20160323

「足るを知る」は我慢を強要する教えではないと思う。

【旧暦如月十五日 春分 初候 雀始巣(すずめはじめてすくう)】

「足るを知る」という言葉は、いい言葉ですが、我慢を仕向けることにも使われます。

お腹が空いているのに「少しでも食べられただけよかったね」と思いなさい、とか、働いても働いても不当な賃金しかもらえないのに「仕事があるだけいい」と思え、とか、そういう意味で使われているのを見聞きすると、不公平や暴力を野放しにするのに、「足るを知る」を悪用しないでほしいなぁと思います。

仏教の教えだと思いますが、この言葉から、満足できない自分を責めてしまう人もいます。不満や改善してほしいことを率直に述べる人を非難するときに使われることもあります。

tom-tomの友人は、自分に向いていないと感じる仕事に就いてしまい、ほかの仕事を探そうとしていたら、親に「今の時代、仕事があるだけありがたいんだから。どんな仕事でもありがたいと思ってやりなさい」と言われて、転職を諦めています。今はどうしているかわかりませんが、私がこの話を聞いた頃は、ため息の毎日で、とても気の毒でした。これも、「足るを知る」に対する誤解が生んだ悲劇だと思います。

「足るを知る」というのは、今あるもので満足しろ、ということではないと思うのです。そうではなくて、もっと豊かに、幸せになるための思考法なのではないでしょうか。

最近、あるブログを書かれている方が、noteという作品を売買したりすることもできるクリエイター向けのSNSで小説が1本売れたことを、「だれだよ買ったやつ!マジでうれしー!」とツイッターでものすごく喜んでいました。かたや、10本売れて「10本しか売れなかった」と暗くなっている人もいます。

1本売れて大喜びしている人は、この後も、喜んでウキウキしながら作品をつくり続けると予想されます。かたや、10本売れてがっかりしている人は、「自分には才能がなかった」と諦めてしまったり、売れるものに迎合して陳腐なものを作り始めたりする可能性があります。

買う側としても、作品ができたということだけでも喜んで、ワクワクしている人からは買いたいと思うものですが、悲壮感が漂っている人からは、あんまり買いたいと思わないなぁと…。

前者のほうが、どんどん作品が良くなって、最終的にはたくさん売れたり、反響が大きくなったり、多くの人から喜ばれたりして、満足が大きくなるのではないでしょうか。

相方と一緒に本を作っていますが、相方は作品が書き上がっただけでも大喜びしています。和歌山弁で言う「うれし」という体質です。「うれし」とは何でも大喜びしてるんるんしている人のこと。東京弁では「うれしがり」という感じでしょうか。

「うれし」の相方は、作品が書き上がっただけで大喜び

和綴じの本に製本して形になるとまたさらに大喜び

自宅に飾っていたら、友人が発見して気に入ってくれてまたさらに大喜び

友人がまた他の友人に紹介してくれて、その友人も気に入って買ってくれてさらに大喜び

買ってくれた友人が自宅のカフェで販売したいと言ってくれてまたまた大喜び

…と常に現状をうれしがっていたら、高松のおしゃれな本屋さんでも置いてもらえることになり、どんどんうれしいことが重なって膨らんでいっています。

最近よく書いている「引き寄せの法則」でも、喜びや感謝の感情は波動が高く、そうした感情でいると、どんどん波動の高いポジティブな出来事が引き寄せられると言われています。「類は類を呼ぶ」という現象です。なので、ちょっとしたことでも大喜びできる人は、どんどんうれしいこと、ワクワクすること、感謝したくなるようなことを引き寄せて、最終的には多くを得る結果になると思います。

「足るを知る」人は、最終的には多くを得る人だと思います。多くの豊かさと幸福を手に入れるための考え方や態度であって、我慢できないような劣悪な環境や、命の危険にさらされるような不足に対して満足を強要する教えとして使われるのは、とても残念なことだと思います。