【旧暦弥生十日 清明 末候 虹始見(にじはじめてあらわる)】
このブログを書いている目的というか、意義というか。そういうものについては、旧暦大みそかに振り返ってみたのだけれど改めて考えてみたいと思いました。
相方が本格的にブログを書き始めたこともあり、内容が重ならないように、私は自然農についてや、古民家改装などの日々のこと、食べ物のことなどは、最近はあまり書かなくなっています。
というのも、共通の友人が多いので、どっちも読んでくれている(だろう)から両方で同じものを読むよりは、違う話題のほうがおもしろいだろうな、という理由が一つと、あとは、相方はおもしろくなってたくさん書き始めたらアクセス数も右肩上がりで(大体だけど一日当たりのPVは私の4-7倍くらいある)、収益化も視野に入れているので、どっちも書けるような情報はなるべく相方のほうに集約したほうがいいだろうな、というのもあります(私はというと、前にも書きましたが、あんまり本格的に収益化する自信がまだありません)。
読みにきてくださっている方々が、もし、これらにも関心を持ってくださっていて、読みたいと思っていただいているのであれば申し訳ないな、と思い、改めて各記事の閲覧件数を見てみました。ほとんど読まれてないですね(笑)。多く読まれているのは、政治や社会のことがやっぱりダントツで多く、あとは、私が人間全般や言葉について思ったり考えたりしたこと、ジェンダーのこともよく読まれているようです。
うん、なんとなくね、そう思ってました。自然に沿った暮らしのtipsなどに関心を持つ以前の壁があるだろうなぁと。個人のempowermentができてないと、そういう暮らしをしてみようかな、どうやるのか知りたいな、という気にさえなれないだろうなと思っていました。
個人のempowermentというのは、一人一人に力、powerがあるっていうことを、もう一度、思い出してもらって、使ってもらうこと、活かしてもらうこと、そういうことだと私は定義しています。言い換えるとpower to the peopleといったところでしょうか。
投票もそうだし、自分の望む選択を日々していくこともそう。そういう意味では引き寄せの法則もそうかも。大多数と違っていたって、自分の意見を言うこともそう。人と自分が違うということを認めているだけでもいい。食べ物や使うものを手づくりしていくこともそうかなぁ。働き方や機会を含めた生き方を自分でつくっていくこともそう。
個人に選択の自由があるということ、行動の自由があるということ、思考の自由があるということ、それを忘れてしまっている、あるいは無意識に手放して、なにかに委ねてしまっている人が多いように思う。だから、自分にこの世の中を、自分の生き方を創造していく力があるんだっていうことを、もう一度思い出してもらいたい。それを、個人のempowerment、self-empowermentと私は呼んでいます。
私は、このself-empowermentに役立つものを書いていきたいと思っています。選択の自由、行動の自由、思考の自由をフル活用して、望む世界をつくるためには、知ることが重要だから、世の中のいろいろなことについても書いています。知らないと、自由を手放して何かに委ねていることにすら気が付かないから。私一人の考えるプロセスを公開しているのも、自分の頭で考える人を増やしたいという気持ちもあります。
self-empowermentがまだできていない人は、たとえ、自然に沿った暮らしをしていても、自己肯定感の低さから、反抗心、虚栄心、そういったものを動機にして実践してしまう人もいる。そういう人たちは、ささいな意見の違いですぐに人を敵にするし、「サステナブル」や「スピリチュアル」の「科目」で競争を始めたりもする。健全な意見交換のを前提に調和を広げようっていう意識がなかったり、お互いに気持ちよくの心配りができなかったり。自然派の人たちにもいろいろいて、ちょっと幻滅したのもあるかなぁ。あと、自然の暮らしが長くなってきて、だんだん、こっちのほうが普通になってきて、何が珍しい(?)のかちょっとよくわからなくなってきたのもあるかも。たまにテレビを見るとびっくりしたりして、何か書きたくなったりもします。
つらつらと書きましたが、一言で言うと、このブログでやっていきたいことは個人のempowermentということかなと思います。ほんとはね、暮らしのことや畑のことなんかも、相方とは違う視点から書けたらいいのだけど。書けば書くほど書きたいことが出てきて、お伝えしたいことも山のようにあるのですが、なかなか追いついていない状況です。だからちょっと言い訳ではあるかも。時代や私自身の変遷で、またこのブログもどんどん変わっていくかとは思いますが…。
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20160207 なぜブログを書くのか