティの作り方や、フライパン1つで一気に何品か作る方法を、相方がブログに書こうとしていました。相方はそれを「ずぼらレシピ」と読んでいて、二人とも、日本人が受け入れやすいのは「ずぼら」という形容詞だよね!ということで意見が一致しました。

英語では、「ずぼら」はlazyですが、「たぶん、lazy recipeと言ってもあまり響かない。efficient way of cooking(効率のよい調理方法)とタイトルを打ったほうがたぶん見てもらいやすい」ということでも同意見でした。でも逆に、日本人に「効率のいいレシピ」と言っても響かない(*)。

「この違いはなんだろうね?」と相方にきいてみると、「腹芸が通用するかどうか」だと言います。

日本人は異なる文化背景を持つ人々に触れる機会があまりなく、まわりの人々と同質意識があると思います。イギリスから日本に交換留学で来ていた友人が、東京は日本最大の都市で外国人も多いにもかかわらず、「ここではみんなが私のことをガイジン扱いする。どこへ行ってもガイジンって目で見られる。tom-tomは髪も黒いし、目も黒くて、外見はどう見てもアジア人だけど、ロンドンではあなたをガイジン扱いしたりしない。ロンドンの住民かどうかは見た目ではわからないから」と言っていました。そのくらい、日本は日本人ばかりが日本に住んでいると思っているのかもしれません。

同質意識があるので、同じ文化背景を共有しているということが前提で話すことができ、日本人は、本心で思っていることよりも程度を上げたり、下げたりしながら、相手への敬意や自分との力関係を調整するところがあります。極端な謙遜は本心がわからないので、私はあまり好きではないのですが、「私はずぼらなんで」と言って自虐的に自分を表現することで評価のハードルを落としたり、相手が「いやいや、そんなことないですよ」と返してくれて、本心で思っている「ずぼらレベル」に調整されるのを想定しての会話であったり、ということがよくあります。自分と自分の身内のことを貶めて語り、相手を立てるのが丁寧だという暗黙の了解があるため、自虐ネタが受け入れられやすいのだと思います。

一方、欧米の文化では、異なる民族が入り交じるのがある程度は当たり前だという感覚だと思います。相手とは文化背景が異なり、思考パターンやコミュニケーションのスタイルが恐らく違うだろうという前提で話すので、必要以上に自分を下げることで不利な状況が生まれる恐れがあります。 "I’m a lazy person." と言ったら、本当に文字通り怠け者だと思われる可能性が高い。怠け者だから、大事なことは頼めないな、と思われてしまう可能性もあります。欧米の文化では、integrityを重視するという面でも、本心とは異なる発言をすることは望ましくないのではないかと思います。よい印象を与えるefficient(効率のよい)のほうが、リスクが低いし、最大限やることを減らしたということを伝えているという点で、伝えたいことを明確に伝えていると思います。このレシピを紹介するにあたって、ずぼらな人がすること、と言いたいのではないからです。

*注:googleで検索してみたら、“lazy recipes” も出てきましたが、日本語で “ずぼらレシピ” の検索件数のほうが断然多い。 “efficient” も調べてみたところ、“efficient cooking” などは桁違いの検索件数でした。

日本語と英語は言語学的にも遠い言語ですが、文化の面でも大きな違いがあると感じます。冒頭で書いた通訳者の方がよく挙げていた例は、brotherとsisterを日本語に訳すときのことでした。日本では年齡が上か下かが重視されるため、年齡が上のほうに「兄」「姉」、下のほうに「弟」「妹」という言葉があてられます。だから、どちらが年上かがわからないと訳せません。これにはよく苦労していて、調べても出てこないときもあるので、そういうときは仕方なく「兄(または弟)」「姉(または妹)」などとするしかありません。ほかにも、そのまま翻訳したら誤解される可能性があったり、情報が足りなかったり、おもしろさが伝わらなかったり、ということも多々あります。英語圏の文化背景は、本でも感じ取れることは多いので、アンテナを高くして、吸収していきたいと思います。

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