20160228

フェイスブックとツイッターの世界の違いについて。togetterのまとめから。

【旧暦睦月廿一日 雨水 次候 霞始靆(かすみはじめてたなびく)】

この3日間、フェイスブックにまつわる話を書いてきました。この先、どう付き合っていこうか悩ましく、ぐるぐると調べていたら、こんなまとめに遭遇。
togetterより
FacebookとTwitterが切り取る世界の違い
上記は、社会の考察などについてブログに綴られているちきりんさんがツイッターでつぶやかれていたものと、それに対する他のユーザーさんの反応とのやりとりをまとめたツイートログです。

ちきりんさんは以下のような本も書かれている方です。

自分のアタマで考えよう
(ちきりん・著/ダイアモンド社・刊)

ちきりんさんは冒頭で、ツイッターとフェイスブックは「世界Aと世界B」と思うくらいかけ離れた世界に見える、と切り出し、ユーザーと意見交換を始められています。

ちなみに、私は両方使っていますが、フェイスブックをやるようになってツイッターは一時放置。その後、昨日までに書いたような理由で、フェイスブックが嫌になってきて、最近またツイッターを使い始めています。フェイスブックは外部サイトからニュースのシェアとメッセージのやりとりのみ。

戻ってきてみると、ツイッターのほうが本音が渦巻いている感じ。FBではみんな遠慮してシェアしないような重大なニュースが出回っているのと、他人の出方を見てからではなくて、さっと拡散してしまうので、情報が早い感じがします。情報収集はFeedly(RSSリーダー)とツイッターで十分かも。

上記のまとめは、ツイッターでのやりとりなので、ツイッターよりもフェイスブックのほうが使いやすいと感じられている方の意見は、当然、あまり出てこないのですが(FBではこんな問いかけができないという心理もあった模様です)、みなさんの表現がとてもおもしろかったのでご紹介します。

・「FBは村社会」
 「ママ友社会に近づいている感じがする」
 ↓
どっちも経験ないけど、なんとなく想像できるかも。

・「フェイスブックは職場の延長のような感じ」
ゆえに:「地雷を踏むとめんどくさい」
ゆえに:「食べ物と行った店の写真UPばかりになる」

ほかにFBによく投稿されるものとして、みなさんが挙げられていたのは、育児ネタ、子どもの写真(昨日も書きました)、旅行。

逆にしにくいのは深い話(ちきりんさんが例として挙げられているのは、政治談義など社会的なこと、一定の重要性のある個人イベントの悩みなど)。

なぜにみんな食べ物とか店の写真ばっかりなのだろう?と思っていましたが、地雷を踏まないように無難なネタに収まるのですね。

なんかそれって、テレビと一緒やん。

テレビも食べ物とタレント、かわいい動物、とかばっかり。視聴率がガクンと下がるとか、スポンサーの地雷踏むとヤバイから重要な話はしない、みたいな…。多くの人が同じ道をたどるのか。

・「Twitterは都会、Facebookは田舎の感覚」
 「FBはクラス全員でする交換日記、Twitterはラジオに投書」 
ふむふむ。私も、フェイスブックはウェット、ツイッターはドライって感じがするときがあります。

ちきりんさんの次のコメントが、私はとてもしっくりきました。
「つきあいたくない面倒な人を自分のネットワークから切る」ってことが、一番簡単なのがtwitter,次がリアル社会、最後がfb じゃないかな。fbで「リアルに知ってるけど、つきあいたくないからつながらない」って意思表明するのって、怖くない?
合わなくなった人たちと、距離を置くのが難しいのがFBの怖さでもあるかもしれません。

・「FBは毎日年賀状を書いている浅さ」
 「FBは本音より建前に偏りがち」
 (FBは)「自分自身による自身の情報操作」
 ↓
FBでは「私ってこんなに幸せ」と言いたがり、ツイッターでは「私はこんなに不幸」と言いたがる、という指摘を多くの方々がされていました。

FBはリア充(=リアルの生活、実生活が充実していること)アピール大会になっていてとても投稿できない、という意見もありました。

とりあえず「いいね」を押しておけば済むような話題のほうが投稿しやすいというのはあるかも。

シリアスな話を書くと、「いいね」ではなくて、何かコメントしないといけないような感じがするし、義理を感じてなにか反応してもらっても、なんだか申し訳ない気がして自粛してしまう、という気持ちはものすごくよくわかる気がします。

そう言う自分は、FBには社会や環境の問題で、多くの人に関係があるけれども、あまり知られていなさそうなこと、たとえば消費行動や投票などの意思決定において重要になってくるデータやニュースを投稿するようにしています。反応はゼロか、ものすごく薄いです。

…で、たまにめげる。

「意識高い系とか思われたいわけ?」
「お前みたいなしょぼい奴が騒いで何になる」
「ジャーナリスト気取りかよ」
「偽善者め」
みたいな、仮想敵のいじわるな声が聞こえてきたり…。

友人が以前、「投稿、ちゃんと見てるよ。でもね、戦争とか、搾取とか、社会のいろんな問題って、つらすぎて、「いいね」って押せない」と言ってくれたことがありました。

それはものすごくよくわかって、理解しているつもりなのですが、やっぱり、無反応って無視されている錯覚に陥って、凹むときがあるんですよね。

あ、でも最近、「悲しいわ」とかリアクションボタン増えてましたね。(個人の投稿に対して使う人、あんまり見かけないです。 ちょっと考えないといけないからなのかな)
facebookのスクリーンショットから
でも、お義理で「いいね」を押してもらったりとか、コメントをいただいたりとかは、もっと悲しくなります。それもなんか申し訳なくて、最近、自粛気味になっています。

ブログに書いていたほうが、検索で読まれていたり、いつのまにやらどこかでシェアされたりしたのか、たくさんの方に読んでもらえていたりすることも。

FBフレンドの数よりも多くの人に読まれている記事もあり、社会的な情報発信も、ブログに書いていたほうが、FBよりも実はインパクトあるんじゃないの?と思うこともあって、ますますFBは使わなくなってきています。

うん、やっぱ、FBもうやめよう、と思っていたら、イケダハヤトさんがこんな記事を書いていたよー、
と相方が教えてくれました。
まだ東京で消耗してるの?:ぼくが無礼な匿名アカウントに絡む、3つの理由
この記事はフェイスブックについての記事ではありませんが、自分の心が折れるようなことを敢えてすることの意義について書かれている記事です。えらいなぁ。

私はここまでのことは精神修養が足りなさすぎてできません。

「できないんじゃなくてやらないだけだ」というご批判はごもっともです。私も木村秋則さんのこの格言はいい言葉だと思っています。でも、現実問題、心が折れない程度でやっていないと、多くの人に迷惑をかけてしまいます。

がんばって立ち向かっていったとして、たとえば鬱になったり、発狂したりしたら、まわりの人にも迷惑がかかります。仕事もできなくなってしまって、生活に困ったら元も子もありません。できそうにないことをやらないと決めるのも、責任のうちだと思います。

こんなしょうもない人たちからの誹謗中傷に絡むことに比べたら、フェイスブックで大事なことを伝え続けるくらいは、まだ頑張れることかな、と思いました。

振り返ってみると、かつては「原発は仕方ないよ。電気代上がったらえらいこっちゃ」と言っていたFBフレンドが、私の執拗なまでの脱原発投稿を読んでなのか、もう原発は終わってると言うようになりました。

自民党がいかにひどいことをしてきているかを投稿していたら、選挙期間中に決まって自民党を応援する投稿をしていたFBフレンドが、いつのまにやら、自民への投票の呼びかけをしなくなり、反中・反韓感情を煽るようなテレビ報道について疑問を投げかける投稿さえするようになっていました。

恐らく、どちらも、私一人の投稿ではなくて、ほかのFBフレンドの情報にも触れていたのだと思いますが、私一人が声を上げることで、かき消されている正しい情報のボリュームを大きくすることができるのだと思います。どの投稿も反応は薄かったけど、見えないところで実はインパクトを生んでいる、ということがあるのかもしれません。

数のインパクトも大事かもしれないけど、身近な人がたとえ1人でも大きくいい方向に変わってくれることも、重要なことなんじゃないかと思いました。

ご紹介したツイートログに、「同調圧力」「自分で情報規制」という意見がありましたが、この同調圧力って、なんとなくみんなが思い描いているものであって、実は存在しないのではないでしょうか。

多くの人々が「これ、いいね押したら、他の人にどう思われるだろう」とか、「こんなこと投稿したら引かれるかなー」って自主的に自粛しているだけで、実際にタブーってことはないと思うのです。架空の同調圧力に負けて自主的に情報規制するのって、本当はいない鬼を怖がって、行動を控えているようなもの、みたいな感じがします。

そんなことをしているうちに、秘密保護法案が通ったりとか、強引なマイナンバーで国民の監視が強まったり、どんどん物を言えない世の中になってきている。まだ物が言えるうちに、意見をガンガン行っていかないと。

・・・ということで、結論。

ひとまず、フェイスブックをやめるのは思いとどまりました。ツイッターとブログに逃げ気味ですが、心が折れない範囲で、ちょっとずつ訓練しながら、少しぐらいうっっとなることがあっても、がんばって物を言っていこうかなーと思います。

*20180219追記:結局、いろいろと考えた結果、2016年いっぱいでフェイスブックは退会しました。詳しくは以下の記事に書きました。