【旧暦弥生十ニ日 清明 末候 虹始見(にじはじめてあらわる)】
私と相方と二人で、初対面の人と会うときの、相手のコミュニケーションのスタートの仕方は、国や地域によってかなり違いがあっておもしろいです。
イギリス出身の人と、アメリカ出身の人は、「わたしは◯◯(名前とか愛称)です。どこそこから来ました。今はここでなになにをしています。よろしく(ニッコリ)」みたいな感じでした。どちらも移住後に会った方です。
なので、私と相方も、「はじめまして、◯◯(名前)です。◯◯と呼ばれています」みたいな感じで呼ばれ方をはっきりさせてから、どういう経緯でその場にいるのかを話したりして、そこから共通の話題なんかが見つかって広がっていき、とても楽しい会話でした。
東京のときは、どちらから名前を名乗ることもなく、天気や季節の話題など、共通の話題から会話を広げていって、これから関係を続けていきたい感じだったら、名刺なんかを出したりして、連絡先を交換するときに、名前を知ることが多かったような。名前を知るのは別れ際だったり。
移住後のことですが、旅行者や移住者だけが集まった場にいたときもそんな感じで、最後になって名前を知った人もいれば、最後までわからない人もいて、東京の頃をなつかしく思い出しました。
そこで出会った台湾出身の方は、共通の話題から文化の深い話で盛り上がってきて、また遊びましょう、くらい盛り上がってきたときに、ノートを取り出して、その場にいた人たちに名前と連絡先を書いてもらい、名刺を渡していました。イギリスとアメリカの人は出会った最初に名前を知り、東京では最後に名前を知り、台湾の方は真ん中らへんで知るのかーと興味深かったです。
こちら(日本の西のほう)に来てからは、特に男性ですが、相方と2人でいる場合に「結婚してるんですか?」で始まることが大多数で驚いています。「そんなようなもんです」と答えると、私は名前を聞かれず、相方だけが聞かれます。で、相方が苗字で呼ばれ、私は自動的に「奥さん」。「子どもは?」とセットで聞かれることも結構多いです。
ときどき顔を合わせる女性で、私も彼女も名のなき者同士な人がいます。
私と相方が二人でいたときに、その女性も相手のパートナーと一緒にいる場面で出会い、相手のパートナーの方(こちらのネイティブ)が、お決まりのパターンで、相方だけの名前を彼女に伝え、私は「奥さん」で済まされて、彼女のことを「家内です」としか紹介しなかったので、私も彼女も名なしになったのです。私は相方の「奥さん」、彼女はその男性の「家内」という、お互いに男の付属物。
最初の頃は自分が消えていきそうで嫌だったし、今も不愉快には変わりないんだけど、そう思っていても身がもたないので、なるべく気にしないようにしています。
日本の古い価値観が根強く残っていて、しかもこちらではそれを隠すことがないので、顕在化しているだけなんだと思います。顕在化している日本の古い価値観を見るに、日本語は関係性の言語なのかな、と思ったりもします。
結婚しているかどうか、を尋ねるのは、それがわからないと呼び名が定まらないから聞くのでしょう。関係性が定まらなければ、相手を指し示す名詞が定まらない。名前を伝え合えばいいだけなのでは? 女は男の付属物だから、男との関係性で呼ばないといけないって決まりでもあるのでしょうか。不思議です。
私が一番心地よく感じるのは、一番最初に紹介したような、最初に自分から名前を名乗って、自分が何者なのかを明らかにして、コミュニケーションをスタートするスタイル。仲が深まりやすいし、相手に役立ちそうな情報を伝えることができたり、お互いにメリットも大きいと思います。