20190730

ブログを書き続けることについてふと考えたこと

このところ、無料で公開してきたコンテンツを全て有料に切り替えて、有料のものだけに力を集中させる、というスタイルを取るようになったものを立て続けに見聞きした。暮らし向きもいろいろあるだろうし、考え方は人それぞれだから別によいのだけれど、自分はどうするのがいいのだろうか、とふと我が身を振り返ってみると、このブログはこのままでいいのだろうか、と少し気にかかった。

20190719

選挙のこと、忌野清志郎さんの言葉、山本太郎さんへの応援演説・・・など

7月21日が参議院選挙の投票日。選挙のことを書こうかどうか迷っていたけれど、ぎりぎりだけど、やっぱり書こうと思う。

3.11が起こる前までは、政治には全く無関心だった。投票で政治が変えられるとも思っていなかった。大学生のときに、投票に行かないことで政治学の先生に悲しみと怒りに満ちた目で見つめられながら叱られても、投票に行かないことの意味はよくわからなかった。

でも、原発事故が起こって、「どうしてこういうことが起こっているんだろう?」と調べていくうちに、政治を動かしている議員にどういう人間がいるかが重要で、それを決めているのは投票する有権者(自分も含めて)だということがわかった。投票に行かないこと、政治や社会のことについてきちんと考えてこなかったことによって、原発の事故を起こすのに自分も少なからず加担していたのだと思うと悲しくなった。その後、沖縄の米軍基地問題、遺伝子組み換え作物、ダムなど、他の問題も原発の問題と同じ構造で起こっていることを知った。

今すぐ変わらなくても、じわじわとは変わる。爆笑問題の太田光さんが選挙なんか行かなくていいみたいなことを公言したのを忌野清志郎さんが読んで、太田さんに「政治に無関心でいいなんて言っていると、きみの息子なんかが戦争に行っちゃうわけよ」と言ったというエピソードがある。逆に言えば、関心を持って行動すれば、望まないことが実現してしまうのを少しでも遅らせることができ、行動する人が多ければ、望む世界をつくるのを早めることができる。

その行動の1つが投票で、ほとんど誰でもできること。投票先を決めるのは、そんなに時間のかかることではない。ネットで少し調べれば、5分もかからない。現状に満足しているなら、与党に投票すればいいし、今の与党は組織票がたくさんあるから投票に行かなくたっていい。現状に満足していないなら、野党を比較して検討する(市民連合のガイドブックがわかりやすい)。ちなみに、選出される議員が1人の32の選挙区の野党の統一候補一覧は、市民連合がまとめてくれている

普段から情報を仕入れて、自分なりに考えるようにしていると、こういう候補者に投票したい、というのがはっきりしてきて、こうしたリサーチは特に必要がなくなる。普段からの情報収集は、たいへんなことではなく、むしろおもしろい。最近は、問題をあぶり出すだけではなく、解決の方向を向いて論考してくれているものが増えてきて、ますますおもしろくなってきた。無関心でいて自分が望まない世の中をつくるのに加勢するよりも、関心をもって自分が望む世の中をつくるのに加勢したほうがずっとおもしろい。

さっき、ほとんど誰でもと書いたが、お金持ちかそうでないか、男性かそうでないかにかかわらず、一定の年齢以上なら資格を停止されている人を除いて誰でも投票できるようになったのは、先人の長い闘いのおかげだ。

期日前投票をすでに済ませたが、山本太郎さんの立ち上げた「れいわ新選組」の街頭演説がとてもおもしろく、折を見て書き起こしを読んでいる。脳科学者の茂木健一郎さん作家の島田雅彦さんギタリストのSUGIZOさんなど、さまざまな著名人もかけつけて応援演説をしていて、その書き起こしも読むことができ、それらを読むだけでもとても勉強になる。書き起こしはこちらの「活動レポート」のページから読める。

最後に島田雅彦さんの応援メッセージの中からこの言葉を引用して終わりたい。
国民は政治的無関心に誘導され、日本がどうなろうと知ったことかと思わされています。首相や閣僚、その不愉快な仲間たちがどんな不正を働いても国民は知らんぷりしてくれる、まさにそれこそ政府が望むところで、白紙委任状を受け取ったつもりでやりたい放題やってるのです。
・・・〈中略〉・・・
私たちは大人なのだから、この不愉快極まる現状を変えなければなりません。私たちには良心の自由もあれば、恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利もあるのだから、今、それを使わずにいつ使うんですか? 早くしないとその自由と権利を奪われてしまいます。投票に行きましょう。現政権の横暴を止めるために、山本太郎に、れいわ新選組に、あるいは野党共闘の候補者に一票を投じましょう。
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20190716

モノが「お嫁に」と聞くとモヤモヤする話。

手作り作家さんやお店の人が、商品が売れたときに「早速お嫁に行きました」「もうお嫁入りしました」と言ったり、SNSに書いたりするのをよく見聞きします。

買った人が女性であった場合でも「お嫁に行きました」「嫁入りしました」です。物になぞらえられるのは常に女性。比喩として「早速お婿に行きました」「もうお婿入りしました」と見聞きすることはありません(もちろん、女性と女性の結婚もありますが、その場合、どちらかが「嫁」として婚家に入るという感覚はないのでは)。

20190709

「らしく」なんて言葉は人を縛るのかもしれない

小さいころよく、「子どもらしくない」と怒られたり、驚かれたりした。先日書いたように、保育園の職員室から自分ちに電話をかけるような子だった。「子どもらしい」って何なんだろう? 社会的に想定されている「子ども」というものの振る舞いとか、期待されている何かがあるんだろう。そんなものは空想でしかない。一人一人の人間をしっかりを見つめれば、「子どもらしい」なんていうものは実態がないことがわかる。

20190702

「子どもらしくない」と怒られた話

保育園に通っていたとき、職員室から自宅に電話をかけて「殺されるー!」と親に助けを求めたことがある。親は大急ぎで保育園に駆けつけたそうだが、そのときは会わせてもらえなかった。夕方迎えに来てくれた親によると、先生(保育士)はものすごい剣幕で怒っていたらしい。