20160905

結婚式について思うこと―その2

昨日は、結婚式について思うことをつらつらと書きましたが、香川のブロガーのyossenseさんがこんな記事を書かれていました。
結婚式したくない派だった私が「して良かったな」と思えた1つの理由(初出2015年4月9日/更新2016年7月19日)
男女平等を大切に考えられているヨスさんは、男女差別のしみついたしきたりを採用することなく、新しいスタイルで結婚式をなさったそうです。たとえば…
新婦の父親の手から新郎の手へ新婦が手渡される演出ってありますよね? あれ、女性の人身売買みたいに見えるのでやめました。女性は物かよ!ってマジで思いますよ。私の場合は、2人が揃って教会に同時に入って行きました。
男性でこんな感覚を持たれている方がいるというのは、本当に希望を感じます。ほかにもものすごく共感するところが多かったです。

父親が娘とバージンロードを一緒に歩いて夫に引き渡す、私も、女性の人身取引の現場みたいで、実は見るのも苦々しい気持ちがしていました。バージンロードって日本語に訳したら生々しいからカタカナでごまかしているのでしょうけど、「処女道」ですよ…。バージン=処女であることにそんなに価値を見出すのも男の征服欲だろうし、娘の処女を破ってもよい相手に父親が娘を引き渡すとか、一緒に生きていく相手を決めるという女の大事な決断を、男だけで決めた風に演出しているようで気持ち悪いです。

だいたい、子どもを生むのも生まないのも個人の自由です。過去にお呼ばれした結婚式で、司会の人が「新婦は保母さん、子育ても安心ですね❤」みたいなことを言っていてどん引きしたことがありました。なにそのプレッシャー。子どもを持たないという選択をして、幸せに生きていくことも、子どもを持つという選択と同等に当たり前のこととみなされるべきです。しかも、子育てって女だけがするもんじゃないでしょう。

真っ白なウェディングドレスも、真っ白な和服も着たくありません。真っ白は女だけが着せられる。男は白は着ない。ご存じの通り、女だけが白を着るのは、男の色に染まることが期待されることを暗示しています。私はだれかの色になんか染まりたくないし、相方も私が私らしさを失うことは望んでいません。

この話をすると、相方が白を着ればいいんじゃないのと言う人がいますが、そういう問題ではありません。私は誰にも染まりたくないだけでなく、誰も染めたくない。個人の自由意志に従ってそれぞれ幸せに生きていってもらいたいのです。女だけに白を着せることで、女が男の色に染まること、男の言いなりになることを暗によしとして押し付ける、形式だけでもこんな演出、絶対にやりたくないです。

それに、化粧をしないといけないのも嫌です。化粧品には石油由来の成分がたくさん入っているし、落とすときにも強烈な化学物質を使わないといけません。化粧をすることで私は水と土を汚す。生態系を破壊する。自分の肌の健康も害する。そんなことはやりたくありません。

最近では、天然成分だけのもあるので、それだったらたまには化粧をしてもいいかなぁと思ったりもするのですが、そもそも、男は化粧をしなくていいのに、女は化粧をしないと失礼っていうのもおかしくないでしょうか。女はすっぴんだと失礼だって言う人が大半だと思います。ありのままの顔を見せたら失礼だって言う方がよっぽど失礼です。なんで男はありのままの顔でいいのに、女はありのままでいたらいけないんでしょうか。

席順もエライ順があからさまにわかって辟易とします。世間一般の常識では、勤務先の人が一番いい席で、親類が末席になっていますが、未だに日本は封建時代なんですねって感じがします。給料を与えてくれる会社の人が一番いい席というのは、お金が第一という価値観が透けて見えるような気がします。大事なのはお金だけじゃないよね、と気づき始めた人たちも増えてきている現代に、こういう席順というのはかなり時代遅れだと思います。

友人のほうが親類よりもいい席というのも、私なんかほとんど大したことをしていないのに、親や家族よりも前の席に座らせてもらうなんて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。最近は立食式の披露宴もありますが、立ち食いもあまり落ち着かないですし、料理が足りないとゲストに申し訳なく、余ると食べ物を粗末にして地球さんに申し訳ない。また、だれを呼んでだれを呼ばないかもかなり難しい複雑な問題です。

余興にも閉口します。最近では、男が女の制服を来てぶりっ子の踊りをするのが定番のようですが、どうしてそのような下品なものが定番になっているのでしょうか。映像作品を作ったり、楽器の演奏をしたり、踊りでももう少しまともなダンスなど、もっと立派な芸を隠し持っているのではないかと思うのですが、そういう、下品な笑いを誘うようなものでないと、ウケが悪いのでしょうか。

両親のスピーチも「お涙ちょうだい」が期待されているのが嫌です。うちの親をそんな好奇の目にさらしたくはありません。無論、「花嫁の手紙」(「嫁」って言葉も大嫌い)なんてありえません。結婚したって親子関係に変わりはありませんし、パートナー関係にも変わりはありません。なんで、「これからもお父さんとお母さんの子でいさせてください」なんて落涙しなきゃいけないんですか。あたりまえやろがって話です。

こうやって考えてみると、日本の結婚式には男尊女卑の要素がてんこ盛りで、品性にも乏しいんですよね…。「親戚が喜ぶし、人生の節目だから、結婚式はやったほうがいいよ」というアドバイスも理解できるのですが、たぶん、うちの親戚はそういうので喜ぶようなタイプじゃないし、相方のほうは結婚式が好きそうな孫たちがいっぱいいるから私たちがやらなくても喜ぶ機会はいっぱいあるし…。人生の節目というのも、私と相方の関係は連続して深化していっているものであって何か節目で始まったり終わったりするものでもない。たぶん、よほどのことが起こらない限り、結婚式はやらないと思います。

相方に、「結婚式やりたい?」と聞いてみたら、「樹木葬がいいな」とお葬式の話をされました。「畑に埋めてくれたらトマトいっぱいなるかも!トウモロコシ葬とかもいいかもな。食べるたび思い出してもらえるで。墓なんてのは、思い出すのが目的やろ?」こんなぶっとんでいる相方といる毎日はおもしろすぎます。末永く続いていくことでしょう。

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