20160424

芸術の存在意義を改めて。

【旧暦弥生十八日 穀雨 初候 葭始生(あしはじめてしょうず)】

昨日、『右翼と左翼はどうちがう? (14歳の世渡り術)』を読んでの感想のようなものを書きました

「右翼」でも、「左翼」でも、団体に傾倒していって、その団体のなかで、自分の考えを構築していって磨き合って高めていくのならいいけれど、そうではなくて、その団体の考えに染まってしまう人もいます。その傾倒していく前段階には何があるのだろう。

著者の雨宮さんが、どういうふうにして右翼団体に所属するようになったのかを書かれていました。この生きづらい世の中において、自分がなぜ日本人として存在しているのか、なぜ生きているのかということに疑問を持つようになり、よりどころとなるものとして、たまたまタイミングよく、右翼の思想が現れた、という経緯だったのだと思いました。

その下地となった状況については、
それまで、いい学校、いい会社という幻想に尻をたたかれ、一応それなりに頑張って勉強してきた。それなのに、バブル経済の崩壊によって自分が社会に出るころにはそんな幻想はこっぱみじんに崩れていた。学校の先生も親も、多くのおとなが言う「頑張れば上昇できる」ということが通用しない時代になってしまったのだ。
と、振り返られています。先生が嫌いだった、ケガをして打ち込めることがなくなった、などがきっかけになって、暴走族になったり、学校を中退することになったりした後で、右翼の活動をするようになった方も登場しました。

私も、10代、20代の頃は結構つらいこともあって、「なんのために生きてるんだろう?」と思うことも、何度となくありました。つらいとき、いつも口ずさむのは、母が好きだった中島みゆきさんの『時代』。
今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて 
もう二度と笑顔には なれそうもないけれど

そんな時代もあったねと きっと話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
この歌に何度支えられたかわかりません。あの頃のことを、今は笑って振り返られるので、本当にそのとおりになったなぁと思います。むしろ、糧にできたな、と思うし、あの頃があったから、成長できたし、自分の軸というものが揺らぎにくくなったと思います。

もし、この歌がなくて、絶望していた時期に、雨宮さんみたいに右翼の尊敬できる人や思想と出会っていたら、右翼団体で活動していた可能性もある…そう思うと、恐いものがあります(雨宮さんが入っていたような、平和的な団体だったらいいけれど、いろいろだからね)。絶望の淵で、新興宗教に生きる意味を見出す人もいる。

この歌があったから、私は道をふみあやまらずに、今、幸せに生きていられるし、自分の頭で考えることを放棄せずに、世の中をよりよくするために微力でも自分にできることは山のようにあると、希望を持っていられる今がある。そういう意味では、芸術の役割は、とても大きいと感じました。

ときどき、世の中がこんなにめちゃくちゃなのに「音楽なんかやってていいのかな」「絵なんか書いてる場合か」「こんなほのぼのとした小説を書いていて何になるんだろう」などという声も聞きます。でも、世の中が矛盾にあふれているからこそ、人の心にうるおいを与えたり、励ましたり、前を向けるようにしたり、自分を信じられるようにしたり、世界のことに目を見開かせたりする、そっと支えてくれる、そういう存在にもなりうる芸術は、人が本当に輝ける道を歩けるようにする重要な役割を果たしていると思いました。

そういう芸術というのは、絵画や、小説、随筆、演劇、音楽、書、映画などだけではなく、人の生き方そのもの、何気ない一言、日常の一場面など、心を動かされ、自分を良い方向に導いてくれるものはなんでも芸術だと言えると、私は思っています。だから、だれもが人生という一つの作品を作り上げる芸術家なのだと思います(これについては過去にも→「だれもが芸術家」)。