【旧暦睦月十九日 雨水 次候 霞始靆(かすみはじめてたなびく)】
フェイスブックを続けるかどうか、これまでも、どうなのかなーと思うことがちょいちょいあって、メリットとデメリット、両方を天秤にかけたら、実はデメリットのほうが多いんじゃないか、と思ったりもします。
子どもの写真や動画を載せているのを見るのも、うううーと苦しくなることの一つ。「それってどうなの?」と思ってしまいます。
自分が子どもだったら嫌だからです。
親が、自分の知らない数十から数百人の知人や友人たちに、自分が幼い頃の写真を公開している。
成長してから知ったらものすごく嫌です。
かわいい写真ならまだしも、大泣きしてる写真とか、寝顔とか、食い意地張ってる写真とか、はしゃぎまくってる映像とか、転んだところとか…。
本当に親しいごく一部の人にしか知られたくない一面を平気で特定多数に公開されているのは、自分がその子どもの立場だったらものすごく嫌。
子どもにプライバシーの権利はないのか?と思ってしまいます。
子どもの写真は載せまくるくせに、自分の顔は載せない親も多い。あなた、自分が顔さらしたくなかったら、子どもだって嫌なんじゃないの? そのくらい想像力が働かないの? とものすごく疑問に思います。
子どもが大きくなってから、ストーカーが現れたり、自分のことをよく思わない人物が出てきたりしたときに、子どもの頃の恥ずかしい写真を探すのは、このご時世、いとも簡単なことです。
この人、小さいときはこんな顔してたんだーとか、知らないところでいろんな人に見られている可能性もゼロではないと思うと、ゾッとします。
人の嫉妬は恐ろしいものです。親に恨みや妬みを持つ人が、子どもを狙って復讐したり、脅迫したり、ということがないとも限らない。
この世の中、「かわいかったねー」なんて思ういい人たちばかりではない。
「子どもの頃はこんなぶさかったのね、 今は化粧でごまかしてんでしょ、ハハン」
「サルじゃん」
みたいに嘲笑するいっじわるな歪んだ連中も世の中にはいるわけです。お宝写真とか言って公開したり簡単にできてしまう。「ストーカーには天国のような世の中だよ」と相方も嘆いていました。
親の不注意で、そんな意地汚い連中に格好の餌食を提供して、と、子どもが気の毒になってしまいます。
友人限定でなく、「公開」設定にしている人もいて、不特定多数に子どもの顔を公開して怖くないの? と思ってしまいます。
防犯意識に乏しすぎる。
私たちが小さかった頃は、こんなSNSなんてものはなかったし、写真もデータではなくてフィルムの時代でした。親戚とか、ごくごく親しい、私も会えるような親の友人くらいにしか自分の写真が見せられることはなかったし、ましてや、誰かの手元に渡ることはほとんどありませんでした。
今はデータで誰かの手元に、親によっては公開設定にしているので、不特定多数の手元に残り放題です。今の親たちがフェイスブックに写真や動画を投稿している子どもたちというのは、こんな時代を迎えて初めての子どもたち。
将来、どんな困難が待ち受けているのか、杞憂ならいいのですが。
写真や動画を載せられている子どもたちは、親が載せているかどうかも知らないことがほとんどでしょうし、知っても何に載せているのか、それがどういうリスクをはらむものなのか、よくわからない。
子どもがきちんと理解できて、載せていいかどうかを判断できれば、載せないで欲しいと思う可能性のあるものを、親は確認もせずに平気で投稿しています。
目にするたびに、ペットじゃないんだから、と
すごく心が痛みます。
(ペットも言葉が話せたら嫌なのかもしれませんが)
もちろん、こういうことを考えたこともなくて、いつも気にかけてくれている人たちに近況報告をかねて子どもの顔を見せたい、という気持ちで載せているというのは
理解できます。それでも、
子どもの立場になって考えると、やっぱり子どもが気の毒に思います。
もし、自分がそういう親の子どもだったら、「データがどんなふうに使われるかもわからない、どんな人間が見ているかもわからないところに自分の写真が載せられるのは嫌だ」と、大人になって判断がつくときが来たら、きっと思うだろうと思う。
親の配慮の足りなさ。
「みんなやってるじゃん」という軽い気持ち。
こんなはずでは・・・とならないとも限りません。
幼い子どもの写真が投稿されているたびに、「ペット感覚で載せてんじゃない!」という怒りと、「無許可で載せられる子どもがかわいそう」という悲しみと、「友人だから悪く思いたくない」という気持ちと、いろんな気持ちが渦巻いて、複雑な心境になります。
こんなまとめ記事もできていました。
【注意】誘拐の原因にも…“子供の写真”をFacebookに載せる行為はマジで危なすぎる!!