物知りな自然派の人が、農薬や化学肥料で育った野菜をまるで毒物のように扱うのを聞くと、なんだかその食べ物がかわいそうになることがあります。自分とその野菜が重なるからかもしれません。
うちの親は、食べ物の裏側の話に触れる機会はなかったし、インターネットもまだ家庭で使うには高すぎる時代だったので自分で調べることもなく、食品添加物や農薬、遺伝子組み換え作物の恐れのある油などの問題は何も知りませんでした。店で売っているし、国が認めているんだからと、リスクなど考えることすらなかったのも無理はないことだと思います。そうやって消費者をだましている大企業や国がわるいので、親がわるいとは思っていません。
仕事で忙しかったので、昼ごはんはささっとカップラーメンやインスタントラーメンで済ませることが多く、おやつはいろんな添加物がたくさん入ったパンやスナック菓子。家で育てていた野菜もF1品種で恐らく雄性不稔性(男性側の不妊症)を利用したようなものもたくさんあったと思います。本物のしょうゆや味噌があるなんていうことは全く知らなくて、添加物のうまみ成分が入った「だし入り」の万能つゆやだし入り味噌のことを醤油と味噌だと思っていたくらいです。塩も砂糖も化学的に精製されたナトリウムオンリーの食塩と、真っ白な白砂糖のことしか知りませんでした。スーパーではできあいのおかずも安かったので、週に1度の100円均一では一人一枚限定のとんかつを買いに並んだり・・・。そんな安売りのとんかつは、お肉も遺伝組み換え飼料を食べさせられ、抗生剤をバシバシ打たれたかわいそうな豚さんだったでしょうし、パン粉もポストハーベスト農薬が使われた外国産小麦の添加物まみれのものだったでしょうし、揚げ油だって遺伝子組み換えナタネだったかもしれません。
よく体調を崩していましたが、具合が悪くなれば親は心配してすぐに医者に連れて行ってくれて、いろんなクスリを飲みました。どうやって作られているのかもわからないサプリメントもたくさん飲みました。疲れが出れば、栄養ドリンクをぐびぐび。
服も化学繊維に化学染料、洗濯洗剤だって今考えれば危なそうな合成洗剤、身体や髪を洗うのも合成洗剤だし、化学物質だらけの化粧品もたくさん使いました。
そういうふうにして育っている私は、慣行栽培の野菜と同じで、化学物質をたくさん取り込んで大きくなりました。農薬や化学肥料で育った野菜や果物やお米などを、汚らわしいもののように切り捨てるような言い方を見聞きするたび、そういう自分と重なって、複雑な心境になります。化学物質まみれで育った自分もまた、出来損ないなんでしょうか。毒のような邪魔者なのでしょうか。他人に害を及ぼすのでしょうか。慣行栽培の作物を汚らわしいもののように切り捨てる人たちも、自分の育ち方を振り返ってみれば、化学物質と全く無縁で育ってきた人は少ないのではないでしょうか。
慣行栽培の野菜だって、好きでそういうふうに育てられたわけではありません。本当は自然の力で育つこともできるのだけど、人間が早く大きく形が揃って育つことを望むので、それに合わせるために、化学肥料も農薬も、甘んじて受け入れています。私の身体と同じで、きっと病気になったり、弱くなったりしながら、苦しみながら持ちこたえて、人間の望みに応えようとしてきたのだと思います。そう考えると、そうやって苦しみながらもどうにか健康に育ったのに、人間が食べるときになって、害悪のように睨まれる様子を見ていると、とてもかわいそうになってきます。育ちが多少わるくたって、一所懸命育った命なのですから、毒でも見るような目で見ないであげてほしいのです。
慣行栽培の作物を食べろと言っているのではありません。食べないことを選ぶときに、「ケッ」というような態度で蔑んだり、毒物みたいに憎むのはどうかと思うのです。私も、なるべく自然栽培や野生で育った生命力のある食べ物をいただくようにしていますが、それでも慣行栽培の作物を憎むことはありません。食べ物に罪はないのですから。慣行栽培の作物を食べるときにも、育ってくれて、私においしさと栄養を与えてくれることに感謝をしていただきます。ときどき苦すぎたり、食べてはいけない味のするときもありますが、そういうときも、ごめんね、という気持ちでさよならをして、土に還ってもらいます。
物知りになったマクロビオティックの愛好者や自然派の人々が、慣行栽培の作物を毒物かなにかのように毛嫌いしたり、出来損ないのように見下げたりする態度を見ていると、ブランド物が本物か偽物かを見分けて得意になっている強欲な人たちと、精神レベルはさほど変わらないのではないかと思ってしまいます。食養の世界や、自然に沿った在り方では特に大切なもの、命や自然への感謝を忘れてしまっているのではないでしょうか。
過去の記事を見返していたら、ワタクシ、3年前は、自然に沿った食事を理解してもらえないことに憤りを感じていたようでした(→20131106 健康第一)。今度は、知識を振りかざして慣行栽培の食べ物をメッタ斬りにする人に憤りを感じているというのは、時代が自然派にそれだけシフトしてきたということなのかもしれません。
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