20160410

防御や反論よりも、正しい情報をわかりやすく伝えていくほうが効果が高いのかも、と思った話。

【旧暦弥生四日 清明 次候 鴻雁北(こうがんきたす)】

「右翼」とか、「左翼」とか言う呼び方は、曖昧すぎて本当に嫌いなレッテル語なんですが、いわゆる「右翼」と呼ばれる人々の考え方や主張も知っておいたほうがいいのかも、と思うことがあります。そうしないと、議論ができないから。

どういう考え方から、駐日アメリカ軍基地をよしとしているのか、日本の軍国化をよしとしているのか、原発にも賛成(これは原爆をつくる材料が持てるからなんだろうけど)、慰安婦の問題をないことにしようとするのはなぜなのか、韓国の人や中国の人を敵視してヘイトスピーチまでしてしまうのはなぜなのか。

そういうことがわかったら、事実として違うものは違うと話せば、事実をきちんと知れば、考えを改めてくれるんじゃないか。そう思って、「右翼」と呼ばれる人たちが信じこんでいそうな人たちの本も読んでみないとダメかなーと思っていました。

でも、どれも手にとる気になれないのです。まず、著者の顔の写真を見ただけで、ちょっと引いてしまう…。写真が載っていないものを手にとってみるものの、文章の攻撃性にさらっとパラパラしただけで、読み続ける気になれない。

たまたま目に入った数行に、論理が破綻しているものもある。全部の情報を調査したわけではないですが、ぱっと見たところ、私が知っている事実からすれば、嘘八百としか思えないようなことが書かれている部分もある。

とてもじゃないけど、身銭を切ってまで読む気になれないのです。「お金で投票する」という考え方では、「お金を払う」ということは、それを支持するということでもあるので、それを支持することは私はしたくない。

でも、彼らの意見も、聞いてみないことには、事実認識の相違があるところを正していけないし、どうしたらいいのかなぁ、と、ずーっと右往左往してきたんですが、ふと、思ったのです。

日本の軍国化が好きな人たち、隣人をヘイトする人たちを説得するよりも、まだ政治や社会のことに関心がない人たちに、正しい情報を伝えていくほうが、ずっとインパクトが大きいのではないかと。

私も数年前までは、社会のことに全く無頓着な人でした。大学時代に、「選挙行ったことない人?」と先生に聞かれて、手を上げて怒られた話を昔書いた通り、英語にしか興味のない「英語バカ」でした。英語は言語=伝えるツールでしかないんだから、英語ができたって、伝えるべき中身がなかったら全く意味がないのに、そんなことにさえ気がついていなくて、社会のことを広く考えるという姿勢がなかった。

そんな自分が、3.11の震災以降、世界で起こっていることに関心を持つようになって、まったく白紙の状態から、環境と平和を守る方向に、考えが動きました。

戦争好きで大企業寄りの人たちのものも、環境や平和を愛し、弱者を守りたいという市民寄りのものも、両方あったはずで、どちらかと言えば、大企業寄りの人たちの声のほうがずっと大きかったと思うんだけど、自分で情報をとりにいって比較して考えるようになって、こっちが本当だと思う、と思ったのは、環境や平和を愛する市民よりの人たちの声でした。

日本の投票率の低さから考えても、権力には抵抗できないと無気力になっている人々や、かつての私のような無関心な人々はまだまだ多い。無関心な良心的な人々に、正しい情報を伝えていけば、知りさえすれば行動を起こす人も増えてくるのではないかと思います。無関心な良心的な人々のほうが、いわゆる「右翼」の情報を信じこんでいる人々よりもずっと多いのではないかと思うので、きっと、正しい情報を広く発信していくほうが効果が高いのではと思いました。

政治状況が最悪ななかで、もう残された時間は少ないのかもしれない。効果の高いところから時間を使っていくほうが賢明だと思うので、「右翼」と呼ばれる人々が信じている言説を精査するのはやめることにしました。正しい情報をきちんと整理して伝えていくだけでも、今の私にはまだまだ時間のかかることなので。正しいかどうかを判断するというよりもは、まだ、「このことについては、自分はまだ何もわかっていないんじゃないか?」というところから情報集めをするので(背景知識がまだまだ追いついていないから)、とても時間がかかります。反対意見に反論したり、それに対して自分の意見を防御する用意をしていくことよりも、無関心な人たちに、正しい(と私が思う)情報をわかりやすく伝えていくことに力点をおいたほうが効果的だというのが、今のところの結論です。