【旧暦睦月丗日 啓蟄 初候 蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)】
本屋さんに行くと、「服を買うなら、捨てなさい」、「置かれた場所で咲きなさい」、「今すぐフォロワーはやめなさい」「腹が立ったら怒りなさい」「1日3食をやめなさい! 」などなど、命令してくる本が目につく。
今はこんな本が売れるの?
もしそうだとしたら、みんな、そんなに命令されるのが好きなの?
学校でも、「並びなさい」「返事をしなさい」「早くしなさい」と命令されて、会社に行っても「売上をあげなさい」「報告しなさい」連絡しなさい」「会議に出なさい」、あれやれこれやれと、やたらと命令されているのに、本屋に行ってまで「あれしろ」「これしろ」「これするな」と、「うるさーい!!」と言いたくならないの?
こんな本が売れているんだとしたら、自分のことは自分で考えて決める、という感覚が、もう麻痺してしまっているんだろうかと怖くなります。あれしろこれしろと命令されないと、自分の行動も決められないの?
最近の本は、服を買うなら捨てなさいとか腹が立ったら怒りなさいとか、そんな基本的なことまで命令してくるのでびっくりします。そのくらい自分で考えられます。何のために人それぞれに頭がついているんだろう。こんな本が売れるのだとしたら、そんなことも自分で決められない人がいっぱいいるということ?
「置かれた場所で咲きなさい」なんて、大嫌いなフレーズ。見るたびに嫌な気持ちになります。人間は植物ではありません。何のために足がついているんですか?
環境が合わなかったら、我慢しないでさっさと逃げるが勝ちです。私もそうしてきて、本当によかったと思います。もちろん、自分の捉え方、考え方によって、ある程度は、環境を変えなくても、前向きになったり、状況を変えたりすることができることもあります。ですが、環境を変えるほうが手っ取り早いことも多いし、そうやって我慢するから、悪事がはびこる。搾取がまかり通る。我慢したほうは、うつ病になる。ひどい場合には死んでしまうことすらあります。
相方になんでこんなに本のタイトルがやたらめったら命令形なのかを聞いてみたら、どうやら、ネットで使われるようになったものが、本でも使われるようになったらしい。ネットでは情報が溢れているので、少しでも目立つために、「~しなさい」と命令形を使うことによって、「なんだと?」と読み手の関心を引く狙いで、タイトルに使われることが多くなったそうですが、それがある程度効果があるので、本にも使われるようになったということです。
でも、無料の情報だったら、「~しなさい」というタイトルに、「なんだと?何を言っているんだこやつ?」と覗いてみようかな、と思うかもしれないけど、本のタイトルだと、お金を出してまで命令されたものを読もうとは思いません。思う人もいるのかもしれませんが。
私は、個人の自由を愛しているので、命令されるのは大嫌い。こんなタイトルの本は手に取る気にもなりません。そうじゃない人が多いのだとしたら、自分の頭で考えることを放棄して、命令されるがままに動いて、人生を翻弄されているのでしょうか? 正反対の命令をしてくる本もあります。もし、そうだとしたら怖い話だと思いました。
言葉は力を持っています。命令する本は、命令されることに対する違和感を麻痺させていきます。人間一人一人には、それぞれ別個の頭と心が備わっている。ということは、個人の思考の自由、行動の自由が与えられているということです。一人一人の頭で考えて、心と身体で感じて、自分の考えや行動を決定していくことが大切なことだと思います。今は自分の心と頭が使えていない人が多すぎるのではないでしょうか。自分で考えるきっかけ、考える材料を提供して、自分の心と頭をフルで使っている人を増やすのが、情報が持つ大きな役割の一つだと私は思う。売れるからとか、キャッチーだからとかではなくて、存在意義をもう一度考えなおして、人に良い影響を与えるものを生み出す人が増えてほしいと思います。