マルタ共和国は地中海の真ん中に浮かぶ島国。国民のほとんどがカトリック信者で、カトリックの影響が強い国です。法律にもカトリックの教義が影響を与えていて、望まない妊娠を中絶することは非合法。離婚が合法化されたのはつい最近の2011年なんだそうです。
そんなマルタ共和国で結婚をするには、夫婦がどちらもカトリックのバックグラウンドを有していることをいろんな証明書を出して証明しなければいけなかったり、結婚式の前に講義に通って結婚に関する聖書の節を勉強しないといけなかったり、宗教的な手続きがとても大変そうでした。結婚の証人の役目を務める人も、カトリックのバックグラウンドを持っていることを証明する証明書を出さないといけないんだそうです。
この記事を読んでいて、大変だなぁ、カトリックじゃなくてよかったなぁ、と思ったのですが(聖書にはいいことも書いているし、カトリックを信じている人のことをどうこう思っているわけではない)、カトリックじゃなくても、やっぱり、結婚式はしたくないなぁ、と改めて思いました。
キリスト教の教会で挙式する人が多いですが、普段から信仰しているわけでもない神様に結婚を誓うとか、私にはできません。神やsomething greatなどと呼ばれるなにか偉大な力があるというのはなんとなく感じるので信じていますが、その形式が神道や仏教となるとしっくりこないのです。だから、何か一つの神様に誓うっていうのは違う気がする。
そもそも、この人と一緒に生きていくってだれかに誓わないといけないものなのか? 相方とは仲良しで何でも話せるし、ここまで人間ってわかりあえるのか、というくらいわかりあえているんだけど、それを権威のある何かや大勢の人に宣誓しなきゃいけないって、変な気がする。別に宣誓しなくたって仲良しでわかりあえているんだからよいのではないでしょうか。だから、人前式も違う気がしています。
指輪もいらないよなぁと思っています。お金がないからとかではありません。学生の頃はおそろいの指輪に憧れたものですが、そういう形式的なものでお互いを縛り合うのが、「なんか、犬の首輪みたい」とはたと思ってしまったことがあり、それ以来、指輪もいらないと思うようになりました。うちの両親は一応指輪は作っていましたが、水仕事のときに邪魔だ、窮屈だと言ってつけていませんでした。形式的におそろいの指輪を同じ指につけているから夫婦だと感じるのではなく、私と相方はお互いの自由意志に基づいて一緒にいることを選んでいる、と、何もなくても感じられる中身のあるパートナー関係があるほうが心地よいです。
何か偉大なものや大勢の人の前で誓っても、お揃いの指輪で物質的に証明していても、別れるときは別れるのです。合わないのに無理をして一緒にいることはお互いにマイナスなので、合わなかったらさっさと離れたほうがいいと思います。誓っちゃったから離れるのは、なんてブレーキがかかって、無理して一緒にいて憎しみが増大するくらいなら、さっさと離れたほうがいい。こういうパートナーシップって、神様とか大勢の人とかに誓ってできるものでも、紙の上にサインして判を押して役所に契約書を届け出ることでできるものでもなくて、長年一緒に培っていくもの、気づくとできているものだと思います。
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