ジェンダーについてちょいちょい書いていると、お金を取ってくる仕事を女性がするのがいいことだと私が思っていると誤解されるかも…と思ったので、それについても書いておきたいと思います。
これについては過去にも書いていますが(「ワーキングマザー」「働くママ」にという言葉に感じる違和感)、金銭的な収入にならない仕事、たとえば、家事や子育てなどを、低く見る風潮にも「それってどうよ?」と思っています。
家事や育児しかできない女は低能だとか思っているおかしな人もいますけど、そういうのとは全く違う考えで、私が問題だと思っているのは、社会の固定観念のせいで、本当にしたいことができない、あるいはやりにくいことなのです。
いわゆる「男らしい」と言われている仕事(例:管理職やエンジニア系の仕事など)を女性がやりたいと思った場合に、女性だからという理由で排除されたり、変な目で見られたりすること、また、いわゆる「女らしい」と言われている仕事(例:家事や子育てのほか、看護師、保育士)を男性がやりたいと思った場合に、男だからという理由で、変な目で見られる(排除されることはあんまりないのでは)のはおかしいと思うのです。
いわゆる「主婦業」も、名前からしていかにも女のものって感じですけど、男女どちらでもやりたいほうがやればいいと思うのです。家事は、やりたいほうがって言ったらどっちもやんないかもしれないけど、もし夫婦のどちらも働いているのなら、女の仕事だという感じで押し付けないで、平等に分担するべきだと思います。家事は女の仕事ではありません。一人暮らしで生きていれば男でも女でもどっちでもやるものなのですから。女は男の身の回りの世話をするために存在しているわけではありません。
女性がパートナーの男性の活動を支えたいという気持ちで、家庭の運営を担当するのであれば、それはそれで素晴らしいことだと思います。もちろん、逆も然りです(でも、逆の場合は、風当たりが厳しいみたいで、これっておかしいでしょって思う)。
私の場合は、今は翻訳やリサーチなどの仕事が楽しいし、お金が必要なのでいろいろやっていますが、もし、相方に何かものすごく成し遂げたい偉業があって、それで生計が立つのであれば、私は金銭的収入を得る仕事を一旦休止して、家事に専念するのもアリだと思っています。今のところは、どちらも仕事が楽しいし、家事ができる余裕がどちらにもあるので、分担しながら楽しくやっています(過去記事:我が家の家事分担について。家事は分担よりも共同作業が楽しい。)
料理をつくることは、家族の健康をつくる、お医者さんのような仕事だと思います。おいしいという喜びをつくる仕事でもあります。これが、例えば、シェフやパティシエ、料理研究家、パン職人、うどん職人のような、なにかお金になる仕事でしている人であれば、なんか「すごい!」みたいに見られる風潮がありますけど、家で料理をつくる人は、毎日、家族のために、ありとあらゆる職人になるのですから、本当にすごいと思います。家事をする人は料理のいろんな職人だけではなくて、掃除や洗濯の職人にもなります。
それにどの仕事をとっても、直接的な現金収入にはなっていないかもしれないけど、出て行くお金をかなり減らしています。
料理を外部に全部任せていたら、お弁当なら500円くらい、レストランなら1000円くらいでしょうか。毎食それで過ごしたら、月に45,000~90,000円ほどの出費になります。飲み物を家で作らずにペットボトル頼りでいたら、安売りで80円くらい、小売価格では150円ほどですから、それだけでも1万円前後の出費になります(地球上に人間が快適に生存できる期間も縮めるし)。掃除や洗濯のサービスを誰かに頼んだらどのくらいかかるでしょうか?
食事についてはそれだけではなく、食事が外食だけだったら、お金がかかるうえに、病気がちになって、医療費もかさむでしょう。肌もボロボロになって化粧品代もかなりかかるようになるかもしれません。気持ちがすさんで、憂さ晴らしに大金が飛んで行くことになるかもしれません。身体によい食べ物を選んで手で作られた食事は、どんな薬にも勝る薬だと思います。古代中国では、薬物で治療する医者が「下医」と呼ばれて最も位が低く、食べ物だけで治す「食医」が最も位が高かったそうです。家族のなかで、健康な身体をつくる食べ物をつくる人は、この「食医」にあたると思います。そのくらい、尊い仕事だと私は思っています。
私は繕い物が好きで、相方の靴下やズボンを直したりしていますが、それでもかなり出費が押さえられています。繕い物は、使えるものが一から作るより早くできるので達成感を味わえるのが早いのと、「捨てられるの?ぼく、もう捨てられちゃうの?」と思っていそうな物たちが、別な顔になってまた活躍してくれるのがうれしいのです。
先日、仕事がしばらく空いて、縫い物ばかりしていたときに、
tom-tom: 「あー、今日はなんもお金になることせんかったー」
相方:(手縫いで作ったズボンを指して)「それ、作ったやん」
tom-tom: 「たしかに、これ、買ったら1万円近くするよね。リネン100%だし」
相方:「1万できかんで! 3万円はするでー。手縫いやで。オーガニックコットンの縫い糸やし。あの展示会(早川ユミさんの展示会のこと)でも手縫いやったら5万ほどしたやろ」
…という話になりました。5万ほどしたかどうかは定かではなく、作家として長年経験を積まれている早川ユミさんと同じ値段では失礼にあたると思いますが、手で縫って1着作ろうと思ったら、時給換算すると3万円というのは確かに、妥当かもしれません。
現金収入を持ってくる人がエライと言うのなら、出て行くお金を抑えることで富を増やしている人も同じくらいエライと思います。
お金だけではなくて、一緒にいて支えてくれたり、いつも安心して帰ることのできる空間をつくってくれていたり、おいしいという喜びを創造してくれたり、こどもが素晴らしい人間に育つのを助けたり、…ほかにもたくさんありますが、こういうことは、お金でははかることのできない価値を生む仕事だと思います。だから、私は家事や育児を低く見ているなんていうことは決してありません。
ただ、それが女性だけに押し付けられていて、男性がそれをするのは特別とみなされ、女性がするのが当然と思われていて、女性は社会のことを全く考えなくてもいい、女性はおバカでかわいらしくいてくれ、みたいな古くさい風潮がまだ残っているのが嫌だなぁと思っているだけです。
それに、家事をどっちがするかとか、どのくらい分担するかとか、ライフステージで入れ替わったっていいと思うんです。例えば、男性が会社務めをしていて、女性が家事を切り盛りしてきた家庭で、男性が「少し、世間から離れて自分を見つめ直したい」と思ったとしたら、女性が働きに出て、男性が家事をするようになっても、全然普通のこととみなされるような社会になってほしいと思うのです。
今はそれが許されないような圧力があって、男性もたいへんだと思います。男性は自分のことを深く何も考えずに、立身出世のレースに臨むためのレールに乗って、大人になってからはずっと会社人間でやってきて、金と地位と名声ばっかり追い求めて、自分の人間性を見失ったり、そういう人もいると思います。男女平等が本当に普通になったら、変な男のプライドもいらなくなります。男性だって生きやすくなるんじゃないでしょうか。
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