世間はオリンピック一色だったようだけど、沖縄の状況、憲法の破壊、伊方原発の再稼働(「正気とは思えない」)、福島の凍土壁が凍らない問題(小出裕章さんなどが以前から指摘されていたとおりに)などなど、非っ常~~~~にたくさんの問題が山積していて、メディアがちゃんと報じないのないなら、私も何か言わないと、と久々にフェイスブックを覗いてみたのだが、うーん、やっぱり、すごい抵抗というか圧力を感じる。うーん、やっぱりこの空気、私の居場所じゃないわーという感じがした。
その空気をぶち破る勇気のある人は、活動家として認知されている人を除いて、そんなにいない。この空気をぶち破って書いている人も、単なる攻撃であったり、「こんなことを知っている自分はどうだ!」みたいな自尊心を埋める目的だったり、うっぷんを晴らすだけだったりして、重要なニュースを知ることができてありがたいにはありがたいのだが、かなり気持ちが滅入ってしまう(これについては先日も少し書いた)。
フェイスブックはショーみたいな感じで、「きゃっほー❤これ見てみて~♪」みたいなのは書きやすいんだけど、まじめな話って本当にしにくい。居酒屋で大勢に当たりさわりのない話をしたり、酒の勢いをかりてぶちまけている感じ。私はカフェで友人一人ひとりと深い話をするほうが好きなので、合わないわけだ。
私はこどものころから一匹狼という感じで(望んでそうなったわけではない)、常に浮いていたので、フェイスブックみたいな群れて楽しむところは、合わないんだろうと思う。今でも、みんなが白いものを見て黒だと言っていても、一人でぽそりと白いものは白いと言うタイプだと思う。目立つのは嫌だから、ぽそりと言う。社会活動に使いたいなら、フェイスブックよりツイッターのほうが私の場合は向いているのだと思うんだけど、ツイッターは誹謗中傷が増えてきているとも聞く。
愛嬌を振りまけるかわいいアイドルタイプ、おれについてこいみたいなリーダータイプ、他人にどう思われるかが気にならない人、ピエロを演じるのが好きな人、ちやほやされるのが好きな人、群れてワイワイするのが好きな人には楽しい場所なんだろうけど、私はどれも全然だめだ。誰にもついていきたくないし、ついてこさせたいとも思わない(各人の自由意志に従ってほしいから)。人に気を使いすぎる。つねに自分は自分のままでいたい。ちやほやされても下心は何かと勘ぐってしまう。わいわい騒ぐこともほとんどなく、騒いで楽しいとも思わない。静かに黙々と重要なことについて考えたり、何かを作ったりしているほうが好きだ。
フェイスブックでは、他人に対して疑心暗鬼になってしまうことも多い。「いいね」一つをとっても、「いいね」を押されても押されなくても本音を勘ぐってしまう人もいるし、Aさんのシェアした記事には「いいね」を押して、同じ記事をシェアしているBさんに「いいね」を押さなかったら何か思われないだろうかとか、あるいはAさんのある投稿にはいいねを押して、それ以外にはいいねを押さなかったら何か思われないだろうかとか、不安になる。それに、リアルでは私にカスタマイズして見せないでおいてくれている、私が見たくない側面も見せられてしまう。他人がどんどん嫌いになっていくループに陥りそうになることもある。
再び、いっそのことフェイスブックをやめてしまおうかなぁという熱が復活しているのだが、連絡手段にもなっているし、役に立つ面もあるし、しばらく開かないで不快感が落ち着くのを待ちたいと思う。
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